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第30話

 土曜の午後だから、銀座へ近づくにつれ道路が混んできた。しばらく共通の趣味のゴルフで会話が弾んだものの、今はなんとなく途切れてしまって、車内は静かだ。  なにか次の話題……。好きな食べ物でも聞いてみるかな? でもさっきトンカツラーメンの話をして、また食べ物の話だと、子供っぽく思われるかな……。  運転席の清一郎さんは前方に集中している。  気づかれていないのを良いことに、俺はその整った横顔をしばし堪能した。それから目線を落とし、シートベルトが締められた、たくましい胸にキュンとする。  ハンドルを握る手は大きくて指が長くて……少し開いた足も、鍛えてるだけあってたくましくて、俺が跨っても問題なさそう……。  (ごく)  溢れてきた生唾に喉が鳴った。  清一郎さんは銀座で買い物がしたいそうだけど、俺は正直、買い物よりどこか二人きりになれる場所に行きたい。そしてその胸に力いっぱい抱きしめられたい……。  夜の食事の後はすぐに解散かな。ホテルに誘ってくれるとか、ないかな……。 「──透くん? 顔が赤いですが大丈夫ですか?」  気づくと、清一郎さんが心配そうに俺を見ていた。 「暑い? エアコンをもう少し下げましょうか?」  前方のミラーに映る俺は、本当に頬が真っ赤だった。 「はは、はい! ちょっと暑いかもしれません!」 「では今すぐに……」  清一郎さんが冷房を強めてくれた。冷たい風のおかげで、俺の火照った身体も一旦冷静に。  あー俺ったら焦りすぎ。やっと初めての彼氏ができたから、つい欲求不満が暴走しちゃって……。  現状、清一郎さんが誘いをかけてくる気配は皆無だ。俺に向ける眼差しは紳士的で、スケベなど無縁な、清廉な雰囲気を漂わせている。俺がエッチな視線で見ていたと知ったら、きっと幻滅するだろう。俺も、誠実な清一郎さんにふさわしく、もう二度とエッチなことは考えないぞ……。 「これどうぞ。熱中症予防に」  俺が邪なことを考えていたとは知らず、清一郎さんが赤信号になるや、急いでレモンキャンデーの包みを取り出した。受け取る俺の手のひらに、清一郎さんの指先がそっと触れる。 「ゆっくり舐めてください」 「は、ハイ……」  ダメダメ平常心……。  信号が青に代わり、清一郎さんはあっけなく俺から手を離した。 「もうすぐ到着します」  清一郎さんの言うとおり、前方に老舗百貨店が見えてきた。入口に制服姿の店員が一列に並んでいる。何をやってるんだろうと思っていると、こちらに向かって一斉に頭を下げた。つまり、清一郎さんが乗ったこの車を出迎えるために待っていた。 「あそこで停めますね」  清一郎さんが堂々と正面に車を停める。すかさず体格の良い年配の男性が運転席に回ってきた。名札からこの百貨店の支配人らしい。 「いらっしゃいませ雨宮様。ご来店ありがとうございます。当店外商部一同、お待ちしておりました」 「どうもお世話になります。こちら、木原透くん」  清一郎さんが俺を紹介すると、支配人は俺にも深々とした礼を向けた。  サービスマンによって外側から運転席側と俺の座る助手席側のドアが開かれる。俺と清一郎さんが車から降り、代わりに運転手が乗り込んで清一郎さんの愛車が駐車場に運ばれていく。  歩道に降りた瞬間、居合わせた通行人から興味深そうな視線を浴び、一瞬怯んだ。しかし続いて車道側から清一郎さんが現れると、注目は一斉に清一郎さんへと向いた。 『かっこいい。俳優、それとも背が高いからモデル?』そんな声が聞こえてくる。無断でスマホのカメラをかざす女子グループまで。すぐさま駆け寄ったスタッフに追い払われた。  清一郎さんはその人たちを全く視界に入れずに、運転中に脱いでいたジャケットに袖を通しながら、支配人と談笑している。 「お願いしていたものは、到着していますか」 「はい、ご用意できております」  そうですか、と清一郎さんの嬉しそうな声。 「あれは、なかなか手に入らない品だそうですね。ご無理を言ってすみません」 「とんでもございません。バイヤーの腕の見せ所です。雨宮様は特別なお客様ですから、どんな品もご用意させていただきます」  そんな会話が聞こえてしまったからには、俺までワクワクしてしまう。  清一郎さんは、なにかそうとう貴重なものを注文し、今日はそれを受け取りにきたようだ。庶民の俺に思い浮かぶのは、高級腕時計やジュエリー、ヴィンテージワインとか。連れてきてくれたからには、きっと俺にも見せてくれるよね。 「透くん、行きましょう」  清一郎さんが俺の隣に立つと、大勢のスタッフを引き連れて館内に入った。  高い天井に輝くシャンデリアが飾られた館内はクラシック曲が鳴り響き、早くも秋物が並んでいた。しかしそれを清一郎さん一行は当然のように素通りして行く。行き止まりのさらに奥まで進むと『お得意様専用』のこじんまりとした隠しエレベーターに乗り込み、最上階のさらに上の、特別サロンへ。  チーンと古風なベルと共に扉が開くと、眼前にヨーロッパの高級ホテルのようなシックな部屋が現れた。  ひときわ存在感を放っているのは金縁の大きな鏡。その両側に配置したハンガーラックやテーブルに、ブランド店から派遣されてきたと思われる販売員たちがそれぞれの商品を忙しく並べて、部屋の中が服・バッグ・靴・腕時計などで埋めつくされている。  この光景には見覚えがあった。  学生時代、誘がここで買い物するのに俺も付き合った。選びにきたのは海外のパーティーに出席するためのタキシードとアクセサリーで、俺の趣味で決めてといわれても、試着したどれもが似合ってて、簡単には決められなくて……。  またここに来ることになるなんて思わなかったな。  ぼんやりと部屋を眺めていると、「雨宮家は長年この百貨店にお世話になっているんです」と清一郎さんが教えてくれた。

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