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第16話④
「リオン? ……それにエルも……どうしてここに……?」
リオンとその後ろに控えたエルの存在に気が付いたオースティンが驚愕したように目を見張る。クレイドも声を失ったように蒼白な表情を向けてくる。
「ごめんね……、話を聞いちゃった」
リオンはすぐ二人の近くまで歩み寄ると、クレイドの顔を見あげた。
「クレイド……」
視線が合い、心臓の鼓動が速まる。一目姿を見ただけで、彼という存在に意識のすべてが向かってしまうほどに好きだ。
それなのに、どうして彼が自分の手を取ってくれないのだという醜い思いで胸がつぶれそうになる。身を裂くような悲しみと切なさ、絶望や喪失感で心が暗く染まっていく。
でも……それだけじゃない。
いつだって優しさの滲んだような不思議な色合いの灰色の瞳を見ていると、まるで太陽の光に照らされているように心が温かくなる。心が救われる。彼が触れるこの世界のすべてを愛しいと思う。
心が明るいものと暗いものに交互に揺さぶられ、今にも自分という殻が破けてしまいそうだ。苦しい。だけどここで膝をつくわけにはいかない。
愛する人の前では、まっすぐに立っていたい。
リオンは渾身の力で頬を引き上げ、震える口を開いた。
「あなたの神様はオースティンなんだね?」
リオンの言葉にクレイドが目を見開いた。
「それ、は……」
唇がわなわなと震えている。口を開きかけ、ぐっと閉じる。クレイドは泣きそうな顔で、こくん、と頷いた。
やはりそうだった。
「そうなんだね。……よく……わかったよ」
身体の力が一気に抜け、そしてへたり込みそうになる。涙が滲みだしてくる。
自分の愛は叶わない。受け取ってもらえない。
(だけど――)
初めて会ったときから、ずっとクレイドは優しくこの身を慈しんでくれた。そしてふっと思い出した。リオンがノルツブルクの王宮に来るかどうか躊躇していたとき、
『あなたが見ている世界がすべてではないのです。世界はもっと広く、深く、そして美しい。あなたにはそれを知る権利がある』
と言ってくれた。
あの言葉は、きっとクレイドがオースティンから貰ったものだったのだ。大事な言葉を、リオンのために差し出してくれた。
(ああ、そうか――。クレイドが昔受け取って救われた愛を、今度は僕が受け取っていたんだね)
あの言葉がリオンに決意をさせて、そして自分をこの場所まで連れて来てくれた。リオンに愛を教えてくれた。救ってくれた。
さっき聞いたエルの言葉が蘇る。
『だけどその愛はなくなるわけじゃないでしょう。どっかに少しは残るでしょう?』
――そのとおりだ。
誰かに捧げた愛はなくなることはない。何かの形でちゃんと残ってくれる。
リオンはクレイドに向かってほほ笑んだ。
「……僕、オースティンの番になるよ」
するっとその言葉が、リオンの口から出ていた。
エルが、オースティンが、息を呑んで固まっていた。クレイドが大きく目を見張り、信じられないものを見るような目でリオンを見ている。
(ああ、クレイド――)
クレイドがたまらなく好きだ。いままで彼を形作ってくれたすべてのことに感謝をしたいくらいに、今のクレイドを愛している。
自分の愛はそのままの形で受け入れてもらうことは出来なかったけど――叶わずとも、届かなくとも、そのままの形で保つことができなくても、小さな真心の愛をそっと世界のどこかに差し込むような、大地に小さな小さな種をまくような愛し方なら許してもらえるだろうか。
土の上に落とした一粒の種のように、もしかしたらいつか芽が出て――まわりまわってクレイドにそっと触れる愛になると……そう信じることが出来るなら、きっと自分はこれからも生きていける。
(もしかしたら、僕の愛の形はこういうものなのかもしれない……)
そのためにも自分はこの初恋を、初めての愛を、すべてここに置いていこう。そしてまっさらになった心で、オースティンの番になろう。この愛が何かの種になって、いつかどこかで芽を出すように――。
リオンは首から下げていた十字架を外し、茫然としているクレイドに差し出した。
「……これ、今まで貸してくれてありがとう。もう僕にはいらないから返すね」
クレイドが反射のように大きな掌を出してくる。そこへそっと乗せた。
「クレイド、今までありがとう」
リオンは微笑み、そして踵を返した。
回廊を離れ、王宮の奥の薬草園へとリオンの足は自然に向かっていた。ゆっくりと歩き出した歩調はいつしか、何かに急き立てられるようにどんどん早くなっていく。
どこに向かっているのだろう。自分はどこへ向かえばいいのだろう。足は確かに動いているのに、なんだか身体が透明になったかのような感覚だった。心もない、身体もない、そんな存在になって真っ青な空へと駆けのぼっていくような……。
「リオン!」
すぐ後ろで名前を呼ばれはっとした。同時にぐっと腕を掴まれ引き留められる。
驚いて振り返るとオースティンがいた。息を切らし、真剣な顔でリオンの顔を見ている。
「さっきのこと……本当か?」
「え……」
「僕の番になるって」
頭が真っ白で何を言われたかわからなかった。しばらく考え、こくんと頷いた。
「……うん、僕はオースティンの番になります」
「リオン……」
オースティンはまじまじとリオンの顔を見ていたが、苦しそうに顔を歪めた。そっと手を伸ばし、リオンを抱き寄せる。
「リオン……必ず……君を幸せにする……」
オースティンの優しい腕に包まれていても、身体の感覚は遠かった。まるで自分が身体の輪郭を失って、煙のように揺らいでいるかのようだ。
「僕が君を大事にするから……」
「……オースティン」
オースティンの指がリオンの頬に掛かる。そっと顔を持ち上げられる。
真剣な目で見つめながら、オースティンの顔が近づいてくる。そっと唇に羽のようなキスが落ちた。
(あ――)
その瞬間、なぜかぽろっと涙が零れた。
(これは何の涙なのかな……)
自分でもわからなかった。
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