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第三章 イエス・ノー・イン・シンク①
天候は快晴、少しだけ心が躍るこの日。
仕事後の待ち合わせではないため、すでに待ち合わせ場所となる映画館前に到着していると数分前に佳嘉からの連絡がきていた。
私服はニットだろうか、シャツだろうか。電車が駅に到着するまでのあともう少しの時間ですらも、気持ちが急いてしまって仕方がない。
早く会いたい。そんな気持ちを抑えて、電車のドアが開くのと同時に駆け出していた。
「……なんで休みの日なのにスーツなの?」
普段と変わらないヘアセット、普段と変わらない高そうな上下揃いのスーツ。映画館前でスマートフォンを片手に待つ佳嘉の姿は、期待に胸を膨らませて到着した真生を存分に失望させた。
真生の反応は佳嘉にとっても想定通りだったようで、カジュアルなストリートファッションで現れた真生へとちらりと視線を向けると気まずそうに視線を反らしぼそりと呟く。
「……人に見せられるような私服持ってない」
普段と違う佳嘉の一面を見られることを期待していた真生にとっては大きく期待を裏切られる結果となったが、そんなことでいちいちへそを曲げていては折角の映画館デートを楽しめない。
「ちぇー、佳嘉さんの私服姿見てみたかったのになぁ」
少しだけ佳嘉の罪悪感を刺激するような言い方をして、不貞腐れたような姿を見せて、佳嘉の隣を通り抜けて映画館の中へ入る。それでも今日は映画館デートなので、必ず佳嘉が追ってくるという自信があった。
ぽんと頭に手を置かれ、真生は反射的に斜め上を見上げる。
「拗ねるなよ。ほら、行くぞ」
佳嘉の大きな手が真生の髪をくしゃりと撫でる。どこか申し訳なさを感じているような、困っているような表情だった。
それよりも佳嘉が初めて自主的に真生へ触れてきたことのほうが重要だった。
顔合わせの日に大人を匂わせて迫りすぎてしまったせいか、数度食事を繰り返す中でも佳嘉から真生に触れてくることは一度もなかった。
無計画に提示してしまった大人という単語が、無意識であっても佳嘉に接触を忌避させていたのだとしたら――今こうして何気なくでも触れてくれたことが、真生の表情を綻ばせた。
「はぁい」
休みの日にスーツ姿で現れたことなど、大きな手で撫でられた事実だけで簡単に吹き飛んでしまう。
「佳嘉さんっ、ポップコーン食べたいポップコーン!」
なんといっても映画館の醍醐味は、映画を見ながら特定の飲食が可能なところで、最近はチュロスなど様々に新しいフードも出てきているが、真生が小さいころから譲れないのはポップコーンだった。
佳嘉の腕をぐいぐいと引きながらフード売り場に連れていく真生は、そのフレーバーの種類の多さに目を輝かせる。あまりにも心を惹かれすぎて、思わず唾液が口から零れそうになると慌てて飲み込む。
「何味にするんだ?」
真生の背後から佳嘉がひょいと覗き込む。最大二種類までならミックスが可能というカスタムのしやすさも、ポップコーンを選ぶ強みだった。
「いちごチョコとキャラメルのミックス!」
「本当に甘いもの好きだねぇ」
振り返ってメニュー表を指し示すと、佳嘉からは唖然としたような言葉が向けられる。
「佳嘉さんはしょっぱいやつのほうがいい……?」
確かに甘いものは好きだったが、二人で楽しめるのならば片方をノーマルの塩味にしても構わない。すべての支払いが佳嘉であることは変わりようのない事実だったが、少しでも佳嘉と一緒に楽しみたいという気持ちがあった。
「甘いのも好きだよ」
真生の肩越しに腕を伸ばし、佳嘉は店員にいちごチョコとキャラメルミックスのポップコーンを注文する。
その刹那、真生は店員からは自分たちがどのような関係に見えているのかが気になった。
少し他人行儀な部分があるところから実の親子や兄弟関係には見えないだろう。それでもこの映画館にいる誰も二人の関係性がパパ活であるとは思わないはずだ。
その大きな理由として、佳嘉はパパ活をするには見た目も実年齢も若すぎる。
大して気にしていないどころか、もし思ったとしてもSNS経由の知り合いと思うくらいだろう。それは実際間違いではない。
ポップコーンの入った大きなバケツを真生が両手で受け取ったとき、佳嘉は目的とする映画の入場開始時間のパネルと腕時計を交互に見ていた。
「まだ少し時間あるか……真生くん、先に入っててもらっていいかな?」
そう言って佳嘉が差し出してきたのは一枚の観賞チケットだった。
間もなく入場開始が可能な時間となる。時間があるとしても精々五分程度のものだった。
「どしたの、うんこ?」
待ち合わせ時刻より早く到着していた佳嘉なのだから、映画が始まる前に用を足しておこうと考えたとしても問題はない。しかしトイレは劇場内にもある。
そこまで我慢ができないほど切羽詰まっているのかと考えながらチケットを受け取る真生だったが、受け取った直後に指先で小突かれる。
「煙草だよ煙草」
佳嘉は指先で喫煙所のある方角を示す。
「ああ、はーい」
軽く手を振り、喫煙所へ向かう佳嘉の背中を見ながら、真生は今まで佳嘉が自分の前で煙草を吸ったことがあっただろうかと考えた。
顔合わせのときの喫茶店も、つい先日行ったラーメン屋も、どこも喫煙が禁止の店ではないはずだった。その証拠にラーメン屋では二席離れた背後の客が吸う煙草の煙が流れてきていたのを覚えている。
佳嘉が喫煙者であったことを初めて知った真生は、抑えきれない表情の緩みにポップコーンの入ったバケツを両腕で抱き締めることしかできなかった。
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