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第二章 突然の申し出②
――〝匿って欲しい〟。
その言葉は初めて聞いた単語のように暁の頭の中に消化されず残り続けた。
絃成が今何かをしでかして匿って貰わざるを得ない状況であることは暁にも理解出来たが、その助けを求める相手が自分である理由が暁には理解が出来なかった。絃成は誰よりも新名を兄貴分として慕っていたので、匿って欲しいのならば第一に新名を頼るべきだろう。
四年間も一切の交流が無かった自分に匿って欲しいと突然言い出すような状況が暁にはすぐに思い付かなかった。親しくしている筈の新名にも頼れない理由があるとすると考えられるものはひとつだけだった。
「なに、浮気でもしてモカにバレたの?」
どちらから交際を申し入れたのかは定かではなかったが、当時の絃成の入れ込みようを考えても絃成が萌歌にベタ惚れだったことは間違いがない。そうだとしてもそれは暁の知る四年前のことで、今更絃成が他の女性に気を引かれたとしても同じ男として分からなくもなかった。
暁から見ても萌歌は魅力的で、小柄な身長と童顔にFカップはあるという豊満なバストは、暁が真っ当な道を歩んでいたとしたら興味を強く惹かれただろう。
もし浮気が萌歌にバレて、情報の周りが早い新名にも頼れないということであるならば熱りが冷めるまで匿うこともやぶさかではなかった。
「俺はそんなことしねぇよ!」
突然声を荒げる絃成に暁は引っ掛かりを覚えた。ただそれが何であるのかを熟考するより先に絃成が匿って欲しい理由が浮気ではないという情報が暁の中でアップデートされた。
付き合っていることを否定していないことから、まだ萌歌との付き合いは続いているということが分かり、二人の交際を年長組として微笑ましく見守っていた身としてはこれ以上の嬉しい報告は無かった。
萌歌から逃げている訳ではないとするならば、その上で新名にも頼れない絃成の匿って欲しい理由は何であろうと考えながら暁は自分の寝床であるベッドに腰を下ろす。
弟のように思っていた絃成だからこそ匿うこと自体に問題がある訳ではなかった。腕を組み首を傾げてもそれで絃成が自分に助けを求める理由を納得出来る訳では無かった。暁がそれを疑問に思うのは、何も自分でなくとも和人や那音など絃成が連絡を取れそうな仲間は幾らでもいる中で何故交流すら無かった自分を選んだのかということだった。
寧ろ多少クセは強いが那音などは喜んで絃成を匿ってくれるだろう。絃成は中途半端に整え掛けていた布団を整え、その枕を離さないと言わんばかりに抱き締めながら乞うような視線を暁に向ける。
それが昔と異なりあまり可愛いと思えないのは、以前は無かった唇や眉にも施されたボディピアスの影響だった。新名の悪いところばかり影響されていると内心悲嘆にくれる暁だったが、兄貴分と慕う相手が勧めるがままに真似をしたがるのは別に悪いことではない。
「――別に、匿うとかそういうのは構わないんだけどさ」
手を伸ばしてベッドサイドのライターを取る。ポケットの中から取り出したくしゃくしゃの煙草を一本口に咥えて火を付ける。
絃成から頼られることが嫌な訳では無かった。もし絃成を匿うことで暁が今後不利益を被ることがあったとしても、それは困っている仲間を見捨てる理由にはならない。
問題なのはそれが絃成であるということで、もし困っているのが親しくしている那音であったならば二つ返事で了承していた。今はそこまで親しくもない真夜であってもそれは同じことだっただろう。
ベッドに片膝を上げ、煙草を挟む手で横髪を掻き上げながら細い煙を吐き出す。何時間か振りに吸った煙草のニコチンは多少暁の頭をふらつかせた。その影響もあったのだろう、言うべきではなかったかもしれない言葉が暁の口からするりと放たれる。
「俺、ゲイなんだよ」
那音を始めとする他の仲間たちは当時から知っていた。寧ろ知らなかったのは当時未成年だった絃成と萌歌のふたりだけだと言っても過言では無い。
奇異の目で見られることは慣れていた。両親を亡くし、弟と生きていく為ならば何でもした。たとえそれが世間の常識と外れていたとしても。まだ子供だった暁にはそれしか生きていく手段が残されていなかった。
性的嗜好を受け入れて欲しくて絃成に明かした訳では無かった。ただ何も知らないで泊まることと知った上で泊まることは後で大きな差が出て来る。絃成がまだ萌歌と付き合っていることから、萌歌が嫌がるということも考えられた。
それを知った上で、匿って欲しいと絃成が望むのならば暁は断る理由はないし、辞退するのならば那音や和人など暁が連絡の取れる数少ない仲間に渡りを付けても構わなかった。
壁掛け時計の針音だけが虚しく室内に響く。年下である強みを生かし、あわよくば匿って貰おうと考えていた絃成は暁からの衝撃的な告白を聞いて枕を抱き締めていた腕が緩む。ハッとして強く枕を抱き締め直した絃成は暁が告げた言葉の真意を問うようにじとりと視線を向ける。
カチリ、と時計の長針と短針が重なる音が響いた。
「俺のこと、掘りてぇの……?」
吸い込んだ煙がタイミング悪く気管へ入り込んだ感覚があった。暁は思わず噎せ返り、燃え尽きた灰の塊が布団の上へ落ちる。
その灰を手で払いながら咳き込みを繰り返し、苦しそうなその声が次第に楽しそうな笑い声へと変貌していく様を絃成は驚きつつも見つめていた。
「あはっ、あっははは!」
滅多に感情を爆発させることのない暁の大爆笑に絃成はぽかんとして視線を向けることしか出来なかった。
腹筋が引き攣りそうな笑いを堪え、吸いかけの煙草を枕元の灰皿へと押し付けて鎮火させる。暁の弟は六歳下で、丁度絃成と同い年にあたる。それ故暁の絃成に対する感情は弟に対するそれと変わらず、今まで一度たりとも絃成をそういった対象として意識したことは無かった。
「ごめんっ、そういう意味じゃなくて……絃成のことは弟みたいにしか思ったことないから安心してよ、っふ、はは」
ベッドの上で蹲り、ようやく的外れな勘違いによる爆笑が治まった暁はゆっくりと身体を起こすと乱れた髪を掻き上げる。
「――いいよ、匿ってやる。何日でも」
暁のその言葉を聞いて絃成の表情がぱあっと明るくなる。
兄が弟を守ることに理由は要らない。それが本当の弟でなくとも暁にとって絃成は弟も同然の存在だった。
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