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インキュバスの懇願
「俺はシトル。で、こっちはリン。見ての通り夢魔だ」
カイラはヴェルトに庇われながら2匹の夢魔の様子を窺い続ける。
今話しているインキュバスのシトルは少し痩せているが健康そうに見えた。
しかし一方でサキュバスのリンはぐったりとしており、ヒュー、ヒューと音を立てながら苦しそうに呼吸し続けている。
眠っているのか、それとも意識を失っているのか。2人の冒険者が現れても何の反応も示さない彼女の身体は、赤い発疹で覆われている。
「彼女は……恐らく、もう長くない」
シトルは生気を感じられぬ声で続ける。
「だからせめて、雨風を凌げる場所で静かに看取ってやりたい」
「だから見逃せって言うのかい」
夢魔の懇願にヴェルトは冷酷な声で返す。
「そうだ。だが……2ヶ月くらい後に来てくれ。そうすりゃ俺の首を差し出す」
突然の自殺予告にカイラは目を白黒させる。
「もう生きる価値を見出せないんだね?」
どこか遠い目をしたヴェルトを、シトルとカイラは同時に見上げた。
「君にとって彼女が全てだから。自分だけのうのうと生き延びるくらいなら、ここで終わらせたいんだ」
ただ想像しながら話しているのとは違う。ヴェルト自身そう思った事があるかのような生々しい口調だ。
「……そんなのダメです!」
ヴェルトの後方にいながらカイラは芯の通った声を上げる。
「だからって生きる事を諦めちゃダメです!」
世間一般の道徳に満ち溢れた意見を耳にしたシトルは失笑した。
「おかしな事言う坊主だな。お前達、俺達を殺しに来たんだろ」
何もかも諦めた末の乾いた笑いに、カイラは背筋を凍らせる。
「そ、そうなんですけど……そうなんですけど……っ!」
何か言わねばならない。
それなのに言葉が出てこない。
何も言わぬカイラを放っておき、シトルは本題に戻ろうとする。
「お前達のような冒険者にとって、討伐依頼の報酬は旨いはずだ。しかも下級とはいえ、夢魔は悪魔にあたる。報酬もそれなりに高くなるだろうな?」
「そうだね」
「我ながら無理な願いだとは重々承知の上だ。だが……頼む。今は見逃してくれ。ずっとここにいる。そしてお前達が来たら抵抗せずこの首を差し出すと約束するよ」
シトルの腹を決めたような形相を見据えながら、ヴェルトは口を再び開いた。
「『2匹の夢魔は確かにこの小屋にいたが逃げられた。飛び去った方向も分からなかった為、どこに行ったか見当もつかない』」
「……は?」
報告書の文言をそのまま読み上げているようなヴェルトの言葉に、シトルは頓狂な声を上げる。
「分からないのかい。見逃すって言ってるんだよ……正直君の事なんて知ったこっちゃ無いけど、倒す気が失せた」
「カイラ君もそれでいいかい?」とヴェルトに意見を求められたカイラは、安堵し何度も頷く。
ヴェルトは鋭い視線をシトルへ向けた。
「だけど1つだけ聞かせて。ミキっていう夢魔を知らないかい」
「ミキ……悪ぃ、俺は知らない。ソイツが坊主に呪いをかけたのか」
とシトルはカイラに視線を注ぐ。
「えっ? 分かるんですか……?」
「夢魔の魔力を感じるからな」
「じゃあ他の夢魔の事を教えて欲しい。この子の呪いを解くためにも、少しでも情報が欲しいんだ」
それを聞いたシトルは一考しこう答えた。
「……クロウ」
クロウという名前にカイラは目を丸くする。いつか、どこかで聞いた名前だったからだ。
「レザーに魔導技師のクロウというのがいる。ソイツは夢魔で、人間と共に長く暮らしてる。ミキの事を知ってるとは限らないが……何か役立つ事を知っているかもしれない」
「そう……ありがとう」
ヴェルトは踵 を返し、既に魔法が解かれた出入り口の方を向く。
「おい……! 本当にこのまま俺らを見逃すつもりか!?」
あり得ない。とシトルは剣士の背に叫ぶ。
「そうだよ。2ヶ月後にも僕達はここには来ない。ここで暮らし続けるんなら、もっと慎重に行動するんだね」
先程まで扉が塞いでいたはずの大きな穴。そこから望む自然豊かな風景に目を向けたまま、ヴェルトは更に続ける。
「もう一度言うけど君がどうなろうが知ったこっちゃない。だけどね、生きてると思わぬ出会いがあったり、面白い事が起きたりするんだ。……行こう、カイラ君」
「はい!」
呆然としたシトルと息も絶え絶えなリンだけを置いて、カイラは不安気な表情でヴェルトの背を追った。
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