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第8話③

(僕、今、クレイドに『触って』って言った……?)  自分の言葉が信じられず、リオンは口を押えた。湧き上がる恐怖にかたかたと身体が細かく震え始める。 「ごめ……ごめんなさ……」  自分は今、クレイドの手のひらを自分の下半身に押し付けようとしたのだ。  誘ったのだ、そういう行為に。  クレイドは驚愕した顔のまま、動かなかった。唇だけがわずかに開いては閉じる。 「……リオン、様……俺は……」  クレイドが茫然と呟いたとき、扉を押し開ける音がした。ばたばたと慌ただしくドニが入ってくる。 「すみません、遅くなりました! この抑制剤を飲んでいただいて……」  そこまで言いかけたドニは、リオンとクレイドの間に流れるおかしな空気に気が付いたようで、首を傾げた。 「どうかされましたか?」 「いや、なんでもない……」  クレイドは答え、視線を逸らすと寝台の上からさっと立ち上がった。 「そうですか? さあリオン様、これが抑制剤です。普通は錠剤なのですが、効きが早いように煎じ薬をお持ちしました」 「うん、ありがとう、ございます……」  リオンは指示されたとおりに煎じ薬を飲み、クレイドの方へと恐る恐る視線をやった。クレイドは寝室の窓の側に立ち微動だにしない。その背中はリオンを拒絶しているように見えた。 (そんなの当然だ……。あんなに気持ちの悪いことをしたんだから……)  胸がずきんと痛み、また涙が込み上げてくる。 「あれあれ。ブルーメ様。そんなにお薬苦かったです? 困りましたねえ、そんなに泣いたら目が溶けてしまいますよぉ」  ドニが優しく言ってくれたが涙は止まらない。ついには嗚咽まで出てしまい、さすがにクレイドがこちらを振り向き、そばまで戻ってきた。  だがどうしたらいいのかわからないようで、寝台の前に立ったクレイドは固まっている。「リオン様……」と声を掛けられて、リオンは涙を拭って背中を向けた。 「大丈夫」  寝台にのぼり、掛け布を頭からすっぽりとかぶって横たわる。 「大丈夫だから一人にして」 「ですが……」  戸惑ったクレイドの声に、ドニの声がかぶさる。 「しょうがありませんね。陛下がそばにいない今、ブルーメ様も他の者といっしょにいるのはお辛いでしょう。部屋を出ましょう、クレイド殿」 「しかしそれではリオン様の身が安全が確保できない」 「部屋の前に複数人の護衛を立たせるしかないでしょうな。幸いこの部屋は三階だ。窓側からは誰も入ってこれない」 「それはそうだが……」 「……そうして、お願い」  リオンはか細い声で言った。  クレイドはしばらく思案するように黙り込んでいたようだが、やがて渋い声で「わかりました」と引き下がった。 「ブルーメ様、大丈夫ですよ。オースティン陛下の兄上は二人ともブルーメでした。ですから、私たちもあなたのサポート体制は万全です。陛下もブルーメのことをよく理解なさっている」  ドニが優しく声をかけてくれたが、リオンは何も言えなかった。早く出て行って欲しいという気持ちでいっぱいだった。  返事もせずに身を固くしていると、やがて「それではリオン様、私たちは下がりますので」というクレイドの声が聞こえ、足音と人の気配が遠ざかって行く。部屋の中がしんと静まった。 「う……う、うぅ……っ」  堤防が決壊したように、リオンの目から涙が次々とこぼれ落ちる。どれほど泣いても泣いても涙が止まらない。 (クレイドに嫌われた……)  突き放された時のクレイドの顔を思い出すと、胸が痛んでしょうがない。  『信じられない』  『どうしてそんなことをするんだ』  クレイドの表情はそう言っていた。きっと淫らな人間だと思われた。 「う……っ、ぁ、……あ……」  こんなに悲しくて心が張り裂けそうなのに、オメガの本能は決して去ってはくれない。固く冷える心を置き去りに、肉体はどんどん熱を帯びていく。  リオンは引きつった嗚咽を漏らしながら、衣を寛げ、自分の下半身へと手を伸ばした。  その部分はすでに昂ぶって熱くなり、しっとりと濡れている。 (嫌だ……)  そう思うのに、勝手に指は動く。濡れた先端を包み込み上下させると、一気に快感の水位が上がってくる。厭らしい水音が静かな部屋に響き、かあっと耳が熱くなる。 (……こんなのしたくない……)  掛け布の中に、自分の熱い息と熱がこもる。はあはあと喘ぎながら、リオンは一回目の熱を吐き出した。 「んっ……」  一度精を吐き出したというのに身体の熱は全く引いていかない。  今までの発情期は、いったん熱を発散すると少し楽になっていた。でも今回は違う。まったく楽にならず身体が熱いまま、指はまた勝手に動く。 「……ん……ぁ……あっ……」  リオンは全身を強張らせ、痙攣しながら二度目の熱を吐き出した。でも駄目だ。すぐに甘ったるい熱が下半身に集まっていく。   「なんで……どうして……ぼく、は……」  どうして僕は、こんなことをしなくてはならないのだろう。  ――どうして僕は、オメガなのだろう。

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