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第5話

 外に出て眩しい夕日に目を細めた。せっかく新宿まで出てきて、これで帰るのはもったいない。むしろ、朝バタバタと書類を集めているときから、新宿に住んでいる親友の家に寄ることに決めていた。  新宿といっても相当な外れで、慣れるまでは何度も迷ったか。雑居ビルの隙間をぐんぐん進み、おばけが出るらしい恐怖のトンネルを通り抜け、カラスが一斉に飛び立っていった先に現れたのは、夕日を背景にツタの葉が生い茂るボロアパートだ。インターホンが壊れているのでかわりにドアを叩く。が、返事は待たない。 「入るぞーっ」  俺がドアを開けると、部屋の奥で机に向かっていた男が振り向いた。大学時代の同級生・雨宮 誘(あまみや ゆう)。いつ見ても小汚い格好に無精髭で、せっかくの男前を台無しにしている。 「あれ、透くん。いらっしゃ~い」  ヘラヘラした笑顔で俺を歓迎してくれた。 「用事で近くまで来たから寄ってみた」 「嬉しいな、ちょーど暇してたとこ」 「っていうか、誘はいつも暇だろ」  靴を脱いで上がり込み、ぶら下げていたレジ袋をローテーブルに置いた。あー重たかった。コンビニで買ってきた品をざっと出して、ジュースとビールを持ってもう一度立ち上がる。床には一昨日一緒に遊んだゲームソフトやコントローラーがそのまま転がっていた。  誘は大学卒業後に就職をせず、金が尽きたときだけ日払いのバイトをしてる呑気なフリーターで、大体いつもアパートにいるので、俺は好き放題に出入りさせてもらっている。たまには留守なこともあるけど、鍵はかかってないから、帰ってくるまで好きに過ごして待つのも好きだ。  机に向かっている誘にビールを差し出て隣に座った。 「サンキュー」  誘の趣味は、鉛筆一本で壮大な立体迷路を描くこと。  円錐形の頂点から下に降りていく流れのようだが、立体は5つに輪切りされ、それぞれ別方向に回転がかけられているためかなり複雑だ。パソコンを使わずに頭の中だけでこんなことができるほどのハイスペックな頭脳を持ちながら、顔の良さと同じくとことん無駄遣いをしている。俺は誘の隣に座り、結婚相談所に登録してきたことを告げた。  誘の手が止まる。いつ見ても眠たげな垂れ目を俺に向けた。 「……は? どーゆーこと?」  眉間にシワを寄せた誘の前に、鶴矢さんからもらったばかりの結婚相談所のパンフレットを差し出した。 「ここのテレビがゲーム専用とはいえ、さすがに知らないわけないよな? 昨日から日本でも同性婚がスタートしたんで、俺もそうしようと思ってさ。結婚して仕事を辞めて、専業主夫になるっ」  今朝のニュースによると、初日ですでに二万組以上の新婚さんが誕生したらしい。鶴矢さんいわく、俺のように同性婚がスタートしたのをきっかけに結婚へ意識が向いた人はとても多くて、これからしばらくは結婚ブームがつづくに違いないそうだ。俺の運命の人も、きっとどこかで俺を探してる。 「同性婚のことは知ってたけど、専門の結婚相談所があるとは知らんかった」  ぺらぺらとパンフレットをめくる誘は、俺の恋愛対象が男なのは昔から知っている。何故なら誘は学生時代、俺に惚れられて告白されたから。そしてその場で俺をフった。今では無かったも同然になってる話だけど。 「はぁー」  誘が呆れたような深いため息を吐いた。 「仕事辞めたいっていうのは散々聞いてたけど、そうくるか。今どき永久就職って……」 「ナイスアイディアだろ?」 「どこが~~? 今の仕事が嫌なら転職にしなよ、職探し俺も手伝うからさ」 「はぁ~~~!?」  今度は俺の方から、盛大なため息を浴びせてやった。  転職だって? ろくに働いたことのない奴がよくも軽々しく言ってくれる。そんなド正論なんか聞きたくない!  誘にあげた缶ビールを奪い取り、一気にイッて空にしてやった。俺は酒に弱くて普段は全く飲まない。一回オエッとなったが、ギリギリ飲み込んで、一息つくとすぐに酔いが回ってきた。 「バカ誘!! 今まで俺の話の何を聞いてたんだよ!? 俺は職場を変えたいんじゃなくて、働くのを辞めたいの! 朝から満員電車に揺られて痴漢されて、やってもやっても振ってくる仕事に走り回って、毎日残業。サラリーマンなんか、もうウンザリなんだよぉっ!!」 「うんうん、うんうん、俺が悪かった。謝るから泣くなよ~」 「泣いてない!!」  誘なら、出世にギラギラしてる他のやつらと違って、俺が仕事を辞めるのも、婚活するのも、「いいね」って応援してくれると思ってた。それなのに、正論吐いて俺をバカにするなんて、もう知らね。 「透くんこっち向いてよ」  誘が手に取ったティッシュで俺の顔を拭こうとするが拒否する。 「透くん、透くんってば」  うるせー無視無視。俺はもう絶対誘と口を聞かないと決めたんだから。 「透く~ん」  誘が俺の背中に抱きついてきた。肉体労働で鍛えた身体はスゲー重たくて、体温がやたら高い。 「機嫌直して。俺だってお仕事が大変なの分かってるつもりだよ。透くん、就職してからずっと無理してるもんな。俺も心配してたんだ」  答えない俺に、誘が顔を近づけてくる。スリスリすんな。長い髪がうざい。 「でもさ、仕事がキツイ、辛いって言いながら、透くんすごく頑張ってたじゃん。それがどうして急に結婚になるの。透くんのことだから、そこまで思い詰めた本当の理由があるんだろ? 俺に話してみなよ」 「………」 「透くんに最後に仕事の話を聞いたのは……イケメン同期にフラれたところだな。それまで色々話してくれてたのに、そっから一回も聞かなくなった。なんかあったのかな?」 「…………なんもね~よ」  図星だが、ストーカーにされて、しかもイジめられてるなんて、格好悪くて絶対に言いたくない。 「いつもならすぐに立ち直って次に行くのにね。そんなに良い男だったの?」 「別に、違うし……」 「でも、傷心が癒えずに会社を辞めちゃいたいくらいなんでしょ? 会ってみたいな~」  (違うっていってるじゃん!!)  悔しくて叫びだしそうになった。  俺はそんなに弱くない!!  好きな人にフラれたくらい、それに上司や同僚から嫌われて、一人ぼっちになったくらいなら、我慢できた。だけど、ハブられているせいで重要な連絡が俺だけに回ってこなくて、それで俺の担当の顧客に多大な迷惑をかけてしまった。  ──だから仕事を辞めたいというより、もう辞めるしかないんだ。

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