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第17話①
『おかあさん、おかあさん……』
――――誰かが泣いている声がする。
『おかあさん、どこ? どこにいるの?』
『リオン、こっちよ。あらあら、そんなに泣いてどうしたの?』
『だっておひるねからおきたら、おかあさんいないんだもん』
『ごめんね、リオンがよく寝てたから、ちょっとだけ畑仕事しようと思っただけなの』
『やくそうえん、いっしょにやろうっていってたのに! ずるいよ!』
『ふふ、ごめんね。一緒にやろうね』
『うんっ! ……あれ? おかあさん、なにしてるの?』
『種を蒔いているのよ、リオン』
『なんのたね?』
『大事な人から貰った種よ。きっと芽を出すから、いつか蒔いてくれって頼まれてたの』
『ふうん、そうなんだ』
『リオンもやってみる?』
『うん! やりたい!』
『これくらいの穴を掘って、三粒くらい入れるの』
『こう?』
『そうそう、上手よ』
『やった! できた! りおんじょうずでしょ?』
『…………そうね』
『……? おかあさん? どうしたの? ないてるの?』
『……ううん、何でもないわ。……大丈夫』
『だいじょうぶじゃないよ? いっぱいなみだ、でてるよ?』
『ごめんね、大丈夫よ。もう泣かないから』
『おかあさん……』
『泣かないわ、大丈夫よリオン。だってあなたがここにいてくれるもの。お母さんはそれだけでいい。それだけでいいの――』
はっと目を開けた。
自分が今どこにいるのかわからなくなり、リオンは茫然と目を瞬く。
ここは王宮の自分の部屋だ。どうやら窓の側の長椅子に座ったままで、うたたねをしてしまっていたらしい。
(そっか……今僕、夢見てたんだ)
とても懐かしい夢だった気がする。とてもとても優しくて、でも同じくらいに悲しい夢。だけど今はもう、夢の内容は霞んでしまって思い出すことが出来なかった。
リオンは身体を預けていた長椅子から、ゆっくりと身体を起こした。
窓の外はすでに暗く、女官が灯しておいてくれたランプがオレンジ色の光を部屋に投げかけている。そのほのかな光を見つめながら、リオンは重いため息をついた。
(ずっと夢の中にいたかったな……。なんて言ったら駄目なんだろうけど)
『僕がオースティンの番になります』と宣言してから七日。リオンが王の番になるための準備がすでに始まっていた。『花守修行』と呼ばれるものだ。
『花守』というのはノルツブルクの王族に嫁くオメガの呼び名だ。
数十年前、ノルツブルク王家の血を引くブルーメ――つまりオメガが少なくなってきたとき、国内から集められたオメガが次々に王家に迎えられた。そのときの彼ら彼女らに与えられたのが『花守』という立場と名前だった。
ノルツブルクの古代の言葉で『ブルーメ』は『花』を意味し、その花を生み出す存在として国民からも崇められ大事にされていたという。
花守の一番大事な役目は次世代のブルーメを生むことだが、それ以外にも王族に連なる身分としての役割がある。公の行事に参加したり、国外から賓客を迎えた祝宴ときには王族の席の末端に座ったり。とにかく、花守となった者にはそれなりの教養と振る舞いが求められるということだ。
そしてそれが王であれば尚更で、王の番……すなわち王の花守となるリオンには更に高いレベルのものが求められる。
今日もリオンは午前中はテーブルマナーや言葉遣い、椅子の座り方立ち方歩き方に至るまでにみっちり指導され、午後はノルツブルクの国史についての講義を受けた。さらに『読んでおくように』と分厚い本を何冊も渡されたので、もう頭はぱんぱんだし身体もくたくただった。
でも、それほどまでにリオンの花守教育を急ぐのにも理由がある。
来月に『王と番になった花守』としてリオンの披露目を行う予定となっているのだ。
その祝宴には他国からの要人も招かれる。食事会もあるし、国王陛下と一曲踊るという習わしもあるそうだ。だからそれまでに、王のパートナーとして恥ずかしくない振る舞いを身につけなくてはならない。
(僕に花守の役目は本当に務まるのかな……)
そんな不安が頭を掠めることもある。
だけど今のリオンにとっては、やるべき課題があるのは有難いことでもあった。ふと気を抜くと、クレイドのことばかり考えてふさぎ込んでしまうからだ。
クレイドとは、十字架を返したとき以来会っていない。あちらも会わないようにしているだろうし、リオンの方も避けている。自室の窓から外を見ているときに、はるか遠くに姿をちらっと見るくらいだ。
もうこれきりで関わることがないのかもしれない、と思うと胸が痛い。だけどそんな感傷も直に無くなるだろう。オースティンの番になりさえすれば……。
ぼんやりしていると、部屋の扉がノックされた。
「リオン? 入ってもいいかな?」
オースティンの声だ。リオンは立ち上がりながら、「はい」と答える。扉の前に立っていたオースティンは、リオンの顔をみると苦笑した。
「お疲れ様。だいぶくたびれているみたいだね」
オースティンはあれから、忙しい職務の間でも一日に何度もリオンの部屋に顔を見に来てくれるようになった。リオンが花守修行に難儀していることももちろん知っていて、こうして事あるごとに気遣ってくれる。
「食事はもうした?」
「ええ、みっちりテーブルマナーの講義を受けながらですけど……」
リオンが答えると、オースティンは同情するような表情をした。
「それは大変だったね」
「いえ……大丈夫です」
うまくいかないのは自分の覚悟と能力が足りないからだ。気落ちしながら「すみません」と謝ると、慰めるようにオースティンが肩を優しく撫でてくれる。
「ところで今から、ちょっと付き合ってもらってもいい? 君に見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの、ですか?」
オースティンに連れて行かれたのは、王宮の執務室にほど近い部屋だった。大人が七、八人に入ればいっぱいになってしまうような小さな部屋で、部屋の隅には人の身体を模したような珍しい形の衣台が置いてある。
「これは……」
思わず息を呑んだ。衣台に掛けてあったのは、美しい純白の衣装だった。
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