28 / 45

第28話

 今となっては過去の恥ずかしい話だけど、俺は昔、誘のことが好きだった。  雨宮家の御曹司で、司法試験に受かる秀才で、洗練された容姿に品格を兼ね備えた美男子。 ──そんな俺の理想が全部詰まった、幻みたいな誘とは、大学の入学式で出会った。  そこは最難関大学の一つに数えられているけど、幼稚舎からエスカレーター式に上がってきた内部出身者も多い。俺もその一人で、平凡な学力にも関わらず法学部の新入生として迎え入れられ、満開の桜をくぐって入学式の会場の講堂にいた。  入り口で大学案内のパンフレットをもらって、カメラマンに両親との記念写真を撮ってもらった。その後、保護者席へ向かう両親と別れて一人になった俺は前方の手頃な席に着席した。  まわりは知らない顔ばかりだ。内部進学と言っても系列校は4つもあるし、10の学部と6つのキャンパスがあるこの大学には全国から学生が集まってくるのだから、当たり前だけど。  開式の時間が近づく。だんだんと新入生が集まって、俺の隣の空席にも誰かが座った。やけに視線を感じる。もしかして友達かと思った俺は、それまで読んでいた大学案内のパンフレットから顔を上げた。 「わ!?」  俺は思わず斜めにのけぞった。  隣に座った男が友達ではなく、知らない奴だったのは想定内として、横並びの狭い座席から身をのりだして、顔と顔がぶつかりそうなほどの至近距離まで迫っていた。  繊細な睫毛に縁取られた目をこれでもかというくらい見開いて、瞬きもせず俺を見つめている。 「なななななな、なに? なんか用っ……?」  この頃の誘は、すさまじく美形だった。  今もよく覚えてる。この日は前髪を上げて額をきれいに出していた。そこからアゴまで完璧な輪郭と、しなやかな眉、高く通った鼻筋、強い力で俺を捕らえている瞳、上品な薄い唇がバランス良く配置されていた。  身にまとうスーツはきっとオーダーメイドで、何か、とにかく花のようないい匂いがしてくる。胸につけられた学部別のリボンから同じ法学部だと分かったが、平凡な俺とはまるで別次元の住人。それが誘の第一印象だった。 「あの……、……?」  もう一度声をかけてみたが、イケメンはピクリとも動かなかった。まるで石化する黒魔法をかけられたみたいに。  この件を後日聞いたところ、この時の誘は、着席した瞬間に雷に打たれたかのような激しい衝撃が体を駆け巡り、さらに胸の中に現れた新しい扉がバーンと開いて、魂が抜けかけるという、予期しない幽体離脱を経験していたそうだ。……ハァ???  このときはまだ、このイケメンがただのバカだと知らなかった俺。きっとからかわれているんだと思った。  なにしろ俺は、高等部の卒業式後に海外留学する同級生に告白し、それが春休み中にSNSで広がって、変なDMも大量に来ていた。このイケメンも誰かのフォロワーで、俺のことを知ってたとしてもおかしくない。  DMは面倒くさいから無視したけど、ワザワザ寄って来てまでバカにすんなら俺だって黙ってないぞ! 「……あのさぁっ! 俺の顔になんかついてんならさっさと教えて!?」  答えたのは壇上の理事長だった。 「お静かに……」  いつの間にか辺りが暗くなっていて、入学式が始まっていた。周囲から乾いた視線を向けられる。俺は慌てて頭を下げた。すかさず俺と同じ高さにイケメンも屈む。 「ごめんね、俺のせいだ」  耳元で囁かれた甘い声には惹かれるものがあった。でも、大勢の前で恥をかかされて許してやるつもりはない……。  俺は無視した。 「ねぇ、君……」  次は膝の上に置いていた手に触れてきた。声を上げそうになったのをなんとか我慢して振り払った。 「ねぇ……」  何度呼ばれようが無視。なんなんだよ、このふざけた男は。早くこの場を去りたい。  粛々と式が進んでいった。壇上で、首席合格の新入生代表の名前が呼ばれた。 「はい」  立ち上がり、壇上に去っていったのはそいつだった。俺は唖然として見送り、挨拶のあと語り始めた抱負を聞いたがほぼ頭に入らなかった。堂々と語り上げたあと、俺の隣に戻ってきたときは緊張したが今度は大人しく正面を向いていた。 「さっきはごめんね」  入学式が終わって講堂に明かりが点くと、イケメンは再び俺の方を向いた。この後は各学部に分かれてオリエンテーションを受けることになっている。他の学生たちは次々に立ち上がって講堂の外へ出ていくが、俺はこいつの長い足が邪魔で通路に出られない。  足を組みやがって、絶対にわざと通せんぼしてる。 「君も同じ法学部だよね。オリエンテーション一緒に行こうよ」 「…………」  なにその上目遣い。入学式が終わり次第、逃げようと思ってたのに……。  ただ、ふざけているような感じはしなかった。真顔そのもので、俺の舌打ちにも嫌な顔をしない。 「俺は雨宮誘。誘って呼んで」  からかわれているという疑いは抱きつつも、握手を求められて断る勇気は俺にはなかった。 「う、うん、俺は……木原透……」 「透くんか。……よろしくね」  差し出された手に触れると、誘はそれまでの澄ました顔から、急にふにゃっと柔らかい笑顔になった。でもどうして俺? 友達なら地味な俺なんかより、他にもっとふさわしい奴がいるはずなのに。  案の定、オリエンテーションで誘は他の学生たちの注目の的だった。  俺は耳に入ってきた噂話から、彼が世界でも名高い、雨宮総合法律事務所の御曹司だと知った。  エリートを自負する学生、美人な女子大生など、我こそはと思う学生が次々に誘にアプローチしてきた。法曹界では権威ある教授さえ、頭を下げて挨拶に来た。  誘はそっけなくあしらっていたが引きもきらない。それで俺は一度離れて、会場に用意されていた軽食を味わっていたら、慌てて戻ってきた。さっきまでみんなにツンツンしてたくせに俺には笑みを見せて肩を抱いてくる。 「透くん、お腹が空いてるなら、食事に行こうか。さっきのお詫びにご馳走させて」 「ううん……」  俺はこれから、両親と俺の入学祝いの食事に行く予定だった。 「だからそろそろ行くね……」  また明日。……って言っても良いのか? 怯んでモゴモゴと口ごもる俺の手に、誘の手が触れた。 「なら俺、車で来てるから送るよ。行こ」  周囲の視線の中、俺は誘に手を引かれて教室を出た。  理事長に特別に用意してもらったという駐車場に停まっていたのは、赤いスポーツカー。同級生で春休みに免許を取って新車を買った(買って貰った)自慢はSNSで何度か目にしたけど、こんな高級車は一人もいなかった。運転も上手。両親が待っているというのに、ドライブが終わるのが残念で、どこまでも行ってしまいたかった。 「明日、教室に着いたら俺を探してよ。席二つ取っとくから」 「ありがと……」  俺たちは手を振りあって別れた。  その後は終始上の空で、食事中も絶えず顔がにやけた。両親がよほど大学生活が楽しみなんだと笑うので、俺は素直にうなずいた。 「父さん、母さん、無理して俺を名門に入れてくれてありがとう。俺、4年間精一杯頑張るからね!!」  両親は俺が一念発起して、司法試験に挑むのかと喜んだそうだ。何しろ苦労して息子を現役合格者全国一位の大学に入れたんだから。  だが申し訳ないことに、この時の俺は学業よりも誘への恋にはりきっていた。その後、一年足らずで儚くフラれるんだけど……。

ともだちにシェアしよう!