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第35話
——今頃、浅見さんは文乃さんと一緒にいるのだろうか……。
青森から帰ってきた日曜日。
藍色の空を見上げながら、斗楽は洗濯物を取り込む手を止めた。
「ダメだ、何も考えるな」
雑念を振り払うよう、頭を降った。
浅見と一緒に見届けた、文乃と圭介の恋。
あのとき、二人の気持ちは確かに結ばれた。
けれど、障害はまだある、と浅見が言っていた。
それを解決するために、今、浅見は九条家に行っている。
ベランダから部屋に戻ると、見ないようにと、画面を伏せていたスマホを手にした。
触れてみたら、一件の着信に指が緊張する。
浅見からかと、心が逸ったけれど違った。
「また、俺は自分の事ばっかり……」
日下部の名前を見た瞬間、胸が締めつけられた。
優しい人に、また逃げそうになる。
日下部さんにちゃんと返事しないと……。
青森で偶然、浅見と会って、絡まった糸は解けたのかもしれない。
もし、その糸がぐちゃぐちゃになって切れてしまったとしても、斗楽は日下部を選ぶことはしない。
そう、決めていた。
正直にそのことを伝えなければ──
そう思っていたのに、自分を慰めるために青森へと逃げてしまった。
申し訳ない気持ちで電話をかけようとしたとき、再びスマホが鳴った。
浅見さん──!
鼓動が忙しくなる。
九条家とはどうなった?
浅見の会社から手を引いてくれるの?
青森で暮らす圭介と東京の文乃は?
聞きたいことが山ほどあっても、それを知るのが怖い。
でも、腹を括らなければ……。
震える指で通話ボタンを押す。
繋がった途端、「斗楽?」と、優しい声。
名前を呼ばれただけで、蕩けさせてくる。
「はい……」
返事をするだけで、心音が耳に響く。
緊張して、息が止まりそうだ。
「今、アパートの前にいる。そっちに行っていいか?」
「は、はい……」
頷きながら小さな声で返事をした。
浅見が来るまで、落ち着かない。
胸に手を当てて深呼吸を繰り返しても、心臓は勝手に逸る。
鼓動が大人しくなったのは、インターホンが鳴ったからだ。
ドアを開けると、目の前に浅見がいた。
変装用か実用なのか、どっちかわからない黒縁眼鏡姿で。
「入っていいか?」と聞かれて、慌ててスリッパをなんとか揃える。
浅見をリビングに通した途端、背中から力強く抱き締められた。
「あ、浅見さん……」
「斗楽、お前の気持ちは変わってないか。俺は、昨日言った通り……だ」
首すじに吐息がかかる。
身体が覚えている、愛しい温もりがよみがえってくる。
欲しくても、諦めなければと覚悟していた。 もう、この体温に触れることはないのだと。
けれど、それが今、すぐそばにいる。
まだ、温もりにすがっていたかった。
でも、先に聞かなければいけないことがある。
斗楽は浅見の腕に触れると、深呼吸して唇を動かした。
「浅見さん、あ、文乃さんは、どうなりましたか……」
腕の中で体を反転させ、拘束から抜け出す。
浅見の表情が、少し暗くなった。
「文乃は……圭介と一緒になるよ。俺の事務所からも手を引いた」
そう言って、浅見はカーペットの上に座った。
「ほ、本当に? で、でも文乃さん仕事は? 圭介さんの実家は──」
「大丈夫だ。圭介は農家をしながら、文乃と一緒にホテルのレストラン部門で働く。二人で無農薬野菜をホテル業界に広めるそうだ。手始めに、九条グループからだろうな」
嬉しそうに浅見が話してくれる。
でも、圭介の実家はどうなるのだろうか。
斗楽の表情で悟ったのか、実家は圭介の兄が兼業農家をやめて、本格的に農業をすると教えてくれた。
「よかった。じゃ、文乃さんはずっと圭介さんと一緒にいることができるんですね」
ホッとして言った。
ふと、浅見を見ると、沈んだ顔をしている。
隣に座って顔を覗き込むと、「すまなかった」と、頭を下げられた。
「今まで苦しい思いばかりさせた。もう、二度と斗楽を一人にはさせない」
苦しそうに浅見が懺悔する。
たまらなくなった斗楽は、浅見の手に自分の手を重ねた。
「斗楽……お前が愛おしい。本当は九条家に行かず、青森からお前を攫って閉じ込めたかった」
床に目を伏せた浅見の声が、震えてる気がした。
頬にも光るものが見える。
——俺はこの人が好きだ……どうしても……。
口にしようとした言葉を飲み込んだ。
その代わりに斗楽は、浅見の首に腕を回して、互いの体に隙間をなくすほど抱き締めた。
「浅見さん、好きです。大好きです……」
思いを声にして伝える。
もう、浅見と離れたくない。
そんな想いを込めて伝えた。
「斗楽……」
骨が軋むほど、強く抱き締められていた。
息苦しい。でも、その痛みが心地よかった。
「あさ……みさ……ん。浅見……さん」
うわごとのように、名前を呼ぶ。
声にする度に、愛おしさが増してくる。
「斗楽……お前を抱きたい。体ごとお前を愛したい」
情熱的な誘い文句に、斗楽がノーと言う理由はない。
返事の代わりに唇を寄せようとした。
そのときだった──
スマホが鳴った。
二人の間を裂くように……。
電話に出ようとした斗楽を、浅見が引き止めるように力を込めてくる。
斗楽を、うらめしそうに見ながら。
些細なやきもちを、素直に嬉しいと思った。
けれど、表示された名前の人を、蔑 ろにはできない。
「……も、もしもし。日下部さん。すいません、電話もらっていたのに、折り返しが出来なくて……」
『休日に悪いな。来週の会議の資料、去来川が用意してるんだろう。追記してもらいたい内容があるから、明日修正してくれるか』
口実なのだと……すぐにわかった。
そうさせてしまったのは、自分だ。
「はい、わかりました。すでにできている分は、日下部さんにメールで送ってます」
業務連絡が終わり、一瞬、会話が途切れる。
斗楽は今、伝えなければと、喉に力をこめた。
「あの……日下部さん、俺——」
『あいつと、上手くいったんだな』
「……はい」
『……そうか』
「はい……」
『……よかったな、去来川』
落ち着いた声。
だめだ、泣きそうだ。
これまで与えてもらった優しさ、思いやり、心遣いを思い出して、胸が締め付けられる。
「す、いません、日下部さん。俺、いろいろ助けてもらったのに……本当に、すいませ……」
『謝るな。じゃないと本当に去来川を諦めないといけないだろ? 浅見に言っといてくれ、またお前を泣かせたら、奪いに行くって』
「日下部……さん、俺、あなたに何も返せてない。もらってばかりで……」
『泣くな、去来川。お前の泣き声を聞くと、今すぐ顔を見に行きたくなる』
「はい……」
『でも、そうだな、お返しは仕事でしてもらおう。それで上層部からの俺の評価をバンバン上げてくれ。それで手を打ってやる」
「……任せて、ください」
また、日下部に救われた。
斗楽は心を込めても礼を言うと、電話を切った。
「カフェで一緒だった上司だろ? そいつ諦めたか」
浅見がぶっきらぼうに聞いてくる。
心なしか、顔も不機嫌だ。
「俺を泣かせると、奪いに来るそうです」
フフっと泣き笑いして、浅見を見た。
「それはきっと、永遠に無理だな」
キザな台詞だなと、こそばゆくなる。
斗楽はスマホを握り締めると、胸に当てて抱き締めた。
「そんなことされると、妬けるな」
ふいに、手首を掴まれた。
そのまま、浅見の胸に引き寄せられると、誓いのような、口付けを額に落とされる。
「斗楽、頼みがある……」
そっと、耳打ちされた。
「頼み……」
「あのアンクレット、また着けてくれないか」
浅見が口にした願いは、斗楽の願いでもあった。
斗楽は引き出しの奥から、ビロードの袋を取り出した。
「俺に着けさせてくれ」
返事の代わりに、差し出された手のひらに、アンクレットを乗せた。
ターコイズ、ラピスラズリ、ソーダライト。
──小さな青の粒が、浅見のブラックストーンと響き合う。
まるで、ふたりの気持ちが再び重なったみたいに。
ジョガーパンツの裾を捲られると、白い足首に浅見の手が触れる。
そこから熱が生まれると、あっという間に身体の奥から疼きが芽生える。
早鐘のように打つ心音を抱えながら、浅見の顔を見つめていた。
「そんなに見られていると、誘われてるのかと勘違いしそうになるな……」
熱っぽい双眸が斗楽を見て言った。
「誘って、ます……」
言ってすぐ、顔が熱くなる。
大胆なことを口にした自分が恥ずかしい。
「あの、やっぱ、違います。い、今のは聞かなかったことに——あっ」
浅見の唇で、斗楽の言葉ごと奪われる。
髪に長い指が埋もれ、かき乱される。
激しい口づけで、淫靡 な声を引き出されると、口の端から蜜が滴る。
いやらしい水音が脳を痺れさせ、何も考えられなくなった。
浅見さんが欲しい──
それ以外は、何も。
うっとりしていると、いつの間にかベッドに運ばれていた。
そっと寝かされると、浅見が上に跨ってくる。
先に自分の服を脱ぎ捨て、斗楽のパーカーのファスナーをゆっくり下ろしていく。
その速度が斗楽を煽情し、両袖は自ら脱いでいた。
半袖のTシャツだけになると、浅見の体で閉じ込められ、深い口付けを交わす。
激しく絡ませる、キスの応酬。
求められている証が嬉しい。
欲しかった浅見の全てを取り込むよう、キスと一緒に体が暴走し始める。
広い背中に腕を回し、罠を仕掛けるように両足を浅見の背中に乗せた。
「斗楽……。俺を煽ってどうする。俺にどうして欲しい」
吐息混じりの声が耳に注がれると、その答えを浅見の耳朶を噛んでから言った。
「俺を、めちゃくちゃに……して欲しい、です」
これほど恥ずかしい言葉を口にしたのは、人生で初めてだ。
でも言わずにはいられない。
気が狂うほど、浅見に犯されたかったから。
「そんな風に言われたら、本当に壊しそうになる。抱き潰してしまいそうだ……」
浅見が口づけをしながら、斗楽のシャツを脱がしていく。
小さな突起が敏感になって、浅見に触れられるのを待っている。
期待していた快感は、すぐに訪れた。
浅見の薄い唇で突起を含まれると、秘芯を強く吸われた。
「はぁうん。あ……あぁ」
腰が勝手に浮き上がる。
まるでもっと吸って欲しいと言うように、浅見の口元に斗楽の胸が近付く。
強く吸われたり、甘噛みされている間、反対側は指先でキュッと摘まれていた。
同時に二つの小さな器官を攻められ、斗楽は快感を吐息と一緒に漏らした。
「斗楽、斗楽……俺のだ……」
「……二人でいるとき、は浅見さんも俺だけの……。だから──」
体を起こして、言葉を途切れさせた。
そのまま斗楽は、浅見の下半身へと降りて行く。
既に固く屹立しているモノにそっと触れた。
「浅見さん、口で……したい」
浅見が息を呑んだのがわかった。
テレビや映画の中の浅見は、みんなのもの。
だから、こんな風に一緒にいるときは、浅見の全てを欲しがりたい。
自分だけの『特別』が欲しい。
この思いを伝えたくて、言った言葉だった。
それなのに、浅見の元へ到達する前に枕まで戻されてしまった。
「何で、ですか。イジワルしないでくださ──あぁ、あさ……みさ、だめっ」
閉じ込めるような口づけ。
唇だけじゃ治らず、「口を開けて……」と、言われた。
そんな指令が下されると、逆らえずに差し出す。
許しをもらった浅見の攻め技は止まらず、身体中に悦楽を与えてくる。
「イジワルじゃない。お前に……アレをされたら、俺は、もたない。今すぐにでも、斗楽の中に……入りたいのに」
浅見に求められることが嬉しい。
その証拠に、浅見の手で翻弄されていた斗楽のモノは、はしたないほど先走りがあふれていた。
「あさ……みさん、俺、もう、も……う」
下腹部の最奥を刺激して欲しい。
そこを思いっきり突いて欲しい。
いやらしい思考が止まらず、斗楽の腰はゆらゆらと揺れていた。
「そんなに腰を動かし……て。かわいすぎるだろ」
浅見がサイドテーブルから潤滑剤を取りだし、指に乗せる。
それを狭い後孔に注ぎ込んできた。
「あっ……」
冷たさに腰が仰け反る。
浮いた腰を持ち上げられると、下に枕を入れられた。
されるがままでいたら、硬い蕾に浅見のモノが触れる。
先端の滑りと人工の潤いを借り、斗楽の中に浅見が入ってきた。
その瞬間、細い腰が弓形に曲がって、痛みを堪える。
窮屈な中に、猛々しいモノが埋め尽くされる。
痛みを逃そうと唇を噛む。
興奮した浅見の熱い楔 が、最奥まで穿たれた。
「熱いな……斗楽の中。それに俺をどんどん締め付けてくる」
肌と肌が触れ合う音。
斗楽を貫く優しくて激しい感情を、敏感な箇所で受け止める蜜音。
それだけで、蕩けそうになった。
「ああぁっ、や、あさみ……さ、俺……お……れ。あ…」
声も腰も止まらない。
体の上で汗を纏う姿が、眩しすぎて目を閉じてしまう。
「斗楽、斗楽、愛……してる。おれの……」
熱にうなされたように溢れた告白。
その瞬間、斗楽の中で感じたことのない温もりが生まれた。
真綿に包まれたような安寧……かと思えば、波打ち際で足元にそっと触れる波のような、頼りなさもあって──それでも、心地よかった。
ナイトライトのささやかな灯りのもと、ふたりじめする肌をすり寄せ合う、ひととき。
背中から包まれてまどろんでいると、「あのさ……」と、浅見の声で斗楽は体を反転させた。
「……俺な、引っ越すんだ。ホテルを引き払って、マンションを買おうと思ってる」
「……そうなんですか。あ、でも自分の部屋を持つのも楽しいですよ」
言いながら、斗楽は少し寂しく思った。
初めてあの部屋で過ごしたことは、斗楽にとってこの上ない幸せな夜だったから。
「だからな、斗楽。俺と一緒に住んでくれないか」
──一緒……に?
思わず飛び起きた。
裸だったことも忘れ、ほくそ笑む浅見を凝視する。
「い、一緒にっ! い、一緒にって、え、それって──」
自分を見上げてくる顔が、いたずらっ子のように、瞳を輝かせている。
「ああ、一緒に」
「ほ……本当……に?」
「もう、斗楽と離れたくないんだ。ダメか?」
答える代わりに、頭が千切れるほど首を左右に振った。
「だ、ダメじゃないです! で、でもまた週刊誌とかに撮られたりしたら……。俺と一緒なことで、浅見さんに迷惑をかけたくない……」
叫びたくなるくらい嬉しかった。
でも、浅見は芸能人だ。
自分の存在が障害になることは、ゼロじゃない。
もし、男の自分と一緒に暮らしている──なんてバレたら。
想像しただけで、苦しくなる。
「……俺の仕事は不規則だ。だから斗楽との時間を作ることさえままならない。離れている時間が増えると、お互いの気持ちを伝えることさえ難しくなる。これまでそれを散々味わったんだ。だから一緒に暮らしたい」
「浅見さん……」
「それで、いつか斗楽を養子に迎えたいと思っている」
突然の告白に、衝撃すぎて言葉を失った。
「よう……し」
「そう、養子だ。俺は斗楽と他人のままでいるのは嫌なんだ。斗楽……俺の家族になって欲しい」
願い事を唱えるよう言いながら、斗楽の肩に毛布をかけてくれる。
ふと、子どものころの浅見の話を思い出した。
母親と一瞬にチラシで作った折り鶴。
その母親の無事を祈って折った、未完成の千羽鶴。
文乃が養子に行ってしまい、一人施設に残った浅見の姿を想像しただけで、泣きそうになった。
「俺が……浅見さんの家族になります」
小さい浅見に、手を差し伸べることはできない。でも、今、そばにいる浅見にはそれができる。
この先もずっと……。
「もう、浅見さんを一人にはしません……ずっと、ずっとそばにいます」
帰る場所がお互いの腕の中だと思えること。 それが何よりの証だ。
「俺もずっと斗楽と一緒にいたい。斗楽以外はいらないんだ」
浅見がゆっくり体を起こすと、毛布ごと斗楽を抱き締めてくれる。
「俺のとなりは永遠に斗楽だけだ。時期を見て、お前のお母さんにも、ちゃんと話すつもりだ。……玲央くんには、ちょっと緊張するけどな」
彼が一番手強そうだなぁと、笑いながら浅見がもう一度強く抱き締めてくれる。
お互いがいる、それだけで世界が変わる気がした。
一緒にいるだけで、強くもなれる気がした。
二人が同じ想いでいる限り、永遠に変わらない時を一緒に刻める。
斗楽はそっと顔を上げた。
浅見が見下ろしてくる。
鼻先をそっと合わせ、微笑み合う二人。
カーテンの隙間からこぼれる星が、静かに瞬いていた。
完
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