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第19話

 鶴矢さんが連れてきてくれたフレンチ・レストラン『puits(ピュイ)』は、川沿いに建つ、真っ白な外壁が目立つおしゃれなお店で、平日の夜というのに、広いホールはほぼ満席。俺たちが到着したときは、ちょうどギターバンドの生演奏中で、温かく賑やかな雰囲気に包まれていた。 「明るくて、いいお店ですね!」  鶴矢さんにつげると鶴矢さんも自慢気だった。 「気に入っていただけて良かった。お料理も美味しいんですよ」 「シニョール鶴矢!」  奥から、彫りの深い顔立ちの男性がやってきた。フランス人で、ここの店長だそうだ。 「いらっしゃいませ。こんな時間に珍しいですね。お連れは……」  青い目で、興味深そうな視線を向けられる。鶴矢さんが紹介してくれた。 「こちらは透くんです」 「デートですか?」  思わず「イエッ」と叫んだ俺の横で、鶴矢さんはうなずいた。 「そうですよ。ですので個室をお願いします」 「承知いたしました」  俺はただの結婚相談所の客だけど……。わざわざ訂正するのも変だよな。ドギマギしたまま階段の上の二階へと進む二人に付いていった。  一階の広々としたホールとは違い、二階は個室ひとつしかない。おそらく普通の客には使わないVIPルームで、一番の存在感を放つ半月型のソファはベッドのように大きい。大画面テレビもあり、窓からは一階のオープンキッチンが見渡せるようになっている。オーダーは専用の電話から。呼ばない限り、スタッフは来ないそうだ。店長が部屋中のキャンドルを灯し終えると、やけにニヤニヤしながら「どうぞごゆっくり」と言って出ていった。  俺はなんだか恥ずかしい気分だったが、鶴矢さんは気にしていないようだ。 「どうしたんですか? 早く、奥へどうぞ!」 「は、はい……」  背中を押され、キャンドルの光の中、柔らかいソファに腰掛けた。ただでさえドキドキするのに、隣に鶴矢さんがメニューを広げて、「お腹ペコペコです」と無邪気に寄り添ってきた。 「コースは終了してしまったのでアラカルトでオーダーしましょう。ここの定番は、牛肉のローストですが、夜も遅いですし、重たければ他のものを……。季節のメニューも毎回好評です」  鶴矢さんのフレグランスの爽やかな香りに、つい上の空で相づちをうっていたのがバレたのか。 「では、オーダーをお願いします」  メニューを渡された。 「えっ!?」 「私はここのメニュー、見飽きちゃってるんですよね。透くんの気になるもので決めてください」 「で、でも、俺、フランス料理には詳しくなくて……」  というか、全然分からない。エスカルゴは知ってるけど食べたくないし……。 「構いませんよ」  「お願いします」と上目遣いで言われたら、もう断れない……。  トマトのデクリネゾン……  塩漬け鴨肉のロティ……  材料をヒントに想像するしかないな……。仕事よりも真剣にメニューを読み込んでいく。  鶴矢さんは横で静かに、俺を待っていた。ただし、ジーッと俺のことを見つめながら。  まさか顔に何かついている? 手で撫でて見たが問題なしだった。遅いからイラつかれてるとか……? ちらりと見たら目があって、慌ててメニューに視線を戻した。 「どうぞゆっくり決めてくださいね」 「は、はい」  鶴矢さんの視線が気になります、とは言えず……。なんとか決めて、顔を上げたときだった。 「────ひぁぅっ!? 」  突然フッと耳に息を吹きかけられ、飛び上がった。 「な、な、何するんですかっ!?!?」  耳を押さえながら抗議するも、振り向いた鶴矢さんに悪びれた様子はなかった。 「蚊がいたんですよ~」 「へっ」  俺の頬に蚊が止まっているのを見つけて、追い払ったそうだ。 「刺されてないか見ますね~。うん大丈夫で~すっ」 「そうですか……」  まだ耳がこそばゆい。が、今ので何に決めたか忘れちゃったから、確認しなきゃ……。再びメニューに目を落としたら、鶴矢さんが吹き出した。 「あはっ、ごめんなさい、驚いた声が可愛かったの思い出しちゃって……」 「忘れて下さい!」 「それはちょっと無理ですね。……ふふふっ」  そんなに笑われると、本当はイタズラだったのでは? と疑いたくなる。でも誘じゃあるまいし、まさか鶴矢さんがそんな馬鹿なことしないよな……。  一階のホールでのギター生演奏がフィナーレを迎えた。盛大な拍手が送られる。俺と鶴矢さんも、二階の窓辺から拍手を送った。 「良い演奏でしたね。それでは、食事をいただきましょう」 「はい!」  目の前のテーブルには、結局鶴矢さんが決めてくれた料理がズラッと並んでいる。  その少し前には、お店からのサービスだというシャンパンも届いて乾杯したので、俺の緊張もすっかり溶けた。 「もう一回乾杯しましょうよ」  二杯目のシャンパンで食欲もいっそう湧いて。生まれて初めてのフランス料理は言葉にならない美味しさだった。

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