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第三章 イエス・ノー・イン・シンク④

 中華料理が食べたいと予め真生が伝えていたので、佳嘉は映画のあと予約していたという中華料理店に真生を連れていく。それは店構えからも本格的な中華であることが分かるような佇まいで、北京ダックが丸ごと出てきそうな店だった。 「あの役がさあ、□□の息子に演じられるのかなーって観るまでは不安だったけどさ」 「確かに□□の✕✕とは別物だったけれど、△△なりの新しい✕✕のキャラクターになっていたね」  映画観賞後の感想考察も、人によってはそれを嫌がる場合もあるので、佳嘉がそれを嫌がらずに受け入れる性質であることが、真生にとって安堵できた。  過去大作のリメイク版は大爆死するのが必至であるのに、二世俳優と言われながらも前作のプレッシャーに負けず、父親以上の名演技を見せた今作主人公の役作りは目を見張るものがあった。  春巻きにかぶりつきながら視線を送ると、佳嘉はレンゲの上に小籠包を乗せ、器用に箸で皮を被っているところだった。 「佳嘉さんさぁ、ぶっちゃけどっち派?」  この映画には明確な正義と悪は存在せず、主人公から見た逆側が悪であるとしても、その悪側から見れば主人公側の行為こそ悪であるという、お互いの正義と正義がぶつかり合う縮図となっている。 「子どものころ観ていたときには断然主人公派だったけど、今観ると向こう側の気持ちも分かるから難しいなぁ」 「だよねぇ!? おれもめちゃくちゃそう思う!」  子どものころは見て分かる主人公側の正義ばかりが目に入ってしまうが、必ずしも目に見えるものだけが正しいというわけではないことが、この映画のテーマだということが明確に理解できるようになったのは最近のことだった。  佳嘉は曇る眼鏡のレンズに目を細めながら、レンゲに拡がる小籠包のスープを熱そうに啜る。口の中をやけどしやしないかとそわそわしながらその光景を見守っていた真生だったが、そろりと口の中へ餡が吸い込まれていき、やがて佳嘉の表情がぱっと明るくなると、真生はほっと両肩を落とし口の中にあったたけのこの千切りを咀嚼する。 「忘れるところだった。これ、今日のお土産というか真生くんにプレゼント」  突然なにかを思い出したように、佳嘉はスーツの胸ポケットから小さな袋を取り出す。それは一見すると細長い定規のような形状で、あの映画館のテープが購入済として貼られているのが見えた。  なんだろうと表面を返してみると、それは一緒に観た映画の公式グッズであり、作中で主人公が身につけているリストバンドを模したリフレクターバンドだった。 「真生くんがトイレに行ってる間に買ってたんだった」 「これっ……えっ、まじで!?」  通常は板状のものだが、腕などに叩きつけるその形に沿うように巻き付く昔ながらのアクセサリーだった。映画の中では主人公の感情に呼応するようにリストバンドが光るが、それも蛍光塗料で再現されていた。  映画ファンにはたまらない垂涎のなりきりアイテムでもあり、普段遣いでも浮かないデザインであることが人気の理由でもあった。 「後こっちは今日のお手当て――」  大きめの財布のようにも見えていたクラッチバッグから佳嘉はクラフト封筒を取り出す。しかし真生は夢にまで見た主人公と同じリフレクターバンドに興味津々で、佳嘉の言葉など一切耳に入っていないようだった。  なによりもお手当てや食事ではなく、形に残る品を佳嘉からもらえたということが真生の中で感動を後押ししていた。  そんな真生の様子を見て、佳嘉も思わずふっと表情を緩ませる。 「ありがとう佳嘉さんっ、大事にするね。毎日付ける!」  早速包装から取り出した真生は、そのバンドを右腕に巻き付け、壊れやすいガラス細工のように、大切に胸元に抱きながらようやく佳嘉へ視線を向ける。  片肘をつき中国茶を嗜む行儀の悪さは普段通りの佳嘉だったが、真生はそんな佳嘉にどこか違和感を覚える。  不快感を与えないようにしっかり固められたヘアセットも、おそらくセミオーダークラスであろう上下揃いのスーツも、涼しげな目元もレンズの薄い眼鏡も。 「どうした?」  どこからどう見ても普段と同じ佳嘉の姿に変わりなかったが、中国茶の杯を持つ指の出るハーフグローブのあたりにこそ、その違和感があることに真生は気づき始めていた。  真生はずいっと佳嘉に近づくと、杯を持つその腕を掴む。佳嘉はなにも言わなかったが、腕の強張りからわずかに緊張が走っていることが分かる。  スーツの袖口から覗くシャツのカフス。その更に奥に覗く無機質な物体。掴んだスーツの袖をずり下ろせば、それはゆっくりと真生の前に姿を現す。  蛍光塗料で模様が描かれたリフレクターバンド、それは佳嘉が真生にプレゼントしたものと全く同一のものだった。 「おっそろい」  真生ははちきれんばかりの笑顔で、自らの手首に巻いたバンドを佳嘉に見せる。

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