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残されし花
色とりどりの花に包まれたエリオスが、豪奢な飾り付けをされた小舟に乗せられ、海へと流されていく。水葬——それがこの島で死者が出たときの習慣である。王族が亡くなったということもあり、浜辺には島中の人間が集まり、楽隊がレクイエムを奏で、その哀しき船出を見送っている。イリアは、徐々に小さくなっていくその姿を見つめながら、心の中で祈っていた。
ーーどうか、安らかにお眠りください。
ーー俺はあなたを…永遠に忘れません
レクイエムの終わり、一際大きな笛が吹かれると、浜辺には静寂が訪れた。イリアは、頬から溢れ出す涙を拭いもせずに、潮風の中にエリオスの名残の匂いを感じようとして、目を閉じた。そんな彼の肩に、重々しい手が置かれる。
「イリア、葬儀は終了だ。もうここにいる必要はない」
ラザールーー残酷にも、自らの弟を葬り去った男。イリアは、その言葉に何も答えず、なおも瞼を閉じて、浜辺へ立ち尽くした。
ーー俺のせいで、エリオス様は死んだ。
ーー俺を守ろうとして…
「リュサの花よ」
動こうとしないイリアに向かって、ラザールがさらに声を掛ける。
「彼のことは忘れなさい。弟はーーエリオスは私を裏切ったのだ。庭に咲いた『花』を摘み取ろうとするのは、この島で最も忌むべき行為だ」
「だからってーー何もあんな惨いことを」
「分かってくれイリア。私は島の主として、しなければならないことをしたまでだ。さあもう部屋に戻りなさい。あまり風に当たりすぎると、悪い気が入る」
「もう少し、ここにーー」
イリアがそう言うと、ラザールは諦めたように首を振り、肩に置いた手を静かに戻した。そして、イリアの背後に回ると、その華奢な体を後ろからそっと優しく抱きしめた。
「お前がエリオスに連れ去られなくて、本当に良かった」
その温かいものを含んだ声に、イリアは思わず驚いて目を開ける。すると、ラザールの両頬を、二筋の涙が伝っているのが見えた。その意外な反応に、イリアの心は戸惑う。どこかで、海鳥が鳴き声を上げる。
「お前は私の『花』だ。私だけの、貴重な『花』。それを奪おうとする者を、私は決して許さない。たとえ血を分けた弟であっても」
ーーラザール様が、泣いている
ーー彼は、本当に俺のことを思って
激しく心がかき乱されるのを感じながら、イリアはラザールの両腕の中で、立ち尽くすよりほかなかった。エリオスの奸計に、自分もまた加わっていたこと、そしてそれを黙っている自分の狡さが、彼の胸を締め付ける。悪いのは自分なのだと、喉元まで言葉が出かけるが、こうして王が自分にかけてくれる愛の重みを感じていると、どうしてもそれができない。
「ラザール様、すみません心配かけて、俺、部屋に戻ります」
イリアはやっとの思いで口を開くと、王の頬に流れる涙を自らの手で拭った。無礼だとは承知の上だったが、今の自分にできることはそれしかない。
「そうだな、それが良い」
ラザールは、取り乱した自身を恥じるようにそう言うと、ゆっくりとイリアから体を離し、再び威厳に満ちた顔つきで、すでに何も浮かんでいない海を見つめた。まるで、自分が殺めた弟の死を、悼むようなその眼差しに、イリアの胸は再びぎゅっと締め付けられる。
「私も庭に戻ろう。今日は一日喪に服さねばならない」
そう言い残すと、ラザールはくるりと踵を返し、浜辺を一人去って行った。王の残り香が潮風に吹かれ消えてゆくのを感じながら、イリアはもう一度、見えなくなってしまったエリオスの姿を探すように海へ視線を向けてから、自分もまた、その場を後にした。
♦︎ ♦︎ ♦︎
自室の寝台に横たわり、次に目を開けると、窓の向こうはすでに宵闇に包まれていた。弟王の死を悼んでか、島全体をしん、とした空気が覆っているのが分かる。さすがに、今日は「夜伽」はないのだろう。いつもなら彼を呼びに来る、侍従たちの足音も、聞こえてはこない。
イリアはそっと身を起こし、その静寂に耳を傾けた。もはや、潮風に自らが生まれた大地の匂いを嗅ぐこともない。いや、それどころか、あの時確かに嗅いだはずの砂と土の香りさえ、幻だったように感じられる。
ーーああ、この静けさが、永遠に続けば良い
ーー今の俺には、『花』として、自分を咲かせる権利などないんだ
風の音だけが、イリアの体を優しく包み込む。エリオスが葬り去られるときに感じた、残酷なほどの胸の痛みを和らげるように。
ーーラザール様は、今一体何を考えているのだろう?
ーー彼もまた、一人あの巨大な寝台で弟の死を悼んでいるのか
そんなことを考えていると、先刻、イリアを抱きしめながら涙を流していた王の顔が、再び彼の脳裏に蘇ってきた。あれは、確かに嘘偽りのない、真実の涙だった。そして、イリアに対してかけられた愛情のこもった言葉もーー
(お前は私の『花』だ。私だけの、貴重な『花』。)
その言葉が、まるで木霊のようにイリアの鼓膜に響き続ける。気がつくと、イリアはふらりと寝台を降り、姿見で自身の見た目を整え、部屋を出ていた。何かを考えていたわけではない。ただ、足が勝手に動いていただけだ。まるで夢を見ているような感覚で、一人静かに廊下を歩き続ける。向かう先は、分かっていた。「あの部屋」だ。
夢遊病者のように、ふらふらと、しかしはっきりと意志を持ちながら、イリアの足はそこへ向かって歩き続けた。
やがて、誰もいない廊下の先に、その部屋が見えてきたーー
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