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歪んだ結末

 王の閨を許可もなく訪れるのが禁忌だと、イリア自身にも分かっていた。  しかし、彼の足はまるでそれ自体が意志を持っているかのように、イリアをその場所へ導いていた。扉の前で、しばし躊躇する。本当に、良いのだろうか?ここへ来てしまって、本当に後悔しないだろうか?それは、誰にでもない、自分への問いかけだった。永遠に続いてゆく鏡の中の鏡のように、答えのない疑問符がこだまする。  その時、しんと静まり返った廊下に、部屋の中から微かな声が響いてきた。 「エリオス…何故…どうしてあんなことを…」  声は、確かに震えていた。まるで、押し殺していた感情が堰を切って溢れ出ているかのように。イリアはしばらくそこに立ちすくんでいたが、やがて意を決して顔を上げると、そっと扉を叩いた。静寂の膜を破るかのように、その音が廊下に鳴り響く。 「誰だ」  涙まじりの声が、扉の向こうから聞こえてくる。イリアは、まだ夢を見ているような感覚のまま、なるべく静かに届くよう、言葉を発した。 「ラザール様、俺です。イリアです」  わずかな間を開けて、「イリア?」と、重ねて問うラザールの声が聞こえる。 「入っても…良いでしょうか?」  沈黙。しかし、わずかな衣擦れの音で、ラザールが身繕いをしているのが分かった。潮風が、鎮魂の夜を包み込む。しばらく待っていると、ゆっくり、こちらに向かって近づいてくる足音が聴こえてきた。その音を耳にした瞬間、イリアはこれまで自分を覆っていた夢のような感覚が、ほろほろと崩れ去っていくのを感じた。緊張で、胸が高鳴る。  ーーラザール様は、一体どんな表情で俺を迎えるのだろう  ーー弟を自らの手で殺める要因を作った、この俺を  やがて、扉が少しずつ開き、暗い廊下に光が差し込む。すぐそこに、王が立っているのが分かる。イリアが思い切って顔を上げると、そこには予想もしなかった表情のラザールが、こちらをまっすぐ見つめて立っていた。 「イリア」  その目は、その顔は、その体は、全てが哀しみで溢れているようだった。頬を伝う二筋の涙を拭うこともなく、ラザールは扉を開け放つと、イリアを迎えいれ、そして、その華奢な体を逞しい両腕に抱きかかえた。次から次へと溢れる涙の雫が、イリアの皮膚を濡らす。王に抱き抱えられているうちに、イリアは自分が泣いているのか、ラザールが泣いているのか分からなくなり、二つの体の境界線が曖昧になってゆくような心地になった。 「ラザール…様」 「リュサの花よ、お前に会いたかった…」 「でも、俺は…」 「何も言わなくて良い。ただここにいてくれ、私の胸の中に」  弱った獣のようなラザールのか細い声に、イリアの胸がざわめく。王は、自分を必要としている。罪深いこの体を、その腕に抱いて。全てが間違っているような、それでいて、これが正しい結末であるかのような奇妙な気分になる。イリアは、躊躇いながらも、自らの体を抱きしめる王の逞しい体に、そっと細い腕を回した。 「ラザール様、俺もあなたに…会いたかった」 「本当か?」 「ええ、本当です。偽りではありません」 「イリア、私はお前を愛している」    その言葉を耳にしたとき、イリアの中でわだかまっていた何かが、するりと解けていくのが分かった。その一瞬、イリアは、自分が犯した罪も、海鳥たちの声がかき消したエリオスの断末魔も、潮風の中に嗅いだ氏族の生地の匂いも全て忘れ、恍惚とした感情に浸っていた。  ーー王は、自分を必要としてくれている。  ーーならば、まだ「花」としての価値はこの体に残されているのだ。 「ラザール様」  イリアは言った。 「お望みならば、お夜伽を…」  ラザールは、しばらく何も言わずにイリアを抱き締めていたが、やがて首を横に振った。 「今宵は無用だ。もしお前が望みを叶えてくれるというなら、朝まで私の側にいてほしい」 「…わかりました。お望み通りに」  やがて、ラザールはイリアを子供のように抱き抱えると、巨大な寝台に運び、そっと、まるで宝石を扱うかのようにその上へのせた。そして、自らもイリアの隣に身を横たえると、顔を近づけ柔らかな口づけをした。 「…っん…ん」  喘ぎを漏らすイリアの頬を、ラザールの大きな手がしっかりと包み込む。 「イリア、お前は本当に美しい。何があっても、この『花』だけは私が守りたい」 「ラザール様」 「誓ってくれるか?私の目を見て。この先もずっと、ここで、この島で、私のそばを離れないと」  イリアは、王の目をしっかりと見つめたまま、首を縦に振った。 「はい、誓います。ラザール様、俺は永遠にあなたのものです」 「イリア…!」  王の唇が、それ以上何も言わせないというように、イリアのそれを塞ぐ。熱を帯びる体が、邪魔だ。もっと抱かれたいと思う心が、邪魔だ。イリアは、その時確かに、自らの魂が震える声を聴いていた。それは、償いかもしれなかった。自分の犯した罪に対する代償かもしれなかった。しかし、彼の、ラザールの側にいたいという心に、嘘偽りはなかった。  王の唇の柔らかさに溺れながら、イリアは柔らかい闇に自分の体が溶けてゆくのを感じていた。  ーーああ、全てはこの瞬間のために用意されていたのだ。  ーー俺は、この時を迎えるために、生きてきたのだ。  波の音が、罪深いイリアの心を、体を、洗うように響く。この静かな夜の何もかもが、その歪んだ結末を祝福するかのように、彼の耳に鳴り響き続けた。 (完)

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