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春に溺れる(失恋する前の話)

※淡色の錆よりも前の時間軸の話。 01.  柊 七生はロボットである。なぜなら精巧にして緻密なロジックを瞬時に組立て、コンマ何秒の隙を突き、どれだけ不利な状況であろうとたった一手で大逆転を可能にするからだ。それはまるですべて計算されたプログラムのようであり、どれだけ必死に食らいついても、気づけばはるか上から可笑しそうに見下ろしている。ひょうひょうとしていて終始掴めない彼が悔しげな人間らしい表情を見せる日は来るのだろうか――。  雑誌に見慣れた姿が載っているだけでもおかしいというのに、その内容に思わず吹きだしかけた俺は、とりあえず何とか咳で誤魔化すことに成功した。そういえば昔も眠れる獅子という何とも恥ずかしい呼び名を付けられていたが、今度はロボットか。相変わらず人間には例えられないらしい柊のことを思い浮かべ、可笑しくなってレジへ持っていった。千円でお釣りが二百円とちょっと。まあ、柊をからかうには安い買い物だ。ぶらぶらと袋をだらしなく持ちながら踵を返し、へんな顔をする柊を想像して俺はひとりほくそ笑むのだった。  俺と柊は高校の同級生で、実は意外にも仲が良い。その頃の柊といえば教室にマイ枕を持ちこむ何とも規格外の生徒で、授業中でも構わず三秒もあればすぐに寝落ちる男だった。その癖テストではいい点数を叩き出すという何とも羨ましい功績から、ついたあだ名が眠れる獅子だ。偶然にも彼のフィールドでも同じ呼び名がついていたらしいが、そっちは最後まで手の内を明かすことなく牙をむくとかなんとか妙にかっこいい言い回しだった気がする。  いつも女子高校生みたいなレモンティーを持ち歩いていたことと、今思えばオリジナルにカスタムされていた緑色の携帯ゲーム機を持ち歩いていたこと。それからいつも眠たそうな目をして、教室にいないときはどこで手に入れたのか、当時使われていなかった空き教室の中でゲームをしていたことをよく覚えている。まあ、それに肖って一緒にさぼらせてもらっていたことは今の所二人だけの秘密だ。たぶん。  柊は自分から全くその地位について話そうともしなかったし興味がなかったようだったけれど、ゲーム業界というのかあの辺の界隈では大層有名な男だったらしかった。何となく風の噂でしったものの、自分から言わないことを聞くのも野暮かと当時の俺は問いたださなかったが、今思えば俺の知っている柊じゃない柊を知るのが怖かったのかもしれない。ただ唯一知っていたのは、戦闘中の彼は普段の眠たげな眼とは一変し、静かな闘志を燃やした猛獣のような眼で、画面を見つめていたことだ。  そのままてっきりそっちの業界へ進むと思っていたが、柊は古生物学を学ぶと大学に進学した。どのタイミングで古生物学に興味を持ったのか全くもって分からないが、柊の考えを聞いたところでどっちにしろ俺に理解できるはずがないのだった。  卒業してからは俺もバンド活動が忙しくなっていたし、高校時代ほど頻繁に会うことは叶わなくなったが、それでも俺たちは時々会って、身にならないようなくだらない話をしていた。けれど、知らない間にこんなことになっていたなんて。次会ったらからかってやろうと思いながら雑誌を袋から出し、続きをぱらぱらめくる。  ロボットね。思わずまた笑いそうになる。我慢してもひくひくと口角があがるのを押え切れず、ごほごほと変な咳をして誤魔化す。  どちらかと言えば、柊は高校の時の方がよっぽどロボットだった。穏やかな顔で笑う姿は少なくとも高校を卒業するまでは見たことがない。好きな奴が出来たのか恋人が出来たのかは知らないが、恋愛沙汰には一切浮いた話がなかった柊がついに綻びを見せたと言うのに、何とも見る目のない雑誌だ。まあ、その方が好都合なのかもしれないけれど。 「ん?」  結局大して読むつもりもなかったくせに、最後までしっかり目を通してしまった雑誌の最後の方に、携帯ゲーム機の770モデルが載っていた。楽器で言うシグネチャーモデルのことだろうか。連射機能が搭載されたりしているわけでもなく、柊が自分でカスタムしたあのカラーが製品化されたということらしい。若草色というのか、すこし落ち着いた緑色は確かに昔柊が持っていたものに似ている。緑色が好きなのは変わってないんだなあ、と懐かしくなりながら、近いうちに飯でも食おう、と思った。 02.  久々に会った柊は相変わらず眠たそうで、マイペースだった。ふらりと現れ、世間話もそこそこに柊がよく行くという洒落たカフェに入った。木造でレトロな雰囲気で、コーヒーの匂いがふわりと香る。静かで人の少ないのは有り難かった。何しろ自分で言うのもなんだが、一応俺も顔が売れてきてしまっているのだ。一応。  目の前でレモンパスタを食べながらレモンティーを飲んでいる辺り、レモン好きに変わりはないらしい。互いの近況を何となく話しながら、この辺りで突っ込んでみるべきかな、と思った。相手はあの柊だ。聞いたところで飄々と交わされてしまう可能性もある。高校生の頃、幾度となく聞き出そうとしたことも気づけば自分の話になっていた、なんてことは一度や二度ではない。何せ相手は「ロボット」なのだ。緻密な計算と思考の元に組み立てられるロジック。そんないかにも頭のよさそうな武器で突きかえされるのは目に見えているので、意表を突かなくてはなるまい。 「…山田、箸止まってる」 「あ、ごめん」  訝しげな視線を受けて、はたと思う。ここはさらりと、何事もないように切り込むべきか。恐らく柊は、俺が愛だの恋だのそういうものにうつつを抜かしていることに気付いていると思っていないはずだ。妙に身構えれば聡い彼のことだ、すぐにバレる。まずは普通の話でジャブ。それからフック、ストレート。よし。 「大学どう?」 「…たくさん発見があるから、面白いよ」 「え。寝てないの?お前が?」 「……寝てる時もある」 「だよなあ」  古生物学が何をするのかはさっぱりだが、恐らく名前からすれば恐竜の化石を調べたりするんだろう。多分。それにしても今の台詞、そんな穏やかな顔で言う場面か?と思って、はっとした。そうか。今だ。 「なあ、柊さ、もうやっちゃったの?」 「…何を?」 「何をって、ナニをだよ。彼女と」  言い終わる前に、ごほごほと目の前の男が、むせた。むせたのだ。あの柊が。感動にもにた感情に秘密を暴くときのわくわくを重ねながら、決して今この攻撃の手を止めてはいけないと俺は気づいてしまった。冷静になる時間を与えてはいけない。何せ柊はロボットなのだ。 「…な」 「気づいてねえの?首、大事なもんついてるけど」 「…っ!」 「うっそー、ていうか、その反応はやっちゃったのか」 「!…っ、~~!」  柊はまあ落ち着けよとこちらが心配したくなるほどには動揺していた。どこがロボットだ。そこらの人間よりもずっと人間らしい表情で赤くなったり青くなったりを繰り返す柊は、まだごほごほとむせている。  そうなってくると、次に気になるのは恋人の存在だ。どうやってこのロボットとまで称される柊を落としたのだろうか。それとも柊がアタックしたのだろうか。気になる。もうセックスしてるということは、付き合いたてのわけでもあるまい。  何と言うか、このゲームしか能のない男が、ついに巣立ってしまったような気持ちだ。見守ってきたツバメの巣からツバメが飛んで行ってしまったような。かわいがっていた弟が嫁にいくような。  柊はひとしきり咳を終えた後、うろうろと視線を彷徨わせ、ぐっと黙ってしまった。きっと柊と闘う人達は、この表情が見たいんだろうなあ、と漠然と思う。あのひょうひょうとした鉄壁の仮面は剥いてしまえばこんなにも簡単だった。でも、ゲームの世界じゃおそらく難解中の難解なのだ。 「言いたくない事は言わなくていいけどさ、どんな子かぐらいは教えてくれてもいいんじゃないの」  パンをちぎりながらそう言えば、うぐ、と押し黙った柊が、おそるおそる口を開いた。 「……太陽に当たる、芝生みたいなひと。」  聞き取れるか聞き取れないかの声でぽそりと言われた言葉に、俺は首を傾げた。太陽みたいな人ではなく、太陽に当たる芝生。全く意味が分からない。まあ、柊の言ったことで理解が出来たことは今まで数少ないなと思いながら、はっとした。芝生。彼のオリジナルモデルの携帯ゲーム機は、若草色ではなかったか。なるほど、そこにだけは合点がいく。 「…うん、まあ、リア充おめでと。春がきてよかったなあ」  手を伸ばしてぐりぐり頭を撫でると嫌そうな顔で眉を顰められた。柊は、ロボットというよりも、犬に似ていると思う。 03.  柊と会ったのは本当に偶然だった。レコーディングの合間、買い出しに寄った大きめのスーパーで猫用の砂とフードを手にしていた柊と本当に偶然ばったり遭遇したのだ。柊の秘密を暴いてしまった日から今の今まで俺はレコーディングや取材で忙しくしていたし、彼も彼で大学の課題とゲームの大会で忙しかったらしい。  折角会ったんだし、食事でもと誘おうとして、柊が妙にそわそわしていることに気づいた。そわそわと言っても、恐らく普通の人が見てもわからないぐらいのわずかな違和感だ。何か俺に後ろめたいことでもあるのだろうか、と考えてはっとした。そうか。俺は柊の秘密をひとつ暴いてしまっていたのだった。 「もしかして、来てんの?芝生の君」 「…何それ」 「お前の彼女」  内緒話をするようにこそこそ言えば、柊はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。ついに観念したらしい。 「…まあね、でも」 「でも?」 「…君が思ってるような人じゃないよ」  ふむ。ということはとびきりの美人でもなければ慈愛に満ちたマリア様でもないということか。でも、あの柊を柊 七生というただ一人の男にした女性だ。あの柊が惹かれたのだから、きっとそういう人だと思っていた。ひいき目なしでだ。  一目見ておきたいなと思ったが肝心の柊はもう話すことはないと言わんばかりにきょろきょろと棚の猫缶を眺め見ている。唇に人差し指を当てるのは柊が考える時の癖だった。ということは、いたずらに棚を見ているわけではない。あっさり話を折られてしまったのでこれ以上の追及は無駄だ。まあ、柊にもう会わない訳ではないし、今度また深く聞いてみればいいか。とりあえず帰る旨を伝え、ようとした。 「七生、決まった?」 「…お?」  裏側から顔をのぞかせた男に目を見開く。何だ、彼女じゃなくて友達と来てたのか。それならば先程の柊の言葉に納得できる。俺の思っている人ではない、は、彼女じゃなくて友達、ということか。そりゃ悪いことをしてしまった。じゃあなと言おうとして、あれ?と違和感に気付く。  あの時柊は、まあね、と認めなかったか?そして、目の前の男は、今時には珍しい芝生のような髪色をしている。  …あれ?ん?もしかして、そういうこと? 「…もしや、お前が柊を人間にした芝生か?」 「へ?」  ぽかんと口を開けた男はきょろきょろと柊と俺を交互に見た後、さっぱりと言った顔で首を傾げた。面倒くさそうな柊の視線とかち合う。あ、これ正解だ。いやまてよ。ということは、つまりだ。柊を人間にした挙句、あっちも卒業させたってことか。ほお。同性愛に関しては正直うちのバンドマンにも一人いるから特に偏見はないが、恋をしていると変わると言うのは彼や柊をみていると本当だなあと思わずにはいられない。  まあ、どちらにせよ、いいやつそうだと思う。じろじろと頭からつま先まで失礼なほど見た後、柊をよろしく、と胸を叩いた。何のことだか未だわかっていない芝生の君と柊を残してさっさと踵を返す。無意識ににやける顔を必死に押えながら、がこがこと籠の中でペットボトルを鳴らしながらレジに向かう。  彼は柊と同じ古生物学専攻なのだろうか。それとも同じ大学で違う学科の専攻なのだろうか。それともバイト先?ゲーム関係?なるほど。聴きたいことが山のように増える。次に逢える日はいつになるだろうか。それまでには根掘り葉掘り聞かれる準備を整えておいてくれよ。 04.  柊 七生はロボットである、と言い出したのは誰だっただろうか。少し早く着いたスタジオでドラムのセッティングを終えた俺は、そういえば今日が柊の大会の日だったことを思い出した。もちろん地上波で放送されているわけがないので、どこかでやっていないかとネット動画サイトを探し、なんとか生放送に間に合わせたのだった。  画面の中で行われているのは俺でも知っているテトリスの筈だった。けれどこれは本当に俺が知っているテトリスなのだろうか。兎にも角にも早い。おぞましいスピードで落ちるブロックをおぞましいスピードで捌いている。その凸型ブロックってそんな風に使うのか。これが全日本大会、これが、柊のフィールドなのだとすれば、彼がロボットと言われてもおかしくないのかもしれない。  正確かつ、巧妙。頭の中がどうなっているのかが全くわからない。この左画面が丁度柊らしいのだが、積みあがったと思えば瞬時に大量に消していく。  まるでパズルと言うより音楽だった。正確なリズムを叩くことが前提、その上で早くするも遅くするも自由。ライブでその場を支配するのはギターでもベースでもなくドラムだ。そしてそのドラマーであるはずの俺は今、柊のリズムに心が震えるほどぞくぞくしている。周りを支配し、呼び寄せ、振り回しては何度も相手にチャンスを与え、それを脆くも消し去っていく。叩きたい。うずうずと身体が熱くなる。柊のリズムはこんなにも人間らしい。それなのに決して追いつけない自動プログラムに見えるのは、柊が人を震えさせるほど、あまりに正確だからなのだ。  なんとなく、どうして高校の時に柊といることが楽で楽しかったのかが分かった気がした。俺と柊は根本が似ている。どう枝分かれしてこんなに性格が違うのかはわからないが、それは大した問題じゃない。  あとでお祝いのメールでも入れておくか、と思ったところで、ドアが開く音がした。見なくても誰かわかるので振り向かずに挨拶を投げて置く。大体スタジオ入りの順番は決まっていて、俺の次はこいつなのだ。そういえばこいつも春真っ最中だった。 「何見てんだ」 「巣立ったヒナ二号」 「はあ?」 「ちなみに一号はお前だ」 「はあ?」  諦めたのか特に突っかかるでもなくさっさとギターケースから彼の代名詞ともいえるフライングVを取り出し、アンプにつないだ。ブーンと機械の音がする。 「俺たちも早く一番取んないとな」 「…何か変なもん食ったか」 「扱い雑!」  ぐっと伸びをして、スティックを握る。そろいもそろって春に溺れやがって。あーあ。とりあえず俺は音楽と結婚していることにでもしておこう。 おしまい

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