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第5話
やっと掃除を終わらせて道具を片付ける。
急いで職員室に向かって中を覗くけれど、そこに東條先生の姿はない。駐車場の方へ行って相澤先生の愛車の黒のドイツ車を探すけれどどこにも止まっていない。
やられた――。
なんだか悔しくて物凄く腹立たしい。
あいつ、俺に人生握られてるのが本当に分かっているんだろうか。
苛苛しながらもずっと駐車場に突っ立っている訳にも行かないので、仕方なく一人で歩いて校門を出る。
暫く相澤先生に車で送って貰う生活をしていたから、歩いて帰るのが久しぶりに感じる。
ポツリ、と雨の雫がアスファルトに染みを作る。空を見上げると昼間とは打って変わってどんよりとした雲が空を覆っていた。
ポツポツ、と溢れ落ちる雨を避けるように、高架下沿いを歩く。
人気の少ない高架下沿いを歩いていると、後ろからバイクの音が近づいてくる。
暫くしても通り過ぎる事なくずっと着いてくるそのバイクを不審に感じて足を早める。するとバイクもエンジン音をさせて着いてくる。
とうとう横に来たバイクに、恐る恐る視線をやる。
「送ってやろうか?」
乗っていたのは中年男性で、目が合うと俺に声を掛けてきた。
「いや、いいです」
断ったというのに、まだ横につけて着いてくるバイクの男。
「いいから乗りなよ」
「いや、ほんとにいいんで」
まだ着いてくるバイクの男にどうしたものかと思う。徒歩とバイクでは、走って逃げても追いつかれる。逃げる事も出来ずに、ずっと着いて来るバイクに気味が悪くて心臓が嫌にドクドクと鳴る。
怖い――。
プップー!と大きく後ろから鳴らされたクラクションにびく、と肩を揺らす。
バイクの男も驚いたようで、慌てて後ろを振り向く。
「おい、何やってんだ?」
車から顔を出して、眉を顰めて訝しげに男を睨む相澤先生に、驚いて目を見開く。
「せ、せんせい!」
藁にもすがる思いで大きな声でそう言うと、バイクの男は焦った表情で慌ててバイクを走らせて逃げていく。
「大丈夫か?」
「た、助かった……相澤先生もたまには役に立つんだね」
「なんだその言い方は。乗るか?」
「……うん」
車に乗り込むと、心底安堵している自分がいてその事実が何だか不思議だった。相澤先生だって、とんでもない事をしていた変態教師だって言うのに。でも、その理由は分かっている。
相澤先生は密かにああ言う事をしていても、その感情を直接本人にぶつけたりする事は絶対にない。それが何となく分かるからだ。
相澤先生のお陰で助かったのは事実だけれど、今日1日避けられていた事を思い出してまた腹が立ってくる。
「相澤先生、何してたの」
自分でも分かるくらい低い声になる。
苛立ちを隠せていない声色に、相澤先生も気づいたらしく困ったように首をかいた。
「備品の買い出しにホームセンターに寄ってたんだ。学校に戻る途中で東條がバイクに付けられてるのが見えて、心配になってUターンして来た」
「今日、ずっと、避けてたくせに」
「それは……あんまり東條ばかりといると、他の生徒にも変に思われるかもだし」
「上田にも?」
意地の悪い事を言っていると自分でもわかる。
「上田がどうとかそう言うんじゃなくて、分かるだろ」
そう言って肩を竦める相澤先生に、何も言い返せなくて黙って俯く。今はラジオも着けられていなくて、暫く車内はシン、と沈黙が流れる。
「ちょっと寄るか?」
唐突にそう言われて、顔を上げる。
相澤先生は車を道端に一旦止めて窓の外を見やる。
その視線の先には大きなゲームセンターがあった。
「教師の癖に生徒誑かしていいの?」
「これって誑かしてるのか?」
「別に……少しなら良いけど」
俺のぶっきらぼうな返事に、ふ、と口元を緩めて笑う相澤先生。
初めて見る余りにも優しい表情にドキリとする。学校でもこんな表情をするのを見たことがなくて妙に胸騒ぎがする。
俺、どうかしたか。
車がゲームセンターの駐車場に入る。
「いくぞ」
車から降りた相澤先生にを掛けられて、俺もハッとして車を降りる。
店の中に入るとUFOキャッチャーがズラリと並んでいる。
お菓子が積んであるケースや、アニメのフィギュア、ぬいぐるみのケースなど様々だ。
あるキャラのぬいぐるみを見てあ、と思って足を止める。
懐かしいゲームのキャラのぬいぐるみ。
朧気だけれど、今も覚えている父親との記憶が蘇る。
俺が幼稚園の時、ハマっていたゲームのキャラのぬいぐるみのUFOキャッチャーを見つけて、父親にせがんだ。
最初は1度だけだぞと言った父親だったが、ムキになって数千円程積んで、結局母親にバレて怒られて取れずにそのまま帰ってしまった。
泣いて帰らないとグズる俺を、帰りの車の中で父親はごめんなと本当に申し訳なさそうに頭を撫でてあやしてくれた。暖かくて優しい手だった。
中学の頃に父親は母親と離婚して家を出ていったきり、一切連絡は取っていない。しばらく父親のほうから連絡が来ていたけど俺がずっと無視をしていたら今はもう来なくなってしまった。
あの人は、今頃何をしているんだろうか。
そんな事を考えてじっとぬいぐるみの入ったケースを見ていると、相澤先生が「これ欲しいのか?」と言って俺の返事も待たずに100円玉を機械に入れた。
機械を操作して、ぬいぐるみを掴んだけどギリギリで端に落ちてしまう。
「見てろ、ここからか勝負だから」
もう一度100円玉を入れて、三本爪のアームのひとつを落とす穴の壁に引っ掛けてそのまま2本の爪でぬいぐるみを引き寄せる。
ひとつの爪を引っ掛けていたおかげでアームが首を振って、ぬいぐるみが穴に落ちた。
UFOキャッチャーから軽快な音楽がなっておめでとう!おめでとう!と繰り返し言う。
「ほら、やるよ」
「上手いんだ」
「昔学生の時に帰り道にゲーセンあって、そこに毎日寄って遊んでたからな。UFOキャッチャーはめちゃくちゃ得意」
得意げにそう言う相澤先生は少し子供っぽく見えた。
頭をぽん、と暖かい手に撫でられて驚いて見上げる。
「あんまりテンション下げるなよな」
「……ん」
返事とも取れるか分からない声でそう呟くと、背中をとんとん、と優しく叩かれた。そんな仕草が俺の全てを受け入れてくれているような気がして何だか胸が熱くなった。
***
帰りの車で、うとうとして目を擦る。
「眠い?」
「ちょっと」
「寝てていいぞ、着いたら起こすし」
「うん……」
くあ、と欠伸をして目を閉じる。車の揺れが心地よくてぬいぐるみを抱いたまますぐに意識を手放した。
――夢を見た。
俺はまだ幼くて、父親と母親と三人で仲良く手を繋いで遊園地に来ていた。実際そんな事実はなくて、これは夢なんだと何となく頭の隅で分かっている、そんな夢。
父親が俺の頭を撫でてくれる。手の暖かさが心地よくて頬を擦り寄せる。硬いけど滑らかな手の感覚に胸が満たされていく。
そして、ゆっくりとその景色が遠のいていく。夢が終わることに気づいてゆっくりと目を開けた。
目を開けると、目の前に相澤先生の顔があって目を見張る。
「あ、起きた」
相澤先生の息が顔に少しかかる。
「近いっ」
思わず胸を手で押すと、「ああ、悪い」と素直に謝ってきた。
「着いたぞ、家」
窓を見ると、家の大きな門が見える。俺はシートベルトを外してさっさと車をおりる。門へと歩こうと背を向けるが、一度立ち止まってもう一度相澤先生の方へ向き直す。
「……ありがとう」
今までお礼なんか言ったことは無かったけど、今日は何となく言ってもいいような気がした。
「おう」
少し驚いた表情をしたあと、ふ、とまた優しげに笑う。まただ。胸が熱くなる感覚に、自分でも困惑する。
すぐに門へと足を向けて、家の敷地に入る。
車の走っていく音がして、遠のくエンジン音を聞いていた。
未だにどきどきと忙しなく鳴る心臓を落ち着かせようと、深呼吸をする。
それから玄関を開けて入る。
入った瞬間に、リビングの扉が開かれて人が居たことに驚く。一瞬お手伝いさんかと思ったが鋭い声がして母親だと分かる。
「夏和、塾はどうしたの?」
「今日は塾は休みだよ」
手に持っているぬいぐるみを一瞥して、あからさまに顔を顰める。
「それにしては帰りが遅いじゃない。遊んで帰ってきたの?ちゃんと期末試験も一番をとりなさいよ。1番じゃないと意味が無いんだから。遊ぶのは結果を出してからにしなさい」
「……分かってるよ」
「母さん会社に戻らないといけないから、しっかり勉強してなさいよ」
捲し立てるようにそう言うと母親はすぐに家を出ていった。
嵐が過ぎ去った後のようにシンとする家の中で、長いため息をついた。
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