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第6話 レモングラス

 「今日…暑くなるってさ…」  朝、目が覚める前にそう耳元で言われた気がするのは、一緒に住んでいるはずのセリ姿が無かったからだろうか?  「バイト…だっけ?」      ベッドからのそっと起きあがりながら寝惚け面からの大欠伸。   何とも、間の抜けた面が窓ガラスに映った。  外は、暑苦しいぐらいに晴れて無風。  アパート下の何本か先の路面のアスファルトを逃げ水が、揺れているように漂っている。  わざわざ窓を開けなくても、外の暑さが分かって、自分でも驚くぐらいにうんざりとした気分のままに冷蔵庫からレモングラスとハーブのお茶を取り出し…    グラス一杯に入れた氷で飲み干す。  ツンとハーブとレモングラスの香りが、鼻の奥を通っていく。  冬場は、これをホットにして飲むが良いとアイツから進められて飲んでいる。  俺は、セリからすると水分をちゃんと摂って居ないらしい。  でも俺は、水分を摂るのが得意じゃない。  喉も渇かない程度に飲んでいるが、どこに居ても水分の存在を飲み忘れているようだと心配したアイツが、よく自分の家で子供の頃から飲んでいるって言う飲み物を作って置いてってくれている。  仕事場には、多目に作り置きしてくれて…  気を利かせたセリが、業者さんやお客さんに出すと、かなり確率で喜ばれた。  まぁ…人当たりもいいし。  可愛いし。(人によっては、美形だって意見もあるけど…)  俺は、アイツが可愛くて仕方かない。  でも、付き合って居るっていうのにも関わらず。  素っ気ない。  で、その姿のまま俺の視界に入り込む。  付き合っているけど色々と、拒まれるとかって事は流石にないけど…  本当にセリが、何を考えているのか正直、分からない。  何って言うか、甘えても来ない。  寧ろ俺の方が、粘着しているんじゃないか? ってぐらい俺に対しても、誰かに対しても同じ接し方だった。  焦っていた。  誰かと同じような捉え方とか、今までの付き合いには、無かったから。  俺は、バイで誰とでも付き合えてきたけどアイツは、ゲイだから好きになるのも、付き合えるのも同性でだけで…  性格は、固執したがる俺と、何に対しても執着してなくてドライなセリとは正反対で、少しの言い合いや私生活に対しての小言は、付き合う前から言われ続けてた。  何を、わーわー騒いでいるんだと、楽観し過ぎていて…  それに対しても、怒りの沸点がよく分からなかった。  俺自身、アイツが可愛い顔してムッて、怒ってる表情も悪くなかったし。  まぁ…何に対して、怒っているのか単純で無頓着な俺は、無意識に傷付けていたんだと思う。  甘えていた。  そんなガキみたいな感覚だった。  勝手に邪魔扱いも、したこともある。  “ うっせぇーな… ” とか毒まで吐いて…  それでも、表情を変えないセリにウンザリした。   そりゃ…行動も、仕草も、表情も、何を考えているのが、分からないぶん。  俺には、興味すらないのかって、投げやりな気持ちに辿り着くんだ。   顔をなんって、見たくない。  そうは思っても、元々が同じ大学の同じ学科だし。  選考し受けている講義も、そう言う話し合いの場も、照らし合わせたように同じ。  コレは、いつもの飽きが来たんだと直感した。   知り合いに、誰か紹介しろと言い紹介してもらい。  その相手に手を出した。  そりゃ…  本命みたいな存在が居る俺にとっては、背徳感半端ないをけで、浮気相手に溺れないはずがない。  あっという間に相手との時間が、増え分。  相手の部屋に入り浸ったり。  その時間を、楽しんでいた。  その間にも、セリとの共通の友人達からは、  『そんな中途半端な付き合いなら。別れてから付き合ったら?』    と、苦言された。  それに対して俺は、  『アイツとは、もう終わってるって』  悪びれたわけでもなく。  俺の口を、ついて出た言葉に周囲が、ザワ付いた。  セリが、その場に現れたからだった。  講義場は、異様な空気になった。  セリは、元々目立つ容姿だったし憧れているとか、お近付きになりたいと、本気で思うヤツらも多かった。  その中で、俺が押し切る形で付き合い出した事も合って、俺は自慢しまくった。  大半は、二人が良ければいいんじゃない? と言う言葉に…  前から俺の事を知る友人知人達からは、セリに対して別れろと言ってきたらしい。   『コイツは、二股とか平気でするヤツだから。早々に別れろ!』  『ロクな目に合わないから。本当に気を付けてね』  その忠告が、現実となって俺らに降り掛かった。  いつもは、隣同士の席に着くことが多いのに、セリが着いた席は、出入り口付近の一番上。  来るだろうと荷物を置いて取っていた席は、空席のまま講義は終わり。  俺は講義場を後にするセリに、すがるよう廊下で腕を掴んだ。  『あのセリ!』  不機嫌そうに振り返った。  『……………』  『そのさぁ…さっきのは…』  『知ってた』  『はぁ?』  知ってた?  俺の方が、言葉を失ってた。  『お店の方でも、一緒に居たでしょ?』  『いや…あれは…』  確かに連れ込んだ。   仕事場と店が、見たいってせがまれて。   『別れようよ…』  あんまりにも、簡単に…  あっさりと俺は、振られようとしている。  『アサキの部屋にある僕の荷物は、引き取ってあるし。それと…』  ゴソゴソと自分のバッグを漁るセリは、鍵を取り出し俺に突き出す。    『コレ。預かってた部屋の鍵…返すね…』  急に差し出されたモノだからってのもあるからか、はずみで受け取ってしまった。  ひんやりとした鍵の感触が、アイツの言葉のトーンに似ていて、別れを承諾してしまったと同じ情況になった。  俺とセリが、別れる?  俺アイツの事、嫌いだったけ?  馬鹿みたいに自問自答までした。  『セリ!』  『何?』  『俺…別れないから』  『……勝手にすれば、でも僕はもうそっちには、行かないから…』    殆ど話さなくなっても、講義は被る事が多いし共通の友人も多い状況に俺は、うんざりした感覚になっていた。  セリも、また好きこのんで俺に接しようとはしてこないし。  俺も、気楽に振る舞ってた。  そんな情況から二人は、別れたと周りにはバレバレで…  その後は、あからさまに俺に言い寄るヤツが女男関係なく圧倒的に増えた。  それは、セリも同じで…  必ず俺以外の誰かが常に居るようになった。  俺が見ている目の前で誰がが、セリを呼び止めて近付き肩を叩く。  そして、楽しげに談笑する。  このまま他の誰かと付き合う姿が、現実に迫っているようで嫌だった。    そう言えば、レモングラスとハーブのお茶だいぶ飲んでない。   ハーブティーに近いと言われて、取り敢えず買って飲んだお茶の味は、最悪で…  俺は、既に渇き切ってた。  『私…セリくんに告ろうかな?』  『マジで?』  えっ?  『でも、セリくんって異性に興味なっていた聞いたけど…』  『まぁ…そうなんだけど、友達になりたい的な? だってあの容姿に、あの顔だよ?』  『まぁ…確かに…それは、分かる…後は、あわよくばとか?』  目の前を歩いてく女子たちが、ケラケラと笑っている。  『それに、噂で聞いたけど…あのタラシと別れたって話し聞いて、目の色変えたヤツ多いらしいよ!』    やっぱりか…  『…くそ……』     動揺しまくる気持ちを抑えて、仲間達と談笑してみたが…  冷静になってから。  また漠然とアイツが、俺以外の誰かと付き合ったらと考えると、激しく動揺した。  浮気して傷付けておいて楽な方に逃げた俺が、セリの恋愛とか付き合い方にどうこう言う資格は全く無いなのに、アホみたいに自分を責めた。  そして、どこからかアイツが、誰かに告られたと聞かされたり。  付き合う寸前だと噂話を耳にしては、腹を立て…  こもるように仕事場で、自分にとっての最悪な光景を想像しては、塞ぎ込みながらまた自分勝手にセリに限って、別れて直ぐ誰かと付き合うとか、有り得ないと首を振った。  そんな俺を見兼ねて…  『別れたんでしょ? 気晴らししたら?』  『遊ぼう!』    やめときゃ良いのに…  知り合いの言葉に乗せられて…  男女関係なく3人くらいと付き合った。   別れた事による。  寂しさか…  憂さ晴らしか、無い刺激を求めて…  その中で知り合った年下の男が、割りと綺麗目で…  セリにダブってしまってしまい極端に会う頻度が、増えていった。  俺達は、別れているんだし浮気じゃない。  互いに別の学校だったからと、どちらかの大学の近くにわざと待ち合わせをした。   自慢したかった。  見て欲しかった。  見返したかった。  振り向いて欲しかった…   何度目かの待ち合わせの時にセリが、近くを通り掛かったのには、驚きつつも…  作戦通りなんって…  アホみたいに思ったりした。    なのにセリは、無言で通り過ぎだけだった。  目も、合わせてはくれず自分が、思っていたのとは違う展開に変な動揺が、俺の気持ちをざわつかせた。    『どうしたの?』  『えっ…』  『早く行こう! 買い物に付き合ってくれるんでしょ?』  『あぁ…』    俺…  セリに無視されてる。  そう言えば、ここ最近。  視線が、合わない。    そりゃ…そうだよ。  俺達は、別れているんだから。   視線が合うわけない。  あれ?  俺…セリの事が、嫌いだったけ?  向こうは、俺が嫌いで別れたって思っているのか?    別れたくないのに?  セリと別れるなんって、やっぱり有り得ない。  じゃなんで、このコと付き合ってんの?  『アサキさん?』  『えっ…あっ、何?』  『なんか変…話し掛けても、ずっと、上の空だし……』  『そんなことは…』  『門の前で、擦れ違った人ですか?』  『いや…あれは…』  『前カレとか? 別れたって言いましたよね?』  『別れたって言うか…』  『ボクの方が、浮気相手だったりして?』  『……………』  『最低ですね…』  年下で小柄だからって、油断してたら思いっ切り殴られてた。  翌日、頬を腫らして微妙に血が滲む傷口をガーゼで押さえながら講義に出たら良い笑いものにされた。  周りからの冷ややかな視線に耐えられなくて、午後には部屋のベッドに横になりながら項垂れていた。  唇を切ったものだから。  少しでも、口を動かすと響いて自業自得って言葉が、身に沁みた。  まぁ…  歯が折れなかったのが、救いか? なんって考えていたが、どうしても腹は減る。  ただこの口では、飲み物や食べるのに口を開けることも、噛むことも出来ず。  飲み物はしみるで、四苦八苦していると不意に鍵を締め忘れてた部屋のドアが、静かに開きタイミングを、見計らったみたいにセリが立ってた。  何も言わず。  聞かず。   大き目のマイボトルを、部屋の机に置くと、その隣に咥えて飲めるゼリー飲料を置いた。   『セリ…』  『消毒したの?』  『……………』  薬箱なんってない部屋にセリは、消毒液やガーゼ類を買ってきて、手当をしながら俺の口元に触れた。  そんな事されたら。  タガなんってものは、簡単に外れる。  ついなのか、故意か…  俺は、セリを抱き締めていた。  やっぱり。  セリとは、別れられない。  『別れたくない…』  でも、セリは相変わらずな態度を見せる。  別れては、元に戻るなんって関係を、それからもずっとしてきた…  最初のこの3~4人までが、本気の浮気。  後は、少しでも俺に関心を持ってもらいたかったが、気持の大半を占めていた。  本気で心配してくれて、見守ってくれるって事は、自分に対して本気だって事だし。  終いには、嫉妬させたい。  そんな気持ちの俺に知り合い達は、浮気相手を演じてくれた。  それが、毎回最悪な形でバレるもので…  バレた時のセリの表情に安堵さえした。  あぁ…コイツも、こんな顔すんだ。  嫉妬されてるとか…  俺は本当に好かれてると、単純に思ってた。  振りの浮気を2回目、3回目と繰り返しているうちにセリが、困った顔したり。  嫉妬するみたいな視線を、俺に向けてくる事に浸ってた事実もある。  本命のセリが居るのに遊びでも、浮気はマズいと思った最初のマジな浮気とは違って振りの浮気に俺が、罪悪感なんって感じる訳もなく俺だけに興味を惹かせたい気持ちが、強くなりすぎて振りの浮気を止められなかった。  『お前さぁ…いつか、痛い目に合うぞ』    『ハァ?』  俺は、そう笑って返した。  知り合い達も、仲間内での話しだけだと釘を刺した。  それでも、セリは相変わらずな態度を取り。  本心が見えなくて…  散々、周りに相談して愚痴って、最後は実力行使って訳じゃないけど…  例のシルバーアクセのプレゼントに行き着き。  最終的に指輪を送って、自分なりのけじめを付けようとしたら。  こうなった。  これが、セリからの答えなのかと思ったけど…  やっぱりセリだけは、諦め切れなかった。  互いに思いが、一方的だったとしても、もう少し寄り添えたかった。  そしたら…  俺とセリは…  『ちょっと! 聞いてんの! アサキ! あんた探す宛は、あるの?』  手に握りしめていたスマホが鳴り走りながら出てみると相手は、ハナだった。    「宛…」  『今、ユヅくんが、アンタの仕事場に来た所なの…で、ユヅくんの話だと、スマホの番号もメッセージとか全部のID、変わってるって…』  「…だから?」  信号待ちの交差点で、息を整え噴き出す汗を拭い返事を返した。  「…大丈夫。絶対に探し出すから…」   『えっ…』ブチッ。  セリが、俺を何とも想ってなくても、何も見てくれてなくても、その分しつこく俺はセリを見てきたつもりだ。  セリの行きそうな場所。  アイツは、人に好かれやすいってだけで…  人付き合いは、二の次。  特に親しい人なんって、聞いた記憶がない。  アイツの行動範囲は、あってないようなものだ。  セリからの返信が、途絶えたあの日も、俺はアイツが立ち寄りそうな場所を駆け回った。  バイト先によく使う駅にバス停。  大学の構内。  よく一緒に歩いた道とか…  それで、最終的に辿り着いたのが…  その時に住んでいたアパートだった。  部屋を引き払ったのは、3ヶ月前だから今となっては、空き家か見知らぬ人が、既に入居した後かも知れない。    大学の通り道では、あるものの今では略素通り状態だ。  建物はフェンスがあるぐらいで、敷地内には簡単に入れるだろうけど…  セリが、居るって保証はない。    でも俺の足は、その方向に向かって走っていた。    セリは俺が居てもいなくても、必ず部屋に立ち寄ってくれた。  それに、別れたあの日にセリが、最後までそこにいたから…  そんなのが、理由だ。  行っても、そこに居る保証はないのに全力で走ってる俺は、そうまでしてセリに会いたがっているんだろう。    汗で視界が、滲む。  この路地裏を、右に曲がって直線道路を少し進むと、赤茶色の壁のアパートが見えてくる。   2階の角部屋で、手摺になっている所にうずくまっているような見慣れた人影を捉えた。  早く駆け寄りたくて、足早にその人影の前に立つと、人の気配と足音に肩がピクッと動いた。  わずかに上げられた顔は、少しやつれていて…  「…セリ」  名前を呼んだけど、無反応で…  こっちに振り向い顔が、少しげっそりしていたことに驚いた。  顔は相変わらずキレイなのに、病的なキレイと勘違いしそうな程酷く痩せて見えた。     「セリ!」  俺は、手を差し出した。  でも、アイツはためらうように腕を動かさなかった。  今更。どの面下げてと悪態をつかれる覚悟で腕を掴んだ。  やっぱりその腕も、1回り痩せたように感じた。  「俺…ここには、もう住んでないから。行こう…皆、心配してる…」  「…………」  「帰ろう…」   力無く頷いたセリの目からポロポロと、涙が溢れる。  支えるように背中を擦るとセリは、俺にしがみついた。  「大丈夫だから」  「うん…」  ポンポンと、俺はセリの頭を撫でる。  本当に俺とセリは、単純だ。  互いに相手を、傷付け傷付けられても、互いを感じられるこの距離に俺達は、心底安心しようとしているのだから…  「セリ歩ける?」  「…んっ…」  おぼつかない足取りにセリの顔を覗き込むと、小さく寝息を立てているようにも見えた。  「寝てるのか? ってか…」  ここ人んちの前だぞ…  慌ててセリを抱き起こし背負いながら敷地内から出ると、同時にハナに連絡を入れた。  「セリ無事に見付かった。でも…寝ちゃってて俺、今背負っている状態で…」  少し目立つ朝の混雑時。  変に悪目立ちしてる感じが、半端ない。  『分かった。タクシーを向かわせるから。今ドコ!』  「俺の元アパート前…」  『何で、そこ?』  「分かんねぇーけど…ここかなって…」  『さすが…腐っても、元恋人…』  「…うっせぇーよ。取り敢えず。コイツの弟に言っとけ。見付けたって!」  『分かったわ…取り敢えず。ご苦労様』    「あぁ…」  何に安心したのか、本当にセリは、眠ってしまった。  それにしも、こんなに軽かったか?  痩せてしまった原因の殆どが、俺にあると思うと居た堪れない気持ちになる。  コトンッ。  そんな音が、足元でした。  何かが、朝日に当ってキラッと光る。  セリが、何かを落としたのか?  バランスを取りながら右手で、その何かを拾い上げた。  それは、あの片方だけの…  「ピアス…」  これだけを、ずっと手元に置いてくれたのか?  使い古したシルバーアクセ独特な風合いになっていて…   少し嬉しくなった。  直ぐに、眠ってしまったから言葉は、交わせなかったけど…  背中で眠るのは、間違いなくセリだ。  俺は、ハナが寄こしてくれたタクシーが来るまでの間。  セリの存在を背中で、感じていた。    2  『大丈夫』    夢の中で、母とアサキの大丈夫って声が重なって聞こえた。    安心できて、久々によく眠れた気がした。  目が覚めるとそこは、快適な室温で起きたばかりの頭では、そこがどこなのか思い付きもしない。  自分の部屋じゃない。  でも、見たことがある内装。  2度寝でもしそうな程に、ゴロゴロしてみながら小さく伸びをした。  「…セリ?…」  聞き慣れた声に身体が、脈打つ。  「アサキ…」  声と同時にベッドから飛び起きて床に足を付けた。    その拍子にセリは、よろけた。  咄嗟に腕を掴んだ俺は、怒った顔をしていたかもしれない。  「まだ寝てろ! げっそりしてクマ作って…心配かけんなよ…」  つい本音を口にしてしまうも、セリのビクッと肩をすくめた身体が、やけに小さく見えた。  「…ゴメン…脅かすつもりはないんだ…」  「…………」  俺達は、静かにベッドサイドに腰掛けた。  「何か飲む?…エアコン寒くない?」   そう言い俺は、ペットボトルの水をサイドテーブルの上に折りたたんだセリの上着の横に置いた。  後、あるのはセリが持っていた真新しいスマホがあるだけ…  「セリ…」  「…………」  俺は、下を向いたまま顔を上げようとしないセリに、向き合うように床に膝をついた。  「セリ…何でもいいから。言ってくねぇーと、俺…何もわかんねぇよ…」  「…………」と、セリは何も答えようとしない。  膝の上に組まれた手に、水滴が落ちていた。  見上げたセリは、泣いていて。   必死に泣くのを堪えているようで、俺に気付かれた事を気にして毛布をすっぽりと被ってベッドに丸まった。  話をしたくないのか、俺を拒絶しているのか…  またセリは、そのまま眠ってしまい午後になってから改めてセリの弟のユヅキが、荷物を持って現れた。  「その荷物は?」  「兄のです…一応…身の回りって言うか、後は着替えとか…」  「あのさぁ…なんで…俺の所に?」  「…その方が、良いと思ったし。その…オレと、一緒にいない方が、良いような気がして…」  と、まぁ…オブラートに説明を受けた。  「…所で、ハナは?」  「ハナさんなら。ここの裏口近くで、オレを下ろしてからパーキングに停めに行きました…あの兄貴は?」  「寝てるよ…」  僅かに開けたドアの隙間から寝室を覗かせる。  見えたのは、頭まで毛布を被りドアに背を向けるセリの姿だった…  パタンとドアを閉じる。  「あの兄貴は、ずっと寝ているんですか?」  「いや…1回は、目を覚ましたけど…それ以降は、こんな感じ……水分は…」  ペットボトルの中身が、減ってるってことは、少しは口にできてるみたいで安堵した。  「…良かった。いや良かったなでいいのかな? オレ…何って言って顔を合わせればいいのか…」  「…大丈夫じゃねぇーの? 俺よりも、クズって…そうそう居ねぇから…」  「嫌味ですか?……」  「嘘だよ。冗談」    「なんっすか、それ…」  そう言いながらも、笑みを見せるセリの弟は、休憩室の椅子に腰を下ろした。  「オレは、ガキ過ぎて何も理解してこれなかったし父の浮気も、あの時だけだって…本気で思ってました」  父の姿が、よそよそしく感じたのも、単純に母に気を使っているんだって…  「気を使って…か、そう言うのも、あるのかもなぁ…でも、浮気は裏切りだから…最低なことをした。謝罪してどうにかなるもんじゃねぇよ…」  アサキって人は、深い溜め息みないな息継ぎをしてから椅子の背もたれに背中を預けた。  「あの…聞いてもいいですか?」  「あぁ?」  「…えっと、なんで…浮気したんですか?」  飲もうとしたペットボトルのお茶のキャップに手を掛ける俺に対して、シラっとした視線を向ける。  「俺に聞く?」  「ハイ…浮気した人の代表として…」  「代表って……」  ハナが居たら絶対に笑ってるよな…  物怖じしないって言うか…  セリよりも、正直と言うか…     嫌味って言葉を、知らねぇーのか? この兄弟は…  「…えっ…と、なんって言うか…正直に言えば、そう言う時って、浮気相手が…良く見えんだよ。なんかすげーキラキラしてて…それで、比べんの…すげー大事にしてんのに…」  「……はぁ……」  「で…見事にのめり込む。やっちゃダメって、分かってんのに見比べる。それで…どっかでバレる…両方から逃げられる…」  「…そりゃ…愛想つかされますよ。オレも、若干引いてます…」  正直なヤツだなぁ…  俺も、苦笑いをした。  「そう言うのを、俺とセリは、マジのを4回、親友巻き込んでのフリを9回? 10回かなぁ…を、繰り返した…」  「…引くなんってのは、カワイイですね…ドン引きしてます…」  そう。  ドン引きでもしてくれれば、良かったんだよ…  「さすがに兄貴も、キレたり…」  俺は、首を振る。  「キレてたかどうかは、分かんねぇ…それでも、セリは何も言わないヤツで、俺が浮気してることがバレるはずなのに…肝心な事を言ってこない。で…別れようってなって…後は、居なくなる…』  俺を、どう思っているとかじゃなくて、セリの本心が聞きたかった。    「その言葉が、聞きたすぎて色々した。優しくしたり。どっかに出掛けたり…」  「…シルバーアクセ…」  「そう…まぁ…元々、飾りっ気ないから。どうかと思ったけど…半分は、職人の意地みたいな…」  「オレは、それを…突き返すみたいに…スミマセンでした。なんかオレ…」  「ユヅキだっけ?」  「ハイ…」  「気にすんな。それ以前に俺は、セリに振られてるし…」  アサキさんは、店のカウンターに顔を出しながら。  透明な小さなケースを、オレの前に置いた。    これは…「指輪?…」  蔦で出来た指輪みたいに繊細な蔓の細工の装飾に目がいった。  「凄い…これ…アサキさんが?」  「まぁ…」  「?…アレ? でも、振られたって…」  「指輪を送ろうとしたら。変に勘付かれて、振られた…しかも、送ろうとしたその日に…連絡先…ブロックされた…」  兄貴達の間に、そんな事があったんだ…   「あの…指輪って、つまり…」  「一緒に居たいからに、決まってんだろ?」  寝ている振りしてる僕の耳に…  二人の声が、届いていた。  アサキを、拒否してしまったのは、僕の方なんだから。  早く忘れてくれれば、いいのに…  カランッ、と言うドアベルの鳴る音が、店の方から聞こえる。  「近くのパーキング空いてなくて、少し遠くに停めたらか…時間……?」  二人分のどよめきと、ハナさんらしき人との間が、何とも言えない空気にっていた。  ハナさんの事は、アサキから紹介されて知っていたし。  僕が店番中に、カウンターの中に座っていると品物と納品書を手に訪ねてくる事が多かった。  キラキラしたモノが好きで、いつだったか私物だって言う水晶や自作のパーツとか、改良途中のパーツなんかを、よく見せてくれた。  甘い香りのするタバコが、本当に似合う女の人…  カッコいい人だなぁって印象が、あったけど…   昨日、アサキに担がれてぼんやりとした頭のままここに連れてこられた時にユヅキとハナさんが、知り合いだってことを、初めて知ってびっくりしたけど…  返事をかえす余裕がなくて、3人の会話からユヅキが、本当にアサキの事も知っていたのにも、びっくりした。  「取り敢えず…兄貴が、ここに居るってことは、正直…複雑だけど、家よりも…良い気がするから」  「…うん。分かった…」  「あの…何かあったらオレの方から。兄貴に連絡入れます! 兄貴のスマホは、両親の連絡先だけ…一時的にブロック掛けときましたから…」  「…確かにその方が…良いかもね…」  「勝手にって、怒られるかもだけど…これ以上…追い詰めたくないし…オレも、実際…どうしたらいいか…いまいち…ぴんとこなくて…」  バシッ!  背中を、豪快に叩いた音だったらしい。  「痛ってえ~って…」  「そんな強く叩いてないわよ。何か辛いなって、思うことがあったら。私にでも、事務所の子達にも、言いなさいよ。あと…カノジョちゃんとか?」  「うっ……」  少し笑いが、起こった。  「…あの…そう言う訳で…兄のこと、よろしくお願いします。本当に…ここで良いのか、正直分からないけど、なんか…何度も同じこと言っちゃってアレですけど…」  「うん…でもそれは、俺も同じ…」  複雑な表情のまま俺は、笑顔をつくった。  「…だとしても、無意識にアナタの所に行ったのなら兄は、もうどこにも行かない気がして…」  「俺のこと信用してくれんの?」  「んーっ…………」  セリの弟は、苦い顔をしてみせたが、言葉を続けた。  「信用とかじゃなくて…兄は、まだアナタのことが、好きなんだと思う。元気ねぇーし。自分達の事もそうだけど、両親の事とか色々あって、あんまり食えてねぇーし。塞ぎ込んでるし…でもそれは、オレよりもアンタの方が…気付いてんじゃねぇの?」  「それは…」   「じゃ…オレ外で、待ってます。あのまた来るって…兄貴に伝えてください」  店側からセリの弟は、外に出て行きスマホ画面を、見ながら誰かにメッセージを送り始めた。  表情から見ると…   「同い年のカノジョちゃんかもね…」  「あぁ…」  「今日、休んだから…」  「相手を気遣えるって、良いんじゃね? あんな表情できる相手が、尚更…」  「そうね……じゃ…私も、行くから。何かあったら。私の方からも連絡するわ…」   「うん…」   「あっ…そうそう! 忘れてた。これ…セリさんに…」  そう言うと俺に小さな包みを押し付けてきた。  手に取ると、少し重みを感じるような包みだった。    カランッ…  ドアベルが鳴って、その場が急に静かになった。  時間が知りたくて、ベッドサイドに置かれた小さなサイドテーブルの上から、自分のスマホに手を伸ばした。   時間は、5時をまわる頃。  1日中寝転んでいたから時間の感覚が、微妙に分からなかったけど、よく寝たって感覚でもなくて…  目が覚める度、常にアサキの気配を感じられる事に、安心感があった。    スクロールしながらアドレスを見ると、弟が言ったように両親の連絡先は、ブロックされているようになっていた。   ガチャッ  不意に寝室のドアが開けられてびっくりした僕は、その場で固まった。  「あっ…」   何も、言い返せない事に気付いた。  「…弟さんが、着替えとか…色々…持ってきてくれたから。後で、確認しといて…」  「……」  「後は、これハナが、セリに渡してくれって…」と、サイドテーブルの上にその包を置いた。  一瞬、俺の方をチラッと見たような気がしたけど、毛布を被っていて表情は、見えなかった。  俺も、この期に及んで顔を覗き込もうとか、そんな気は失せていたから。  今日は、早目に店を閉めるからと、部屋を離れた。  いつもの手順で、店を閉め終え作業場に戻ると、そこにセリが何かを持って立っていた。  「何…それ?」  「ハナさんからの…」  セリの手に握られていたのは、原石に近い水晶だった。  「アサキみたいに詳しくないけど、これ…ガーデンクオーツって言うんだっけ?」  俺は、セリの手の平に乗せられた水晶を手に取った。  「ガーデン…クオーツ…あの時の水晶か? 人に散々、グチグチ言って…本人に持ってくるって……」  「グチグチ?」  「いや…」  ハナのヤロー  文句でも言ってやろうかとスマホを取り出した時、セリが俺の服の裾を引いた。  「待って…石言葉スマホで調べてみた…」  あぁ…確かに石を調べると、項目として一緒に表示されるのもあったな…  こうやってセリは、調べて書き起こしてくれることもあった。  「中に入ってる内包物って言うの? それによるとね。信頼とか安定とか…色々あるみたい。癒やしだったり後は、地に足をつけるとか…」  「……良い贈り物だな…」  「そうだね…」  一回り小さく見える身体が、愛おしいようで、ほっとけない。  だから。  起きてて大丈夫なのかと言いたくなるほどに、げっそりとしているセリの姿に苦しさを覚えた。  「まだ…寝てた方が、良いんじゃねぇの?」  「大丈夫…」  「そう…俺…このまま今週中に仕上げないとならないのが、あるから作業するけど?」  「…ここに、座ってていい?」      「いいよ…」    小さくコンコンと言う聞き慣れた音は、刻印している時の音。  磨いて拭いて歪みがないか、微調整する。  「何を作ってるの?…」    ポツリと呟いた声に振り向くと、座っていると思っていたセリの姿が真後ろにあった。  「…あっ…ペアのバックル…」  「へぇ…」  「イニシャルと、記念日の刻印を入れて欲しいって…」  「そうなんだ…」  「…………」  ダメだ会話が、続かない。  「何か…飲む? お茶…あっ!」  アサキは、思い出したように休憩室奥のキッチンにある冷蔵庫から小振りなウォーターピッチャーとグラスを持ってきた。   中身は麦茶みたいな液体が、入っていて、そのグラスに注がれたモノに口を付ける。  「……!っ………」  …正確に言うと、非常にマズイ。  何これ…  恐る恐る僕を見てくるアサキも、何かを察したように変な表情を浮かべている。  「えっと……レモングラスとハーブの…お茶です…」  やっぱり。  匂いに若干、レモングラスの香りが紛れていたように感じたから。  もしかしてとは、思ったけど…  「これ…味見…」  「したよ。でも、何度レシピを見て作ってもこうなるんだよ…」      レシピ?  ※車で移動中のハナとユヅキの会話。  「えっ? わざとレシピを、間違えて教えた?」  「ハイ。あの時は、本当にムカついてて…兄貴をあんな目に合わせておいて、何がレシピを、知りたいだって思って…」   「マジで?」  「ハイ…」  事実上マズいレモングラスとハーブのお茶の被害者は、ハナさんと僕だけらしい。  アサキは、自身で飲みマズイと判断したお茶は、客には出さなかったようだ…  「変だと、思ってたのよ。アイツは、分量とか時間とか、仕事柄キッチリとこなすヤツだから…」   僕は、思わずクスッと笑ってしまった。   「笑うところかよ…」  「書いてもらったレシピ見せて…」  アサキは、作業台の引き出しからメモ紙を取り出してきた。  「ハイ。これ…」  セリは、メモに目を通してから一瞬、黙り込んで俺を見上げた。  「二時間…煮出したの?」  「乾燥の買ってきて…2時間ぐらい弱火で煮出しって…」   「乾燥のは、水出しで2時間。煮出した場合は、5分くらいで特有の黄色味が出てくるから…」  セリの弟くんに図られたって事かぁ~………  「…どうりで…不味いわけだわな…」あのヤロー…  変な疲労感が、滲んでくる。  「でも、これ…自分で作ったんだ…」  優しく笑うセリの雰囲気に、いつものような柔らかさを、取り戻したように見えた。  「……レモングラスとハーブの乾燥したのまだある?」   「あっ…キッチンの冷蔵庫にタッパーに入れてまだ少し残ってる…」  スッと立ち上がって、キッチンに立つセリの姿を見るのは、どのぐらい振りなんだろうか…  手際良くポットで、お湯を沸かし茶こしの袋にティースプーンで、分量を測るようにサッと入れお湯を注ぐと、お湯は5分程して黄色味を帯びた色へと変わっていく。  レモングラスを入れた茶こしを、素早く取り出しマグカップへと、お茶を注いでくれた。  「熱いのだけど、大丈夫?…」  「熱くても、全然平気!」  俺は、無意識に首を振った。  振るえそうになる手に力を込めて、マグカップを手に取る。  フワッと、立ち昇る淡いレモングラスの香りは、鼻に抜けるハーブの香りと混じり合って溶けていった。  そして、飢えすぎた味にホッと一息吐く。  「…アサキ?」  「ん?」  「何で、涙目なの?」  そんな決まってるだろ?  「嘘でも、気まぐれでも、また飲めたから…」  気まぐれって言えば、気まぐれなのかも知れない。  アサキは、水分取るのが苦手で暑い時期は、辛そうに見えた。    『あのさぁ…アンタ…干からびるよ』と、周りから言われても…  『…うっせー…』  構内のテラスで、暑そうに項垂れている姿を遠目に見たは、付き合うか、付き合わないか、微妙な頃だった。  『頼むから。グラスに氷もってきて…』  『飲んだ方が…早くねねぇか?』  『水とか、お茶苦手なんだよ。スポーツ飲料も、甘いし』  水分を取りたがらないのは、知っていたけど…  この暑さで、水分取らないのは、さすがに…   『良いよ。涼しい室内に入るから』  『いや…水分取れよ』  『塩分のタブレット舐めてっから大丈夫だろ?』   『大丈夫じゃねぇーし。茹だるぞ‼』  アサキは、フラッと構内に消えていった。  その日、元々、お店に顔を出す予定があったから。  家で作ったレモングラスとハーブのお茶を、マイボトルに入れて差入れた。  最初から。  凄く怪訝な顔をされたのは、言うまでもなくて要らないと、突っ返された。   『一口でいいから…』  『…………』  『甘くないし。水っぽくないし。若干…薬…青臭い? 感じするかもしれないけど…』  その日は、夜でも気温が下がらなくて、熱帯夜は確実。  昼の構内でも、気分が悪いって帰った子もいるって聞いていたから心配で仕方がなかった。   『しかも…これ。手作りってやつだろ? 無いわぁ…』  友達伝いに、仕事柄細かいヤツで…  カレカノを取っ換え引っ換えで依存してくるのを、嫌うとか助言みたいな事を聞かされていたから。  一筋縄じゃないって、分かっていたけど…  僕も、半分。  意地になってて…  『倒れてもいいの?』  僕も、僕で弟相手のこういう言い合いには、慣れていた。  マイボトルからグラスに注ぎ入れアサキの前に置いた。    『飲んでから文句言ってよ…』  キッと睨むセリ。  『ハイ…』  勝手に物腰の柔らかいヤツだと、思っていたから。  普段見せない気迫って言うか、物怖じしない態度に押され言われるがままそれを、飲み込んだ。  淡く香るレモングラスと鼻に抜けるハーブの香りが、よく混じり合って溶けた出す味がした。   『どう? 飲めそう?』  自分の思い出せる範囲でも、こんなにスーッと水分を飲めたのは、そのお茶だけだった。    『美味しい?』  『うん。意外と飲める…』  本心は、普通に飲めるだった。  『良かった』  にっこり微笑むセリの顔に、心が潤うって、こんな気持ちなんだと、初めて気が付けた。  次第にセリは、乾いた俺に染み込んでくれる唯一の水みたな存在になっていった。  「アサキ?」  セリが、近付いてくる雰囲気に手を伸ばして抱き締めた。  少し…戸惑った感覚が、手の平に伝わってくる。    僕は、このストレートなアサキの気持ちが、まだ正直に言って苦手だ。  付いて行けなくて…  怖くて、  本来は、嬉しいはずなのに自分に向けて笑顔で近付いてくる事が、怖いって言うか…  分からない気持ちが、先行して…  陰で何か、言われてるんじゃないか…  本当は僕よりも、好きな人が居て…  そこに行こうとしているんじゃないかって…  両親が、そうだったから。  自分も、そうとは限らないのに…  つい周りを、疑心暗鬼に見る癖が付いていた。  自分が、愛されてる訳がない。  そんな時、アサキの浮気に気付いた。    あぁ…やっぱり自分は、両親みたいに陰で、相手に蔑んだ言い方をされてるんだ。  そう思わずに居られなかった。  遠避けるしか、出来なかった。  許せない気持ちも、誰かの側に寄り添ってたその足で近寄ってくるアサキが、気持ち悪かった。  例えばそれが、僕を試す演技でもあっても…  そんなある日の事だった…  半ば強引にカノ役にされた子が、アサキの部屋を訪ねてきた時が、一度だけあった。  『アサキくんを、試させるような事をしないで!』  って、平手打ちされた。  あぁ…この子は、アサキが好きなんだなぁ…  試させるように仕向けたわけじゃないないのに…  そうさせている僕は、アサキにとって邪魔みたいで…  アサキは、良いヤツなのに僕に関わっているから。  ダメなヤツになってしまう。  それが、  「嫌だった…」  「セリ…」   どう接して良いのか分からなくて、でも好きな気持ちを表現出来なくて…  どう思われているのか、怖くて聞けなくて…  相手を、傷付けるだけの…   「両親みたく…なりたくなかった…」  不細工に泣いてるんだろうな…  陰で、笑われるのかも…  「だから。別れたのか?…」  「…うん…」  そう頷くとアサキは、どこかホッとしたような表情で僕に、擦り寄ってきた。  「セリは、俺にどう思われていたい?」  「えっ…」  「人を試した俺が、言うなってセリフだけど…」  ギュッと力強くアサキは、抱き締めてくる。  「好き過ぎるんだ。俺もセリに、どう思われてんのか怖くて聞けなかった…」  その言葉に、ずっと押し込んでいた嫌な気持ちが、ほどけるような感覚になった。  お互いに見合わせた顔は、ぐしゃぐしゃで笑ってしまった。  取り敢えず話し合おうって…   なって…  「あのさぁ…アクセを着けなかった理由って…」  「どうして良いのか、分からなかった。自分が、どれだけアサキを好きだとか、本当に好かれてるのか…分からなくて…って、理由はおかしいね…」  「俺も、はっきり言えばよかったんだ…」  アサキは、少し冷めたお茶を飲み込む。  「入れ直す?」  「大丈夫…」  「俺も、セリの気持ち知りたかったから…」  「うん」  「じゃさぁ…ピアスは?」  俺は、ポケットから青い石のピアスを取り出しテーブルに置いた。   「それは…」  「セリが、ピアスホール開けてるの知ってたから…」  「………」  「ん? セリ…」  「その何と…なく?」  「気にいった?」  「えっと……いつものと、包が違って…気になって…その開けちゃった…ゴメン」  「いや…そんなことは…寧ろ開けてもらわないと…ならないし…俺的には嬉しいよ…」  おい…  開けちゃったとか、可愛い言い回しすんなよ…  ただでさえ弱ってて、どう接すりゃいいのかとか…  俺は、どう思わられていてもいいけど、セリが困った顔をすると構いたくなるから取り敢えず。  ゴメンと声を掛けた。   「何で? アサキが…謝るの?」  「いや、その…」    セリは、俺が渡したピアスを手に取ると「つけてみるね」と左耳につけて見せてくれた…  照れたくさいのか、視線を外しながら下を向いているセリに……  「青い石。よく似合ってる」と言うと…  セリは、小さく「…ありがとう…」と、答える。  まだ関係が、ぎこちない。  普通に、話せているようなのに話せない。  端から見たら俺は、浮気性でセリを散々振り回して傷つけたヤツって事には、変わりはない。   「もう一度、俺と付き合って欲しい」  本音で言えば、図々しいかもしれない。  でも、今じゃないと言えない事だってある。  「今直ぐには、難しいと思う。もしかしたら。ふざけんなって思われてるかも知れないけど、今度は俺の方が、セリを待ってる…ってのは、迷惑かな……」  ハッとなるセリの表情は、驚きか、拒否か…  セリだって、こんな俺にもう一度、告られても……  「あの…」  「ん?」  アサキを、そうさせてしまったのは、僕だからもっと、素直に今みたいに言い合えれば…  両親は、両親。  僕は、僕達の気持ちを、ちゃんと伝えれば、こんな溝は生まれなかった。  「やっぱ、難しいよな…」  違う。  こんな事を言わせたい訳じゃない。  「…待ってアサキ!…」  セリが、椅子から立ち上がる。  「こんな歪な僕達でも、やり直せると思う?…」  色々な言葉を並べても、不安で仕方がないのは、セリも同じ。  「いっぱい話そう。好きも嫌いも、何が良くて悪いのかとか…不安なこと互いにぶつけ合ってさぁ……そしたら前よりも…」  「…一緒に居られる?…」  俺は一瞬、戸惑った。    「かもな…」    するとセリが、僅かに微笑んだ。  「かもって言う所が、アサキらしいや」   「…そうか?…」  「うん」って言ってセリは、笑ってくれた。 3  翌日の朝。  「……で、どうなったの?」  「右に同じ…」  ハナとユヅキの二人は、冷たいレモングラスとハーブのお茶を飲みながら休憩室の中央に置かれた椅子に座って、俺達に向かい合った。  「アンタ達の問題は、解決できたの?」  「…えっと……(俺をセリが、見上げる)何となく…」  「何となくかよ……」  そう言ったのは、セリの弟のユヅキだった。  今日も、学校を休んだらしい。  まぁ…確かに両親の事があってからだと、落ち着くにも時間が欲しいわなぁ…  「あの…何となくって訳じゃないよ。ただ…誤解みたいなのが、何となく無くなったみたいな…感じになって…」  「で、兄貴は、よりを戻すの?」  「あぁ…それは、昨日の今日で、そこまでには、いってないって言うか…おいおい…」  「…はぁ~っ……」と、ハナとユヅキは、同時に溜め息。  「あの…ユヅキ!」  「…いや。別に兄貴が、良ければオレが、どうこう言うのもおかしな話だろ? より戻すとかも、誤解とかモヤモヤしたものが、少しでも消えたんなら…また考えればいいじゃん…」  「うん…」  「…ただ…兄貴だけが、一方的に傷付いたとか、兄貴が原因でない騒ぎあっとしたら。その時は、その時だし…」  ジッとりとした視線が、容赦なく俺に向けられる。   「そうならないように僕も、気を付けます…話し合える所は、話し合って決めたと思います」  意外とセリは、はっきりと物事を言えるタイプなのでは? と、今更ながら思ってしまった。  「ね? アサキ」  「うん。そうだな…」      確かに、全部を許してくれたのか、疑問に残るところだが…  二人して悪かったって、結論付けっちまったから…   「なに?」  「何でも」  「はぁ~~…ラブラブかよ…」と、ハナがまたお茶をすすりながら頬杖をつく。  「あの…そう言えばなんっすけど、アサキさんに相談が…」  「ん? 俺に?」  「ハイ。その…オレのカノジョも、シルバーアクセが好きらしくて…今度の事話したら…見に行きたいって言われて…店にお邪魔しても良いかなって…」  …と、意外な打診を受けた。  「良いよ。連れてきなよ。店やシルバーアクセの説明ならセリに任せてるあるし…」   「うん。どうぞ」     兄貴の笑った顔。  久し振りに見た。  ハナさんが、言ったラブラブかよ。が、しっくりきた。  ハナさんは、納品があると一足先に帰っていき残されたのは、オレと兄貴達。  兄貴は、無理の無い範囲で店番をすると店のカウンターに座っている。  オレは、アサキさんの作業場に入れさせてもらった。  「…あの…間違ったレシピ…スミマセンでした…」  「あぁ…別に良いよ。ユヅキからしたら許せないって気もちが、強かったろうし…」    スッと顔を上げて、店の方を眺めるアサキさんは、意外な程にも優しい顔で兄貴の後ろ姿を眺めている事に気が付いた。  2人は、ずっと前から…  こうなんだ。  ホント。この関係性が、しっくりときすぎて…  一言文句でも言ってやろうとしてたオレは、苦笑うしたなかった。  「あの…兄貴のこと…お願いしますね」  「……んーっ…まぁ…どうなるか分かんねぇけど、まずはセリに、飽きられないようにはなりたいわなぁ…」  オレ達は、笑った。  「…どうしたの?」  笑い声が店の方に聞こえたのか、兄貴がヒョコっと顔を出した。  「オレ。もうそろそろ帰るよ。荷物放置してるし…ハナさんが、修行も兼ねて仕事場の空き部屋に居候させてくれる事になったから」  「そうなんだ…」    「あのさぁ…兄貴…」  「うん」  「母さんから。連絡が、来たよ」  「何って?」  「離婚したから。隣町の実家に帰ったって…」  「もう決着ついたの? 行動力ある人は、やっぱり違うね…」  「そうなんだけどさぁ…昨日の昼間、オレ家に戻ったんだよ」  「あぁ…荷物取りにって言ってたね…」  「兄貴…起きてたの?」  「ぼやっとね…」  「ふぅ~ん」  「で?」と、聞き返してくる兄貴は、少し調子が、戻ってきたらしい。     「それがさぁ…聞いてくれよ。オヤジなんだけど…」  「うん」  「オヤジは、今の家にそのまま住むつもりみたいで、家に帰ったら。なんか知らない女が座ってて…ムカついて…ハナさんに紹介してもらってた即日引っ越しOKの業者さん呼んで、昨日のうちに俺と兄貴の荷物を、段ボールに全部詰めてもらって母さんの実家に送って保管してもらってるから…」  弟の早口なような棒読みなような話し声に、さすがのアサキも顔を出して…  「えっ…なにそれ?」とか、聞き返してきた。  「…う〜んと、取り敢えずは、同棲のことは分かったから。そのうち母さんに連絡取ってみるね…」  オレのあまりにも、早口のような棒読み口調と父親の今の現状に兄貴は、戸惑ってしまったようだが、つかさずアサキさんが兄貴の後ろに立ってくれてオレに対して大丈夫だと目配せしてくれた。    「後オレは、まだ未成年に近いし兄貴も、学生だし。なのでオレは、母さんに付いていくから。一人暮らしするにも保護者って、欲しいだろ?」  「そうだね…」  「だからさぁ…ってのも、変だけど…その兄貴も、好きにしろよ。俺は来年の春には、ハナさんの所で働いて修行するから…」  弟の真剣な目は、力強い。  昔から。  こう言う時の決断力や行動力の速さは、母と弟には敵わない。  「そっか…分かった」   「えっと……オレ、バスでハナさんの所に戻るから」   「バスの時間大丈夫?」  「平気。直ぐそこのバス停だから。じゃ…オレ行くね!」  「気を付けてね。あっ…ちょっと待って…」  兄貴は、マイボトルに入れ直したレモングラスとハーブのお茶をオレに差し出した。  「ユヅキも、ちゃんと水分取らないとダメだよ」  やっぱり。  兄貴は、兄貴だ。  優しいけど、しっかりしてて…  一途で、危なっかしくて…  そう言えば…  「どうしたの?」  「……あぁ…えっと…」  オレ。兄貴に、謝ってなかった。  「あの兄貴…」  「何?」  「その…ゴメン!!」  高速でユヅキは、僕に頭を下げたりしたから思わずアサキと僕は顔を見合わせた。  「…ファミレスで、酷い事いったろ?」  「あぁ…あれね…」  「兄貴はさぁ…昔から。オレの盾になってくれたり。絶対、側に居てくれた。オレ…兄貴は凄いって思ってる…」  「そんな事ないよ。冷静で居られたのは、ユヅキが居たからで、僕一人だったらこんな風に居れなかった思うよ…」  ここにも、居なかったと思ってる。  僕は、並んで立っているアサキの服の裾を、咄嗟に後ろ手で引っ張る。  アサキは一瞬、戸惑うように僕を見下ろしながらも、その手を後ろで握り返してくれた。  ホッとするぐらいに温かい手が、力強くて少し嬉しくなる。  「じゃ…オレ本当に時間ヤバいから。行くね」  「うん。頑張って!」   いつも通り元気に走り出していく弟はこれで、大丈夫だと確信したけど…  「…あの…手…いつまで、握ってんの?」  「なんだよ。自分から掴んできくせに…久し振りなんだから。少しぐらい。手ぇ…握ったて良いだろ?」  「……えっと……」なんな絶妙に照れくさい。  「そこで、照れるな…」  「だって…握り返されるとは、思ってなかったから…」  アサキは、大きく大袈裟なぐらいな手振りで、僕を抱き締める。  その腕は、温かくて何も変わってなくて、また安心してしまった。    「…セリ…ここに居ろよ。居なくなられると、困るから…」  「うん」  ゆっくりと過ぎてく時間も…  早く過ぎていく時間も、そうでない時間も…  それは誰にでも、当てはまることで…  多忙な人とか、目標のある人の時間は、早く過ぎて…  それなりの日は、それなりに過ぎていって…  こうやって…  誰かと一緒に過ごす時間は、以外にもゆっくりと過ぎたり楽しすぎて、その逆もあったりして…  文句を言い合った日の翌朝、アラームで覚めて…  朝の挨拶もそこそこに朝ご飯作って…  何事も、なかったみたいに一緒に食べて…  ふとした切っ掛けで、いつものように笑いながらたまには、冗談を言ったり。  一緒に後片付けをしたり。     そう言う時間も、悪くないって最近また思い始めた所なんだ。  「アサキ。ありがとね」  「ん…いや。俺の方こそありがとうな…」  フッと、通りを抜ける風が、涼しくて心地良い。           

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