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第16話③
クレイドは帰還してきたときの赤い外套を羽織った姿のままで、オースティンは立ち襟の執務服姿だった。二人は回廊の円柱の向こうで、真剣な顔で話をしている。
回廊の柱と樹木の陰になっているので、二人からはリオンとエルの姿には気が付いていないようだ。でもこのままここにいれば、会話を立ち聞きする形になってしまう。
「エル……行こう」
エルの腕をそっと引くと、同じことを考えていたのか「……そうですね」と頷いた。リオンは今ここでクレイドに会うことは気まずかったし、エルもエルでオースティンの前に姿を現すことは避けたいだろう。
この場から静かに離れようとしたとき、突然オースティンの苛立った大声が響いた。
「ふざけるな!」
リオンもエルもぎくりと動きを止めた。振り返ると、オースティンがクレイドの胸元を掴んでいる。
「クレイド……本当にいいのか! このままだと本当にリオンを僕の番にしてしまうんだぞ!」
自分の名前が出てきて、リオンは驚きで目を見開いた。
(えっ……?僕の話をしてる?)
クレイドはオースティンの手を振り払うことはなかったが、苛立ちを必死に抑えるような顔つきでオースティンをじっと睨みつけている。
「……何を今さら……そのためにあの人をこの国に連れてきたのでしょう」
「僕はお前とリオンの気持ちの話をしているんだ!」
「……何を言っているかわからない」
「惚けてもわかってるんだぞ。リオンはお前のことが好きなんだろう? お前もリオンのことが好きなんじゃないのか!?」
オースティンの言葉に、はっとクレイドの顔が強張る。リオンもまた息を詰まらせた。
(え……何……? なんでオースティンが僕の気持ちを知っているの?)
今までそんなそぶりや言葉はなかったが、オースティンはクレイドに対するリオンの恋心に気が付いていた。
さらに悪いことに、オースティンはクレイドもリオンのことを好きだと誤解をしている。だから二人は険悪な雰囲気になっているのだ。
(ど、どうしよう……僕のせいで……誤解を解かなくちゃ)
だが今リオンが出て行っても、事態は混乱するだけだろう。蒼白になりながらもおろおろと二人を見つめることしか出来ない。
クレイドはしばらく固まっていたが、やがてオースティンから視線を外し、首を振った。
「私は……リオン様のことは……好きではありません」
(あ……)
その言葉は呟くような音量だったにも関わらず、リオンの耳には不思議とはっきりと届いた。
胸にざっくりと鋭い破片を差し込まれたようなショックで思わず身体が震えた。足がよろめいてしまい、隣に立っていたエルが気遣わしげにリオンの肩に触れる。
「リオン様……」
「……大丈夫だよ、エル」
リオンは黙ってエルに頷き返した。
わかっていたことだ。クレイドはリオンのことを何とも思っていない。
(受け入れなくちゃいけない、よね……)
リオンは顔をあげ、二人を見た。
クレイドの言葉はリオンにとっては呑み込むべきものだったが、オースティンにとっては怒りを助長させただけのようだった。オースティンの顔が見る見るうちに険しくなっていく。
「嘘をつくな!」
オースティンが怒鳴った。
「お前は……本当はよくないんだろう? リオンのことが好きなんだろう? そんなことを言っていると本当に僕のものにしてしまうぞ!」
クレイドの胸元を掴んでいるオースティンの手がぶるぶると震えているのが見えた。それほどまでに激怒しているのだ。だがクレイドは表情が抜け落ちたような蒼白な顔で淡々と言う。
「……いいと言っているでしょう。さすがにしつこいですよ、オースティン」
「お前が嘘をつくからだろう?」
「嘘など……ついていない」
「それならどうして僕の目を見ないんだ!」
「それは……」
「僕にお前の心がわからないとでも思っているのか? 僕たちはずっと一緒に居た。一緒に育っただろう! お前のことなんて全部知っている!」
「――だからだ!」
急にクレイドが声を荒げた。胸元を掴んでいるオースティンの手を振り払い、逆にオースティンの胸元を掴み叫ぶ。
「あなたに背くことなんて出来るはずがないでしょうが!」
それは血を吐くような痛ましい叫びだった。
「居場所のない私にあなたは居場所をくれた。何をしていても世界が灰色にしか見えなかった私に……自分の存在を呪うしかなかった私に……『今見えている世界がすべてではない。外の世界は想像もつかないほど広いぞ』と外の世界を見せてくれてのはオースティンだ! そんなあなただからこそ、今まですべてを捧げてきた! 今さら生き方を変えることは出来ない!」
「クレイド……お前は……」
オースティンが目を見開いた。クレイドが今まで秘めてきた激しさを初めて目にしたような顔で茫然としている。
リオンはただ立ち尽くし、顔を歪めて荒い呼吸をしているクレイドのことを見詰めていた。
(そうか……そうなんだ……)
クレイドの言葉に、すうっとすべての感情の波が引いていくのを感じた。
ようやくわかった。
リオンにとってクレイドが神様だったように、クレイドにとってはオースティンが神様だった。
孤独だった昔のクレイドに、楽しく美しいものを見せてくれて、そして腕を掴んで明るく温かな場所に連れて行ってくれたのはオースティンだったのだ。
――神様に、僕のちっぽけな愛が敵うわけがない……。
リオンは自分の肩を抱くように触れていたエルの手を静かに外し、ふらふらと足を踏み出した。
「リオン様……?」
エルの困惑した声も、どこか遠くから聞こえるようだった。自分の身体から大事なものが抜け出していくような不思議な心地のまま、リオンはクレイドのもとへと一歩また一歩とゆっくり近づいていく。
「クレイド……」
声を掛けると、クレイドとオースティンがはっとしたようにこちらを見た。
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