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1-1狂って叫んでおちてゆけ
はるかずっと、海の遠く向こうまで行くとどうかは分からないのだが、この大陸と周辺の島国では、男女という性別のほかにもうひとつ第二の性別があった。
男にも女にも子供を産ませることができるα、体の形通りのβ、男女ともに子供を産むことができるΩというものだ。
希少な性別はαとΩであり、一番多いのはβだ。
αは他の2つにとってカリスマ的な魅力を持つものが多く、Ωはその体質から子孫を残す道具として拉致されたり虐げられたりすることが多い。
その中で、東のとある大国シャルシパはΩの国民が他と比べて比較的穏やかに暮らせる場所であった。
そのシャルシパでのことだ。
深夜の城下町、提灯の灯が消え暖簾が下ろされた大通りの中を数人の男達が駆けてゆく。
目から下は布で顔を覆っている。身のこなしも無駄がない。
その所謂刺客の一団は大通りから建物の隙間の細い道をぬけ、塀から家々の屋根に飛び移る。
特別な訓練を積んでいるのだろうか、微かな足音もたてず墨を溶かし込んだような夜の闇を滑るように走ってゆく。
やがて彼らは町の中心部より少々離れた下宿屋の庭に降り立った。
この国の兵士たちが宿舎として利用している物の一つだ。
「ここか、頭」
一人の男が、先頭を走っていた男に小声で尋ねた。
頭と呼ばれた男は頷き「獲物は二階、手前から三番目の部屋」と仲間達につげ、数人は裏口へ、一人はこの庭で見張るよう指で合図した。
そして話しかけてきた男には共に来るよう目配せし、表の扉に回り込む。
付いてきた男が懐から細い器具を出して扉と壁の間に差し込み、手慣れた様子で内側にある小さな閂を外そうとする、その瞬間だった。
男は扉ごと吹っ飛んだ。
刺客の頭目は咄嗟に身をかわしたが、鼻先を扉の金具がかすっていく。
何が起こったのか理解できぬまま下宿屋入り口へ目を向けた途端、顔面に強い衝撃を受けた。
生ぬるいものが鼻から吹き出し口の中に鉄の臭いが満ちる。
転がり倒れながら鼻血だと理解したと同時に、激しい痛みがきた。
砂埃と血に曇る目で顔を上げると、下宿屋の中はぽつぽつと明かりが点き始めていた。
襲撃は察知されていたらしい。その明かりを背にした人影が戸口に立っていた。
逆光になってはっきりとは解らないがおそらく十五、六くらいの少年………いや、少女。
髪は短く兵士の通常衣をまとっているが、線が華奢だ。
鋭い形の目がこちらを見据えている。
拳を構えているのを見て、刺客の頭は自分がこの少女に殴り飛ばされたのだと知った。
仲間を扉ごと吹っ飛ばしたのもこの少女だろう。
「……イスルギコノカだな?」
彼は少女の目を見て問いながら鼻血を拭い、小刀を構えた。
自分が一人の少女に容易く殴り飛ばされても驚いた様子がないのは、いま口にした『イスルギコノカ』という言葉に事情があるようだ。
するとイスルギコノカと呼ばれた少女は、この辺りでは非常に珍しい黒い瞳を刺客の頭目に向けたまま、拳をおろし力を抜いて片手を腰に当てる姿勢をとった。
そして低くざらついた声で、
「さん」
と言った。
何だ、と刺客の頭目が思う内に少女は、
「にい」
とカウントを続けた。
低いのは地声らしい。
無感情なままの、
「いち」
という言葉が出た直後、彼は仰け反って膝からくずおれた。
胸から腹の下までが突然ひっかき回されるような感覚に襲われたのだ。
イスルギコノカの後ろからこれも兵士らしい一人の少女が飛び出してきて、彼に飛びかかる。
あまりのことに刺客の頭目は抵抗することなど忘れ、そのままに取り押さえられてしまった。
「おお、そっちは片づいたみたいだな」
庭の方から若い男がやってきた。
こちらはコノカ達の仲間のようだ。
長い髪を後ろに束ねていて、簡素な通常衣の上からでも鍛えられた体であるのが見て取れる青年だった。
明るい赤の瞳を持つ彼は根っから人好きそうな笑顔で、少女達の無事を確認した。
「ほかの奴らは裏に二人、庭に一人。みんな押さえたぞ」
言っている彼の後ろから取り押さえられた刺客達が引きずられてくる。
「コノカ。すまんがもう一仕事頼む」
彼の言葉にコノカは頷き、肩を大きく回しながらそちらの方に歩いていった。
それと入れ違いに赤い瞳の青年は少女に取り押さえられた頭目の前に立ち、簡単な呪文を唱えた。
「どうだ。簡易のものだから効果はそう持たないが、少しは楽になったろう」
そう言って刺客の顔を覆う布を取ると、布の下から出てきた顔は赤い瞳の青年とさほど変わらない年齢に見えた。
と、顔を殴られた腫れとは別に、目の周りがみるみると赤らみ始めた。
赤い瞳の青年は取り上げた布で自分の口と鼻を覆った。
「いかんいかん。ヒートだ」
「殿下、安全な場所へ」
少女が慌てて赤い瞳の青年を遠ざけようとする。
すると仲間の一団の方から一人が駆けてきて、赤い瞳の青年の肩をたたいた。
「俺が代わりに。兄上は牢番への手続きを頼む」
兄を下宿屋の中に追いやって交代したのは、青い瞳の青年だ。
刺客の頭は混乱していた。
さっきの男が施した呪文が効いて、内臓がこね回されるような感覚はいくらか和らいだが、その苦痛に気を取られないぶん言葉は耳に入る。
ヒートと言っていなかったか?俺が?
彼の表情を見て青い瞳の青年は、ああという顔をした。
「あんた…αって貫禄でもねえからβか。俺と仲間だな!さっきまでだけど!
いやあΩになった途端にヒートが来るなんて、なんつーか、気持ちの整理が追いつかねえよなあ、ドンマイッ!!
さてユールー隊員、我らが頼もしき友・狂叫拳のコノカについて説明して差し上げてくれ。どうせ監獄行きだろうから、ここは包み隠さずに」
彼は親指を立てて清々しく笑い、頭目を取り押さえている少女にあとを丸投げした。
「は」
青年のテンションに少々うんざりした声で、ユールーと呼ばれた少女は返事をした。
「呆れるなよう」
「はあ」
気の抜けたやりとりが聞こえるが、それよりもその向こうで行われている事柄に頭目は釘付けになっていた。
取り押さえられ横一列に立たされた自分の仲間たちが、コノカに順番に殴られていた。
一発食らった途端、みな彼と同じように悲鳴を上げて倒れ込んでいる。
「もしかして、コノカの力を知らずに彼女をさらいに来たのか」
ユールーはまた呆れた声で言った。
「イスルギコノカはこの国に召喚されし救世者。優れた能力をいくつも身につけているが……」
一呼吸ほのかな憧れがこもった溜息をついて、煌めく薄水色の瞳をコノカへ向け彼女は続けた。
「祈りを込めて正拳裏拳手刀などの殴打技で暴こ……打った相手の体をΩに変えることができる、聖なる拳の超 αだ」
暴行と言いかけなかったか。
そう疑問を呈したかったが、それより得体のしれない恐怖が勝り悲鳴のほうが先に出る。
結局その後、彼はユールーに締め落とされた。
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