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第五章 オメガになったアルファ①
今日はいやにフラフラする。
昼食もあまり喉を通らなかったし、冷房の効いていない学校の環境そのものに、渉はなかなか適応できずにいた。
当たり前なのだけれど、夏は暑いし冬は寒い。一年中、整った空調が行き届いていた室内で生活していた渉には、夏の暑さが想像以上に体に堪えた。体がいやに火照るし、怠くて仕方がない。
「帰る前に頭を冷やしたい……」
六時限目の体育の授業は特にきつかった。日差しが強いからと体育館でバドミントンをしたのだが、もう少しで倒れそうになってしまった。
何とか教室まで辿り着き制服に着替える。クラスメイトたちは楽しそうに話をしていたけど、今の渉は声を出すことすら辛かった。逃げるように教室を後にする。
人気のない廊下まで来て、流し台にもたれかかるようにしながら蛇口を捻る。蛇口からは勢いよく水が噴き出してきて、それを夢中で飲んだ。
『は? こんな汚い水道の水飲めるの?』
『飲めるよ。だっていちいち自動販売機で飲み物買ってたら、お金がかかって仕方ないだろう?』
『えぇ、腹壊しそう……』
『大丈夫だよ。喉が渇いたときに飲む水って美味いんだよ』
そう教えてくれたのは正悟だった。はじめの頃は、誰が使ったかさえわからない蛇口から出てくる水を飲むことに抵抗があった。でも今は、高い外気温のせいで温くなった水でさえとても美味しく感じられるから不思議だ。
火照る体を冷やしたくて頭から水を被ろうとした瞬間、背後から「渉」と聞き慣れた声が聞こえてくる。その声を聞いただけで、渉の体がピクンと反応した。
蛇口から溢れ続ける水の流れがスローモーションのように感じられて、渉の周りから音が消えた。
「渉、あのさ、ちょっと話があるんだけど……」
その声と、いつもより速く脈打つ心臓の音だけが異常に頭の中に響く。
恐る恐る振り向けば、そこには正悟がいた。
あんなに会いたかったのに、怖くて会いたくなかった人。それなのに、名前を呼ばれただけで胸が締め付けられるように痛むのはなぜだろうか。
「渉、僕の話を聞いてくれるかい? やっぱり、僕は納得なんかできないよ」
「…………」
初めて見る正悟の必死な表情に、渉はその場から逃げ出したい衝動に駆られる。唇をギュッと噛み締めて走り出そうとした渉は、正悟に腕を掴まれた。そのあまりの力強さに、思わず顔を顰めた。
「お願い、僕を避けないで」
「べ、別に避けてなんか……」
「なんでそんなわかりやすい嘘をつくの? 友達として接してくなんて嘘じゃん。それに本当は生まれ育った環境が違うからとか関係ないんじゃないの? ねぇ、やっぱり僕、渉に何かしたかな?」
「正悟は別に何も……」
「じゃあ、なんで僕を避けるんだよ?」
「しつこい! 避けてないって言ってんじゃん!?」
正悟は今にも泣き出しそうな顔をしながら俯いてしまう。渉はつい、声を荒げてしまったことを後悔せずにはいられない。掴まれた腕の力強さが、正悟の心の悲鳴のように感じられた。
「なぁ、渉。僕たち友達だろう?」
「……友達……?」
「そう、友達」
「そうか、友達、友達か……」
友達、と言う言葉を噛み締めるように数回呟く。その響きが胸の奥で鈍く反響する。そして、渉の目の前が真っ暗になった。
友達、友達……。
そうか、やっぱり自分達は、所詮友達だったんだ……。
全身の力が抜けていき、立っているのがようやくだった。
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