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Chapter.1-1
ただアルバイト先から徒歩十分程度の道を談笑しながら並んで歩く。たったそれだけのことでも冬榴にとっては日常の中にある小さな幸せだった。
丁度中間地点に差し掛かる頃、緑の多い自然公園があり僅かな街灯の中で鳥や虫の声だけが響き渡る。
「すいません、本当ならお茶でも出せたら良いんですけど……」
肩が触れそうで触れ合わない距離感。マサミチにはこうしてもう何度か夜遅いシフトの時に自宅マンションまで送って貰ったことがあるが、今まで一度もマサミチを部屋に上げたことは無かった。
それもそのはずで、冬榴はこの公園からも見える高層マンションの一室にひとりで住んでいる訳ではなかった。
「いいんだよそんなの。気にしないで、僕がしたくてしていることなんだし」
これが大人の余裕というものなのか、冬榴はマサミチの横顔を見上げて思案する。冬榴はそんなマサミチの余裕を素直に「格好良いな」と感じていた。
「親戚の人――だったよね、一緒に暮らしてるの」
「あ、ハイっ」
冬榴の出身地はこんな都心の近くではなく地方の山奥であり、二十歳の節目に冬榴が都会に出て来ることに対する条件のひとつが親戚との共同生活だった。金だけはうなるほどあるらしい実家からの援助で、冬榴ひとりの力では到底暮らし得なかった高層マンションに居を構えることが出来たのも、この親戚の存在にあった。
「昔から良くしてくれる遠縁の人で……その人と一緒ならってこっちに来ることも許して貰えたくらいなので。それに――」
そこまで言って冬榴は言葉を呑み込む。それは危惧すればする程現実に昇華してしまいそうで、言葉の代わりに冬榴は片腕を伸ばしマサミチの背広を掴む。
「トオルくん?」
「あっ……」
逸る気持ちが言葉より先に行動へ出てしまった。もしマサミチの存在が冬榴の同居人である春杜にバレた場合、奪われてしまう可能性が大いにあったからだった。
親戚である冬榴から観ても春杜は魅力的であり、その年齢がアラサーだと知ると誰もが最低一度は疑う。春杜に粉をかけられ誘惑に落ちない男はいないということは親戚である冬榴が一番良く分かっていた。だからこそ春杜にマサミチの存在を知られる訳にはいかず、送って貰う場合にも家の前までを限度とさせて貰っていた。
ただマサミチを横取りされたくないという気持ちが先行して思わず掴んでしまった袖口だったが、それをはしたないと感じた冬榴は弾かれたように即座にその手を離しマサミチから離れるように一歩後退しようとする。
「いいのに、離さなくても」
今度はマサミチから、離した冬榴の手を掴む。それは決して色気のある繋ぎ方ではなくただ離れる手を引き留める為のものだったが、直接手と手が触れ合うその感触に冬榴は息を呑んで硬直する。
「あっ、ゴメン……」
冬榴の緊張が伝わってしまったのか、咄嗟に掴んだ手すらもマサミチはすぐに離す。自分が袖口を掴んだ時にはすぐに離したのに、掴まれた手を即座に離されるとそれには勿体なさを感じ危うく無念の声を上げそうになりながら冬榴はマサミチを見上げる。
「嫌だったよね。こんなオジサンにいきなり手なんて掴まれて」
「嫌なんかじゃ……!」
まるで誘導のようにも思えるその言葉に対して反射的に冬榴はマサミチの手を取る。それはマサミチの手に触れることが嫌な訳ではないという意志の現れであり、片手ではなく両手でマサミチの手を握り返した冬榴はマサミチの顔を不安気に見つめる。
人間というものはこういった時いたく厄介であり、こうして触れ合い目を合わせるだけでは何も伝わらず、大切なことは言葉にしなければならない。
奪われるかもしれないという恐怖に怯えるくらいならば、もっと早く言葉に出して伝えておけば良かった。ただいざこうして言葉に表そうとすると伝えるべき言葉が上手く出てこない。
「マサ、ミチさん……俺は、そのっ……」
じわじわと身体の内側にある熱いものが全身へと拡がっていくような感覚があった。心臓の鼓動がやけに早いのに反して頭の中は真っ白で成功するビジョンが全く見えない。もしそれを伝えて「そんなつもりは無かった」と言われてしまった場合、これまでと同じ関係でいられるのか、マサミチの手を握る両手の指先に力が篭もる。
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