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-加納早苗-エピローグ⑤

コンサートが始まると、イオリくんがステージの中央でお辞儀をする。 もはや海外からも引っ張りだこの人気者なのに、イオリくんのお辞儀は深々と謙虚で、聴いてくれる人達への敬意を忘れていない。 イオリくんは、招待席に私たちが座っているのを見て、ふわりとした笑みを見せてくれた。 なんとなく、私の隣に並んで座っているそーちゃんと皐月くんにも目を合わせたように感じた。 演奏が始まると、隣からゴクリと生唾を飲み込む音が微かに聞こえてきた。 私が不意に隣へ目をやると、食い入るような目つきでステージを見つめるそーちゃんの横顔があった。 そうよね。 そーちゃんも、このバイオリンの音にはびっくりするわよね。 聴いたことがないでしょう? こんなに澄んだバイオリンの音色—— コンサートが終わり、私達がロビーに出ると、遠くから小走りで駆け寄ってくる人の姿を見つけた。 「早苗さん!」 「——ガクくん?」 そっか。 イオリくんのコンサートだものね。 ガクくんも観にきていたのね。 「久しぶりね」 「お久しぶりです、早苗さん」 イオリくんとやり取りしていて、ガクくんの話題が出ることはよくあったけれど、本人と会うのは本当に久しぶりだった。 「これ……、もし早苗さんと会場で会うことがあれば代わりに渡して欲しい、って——」 「まあ!イオリくんから?」 ガクくんが渡してくれたのは、綺麗に装飾されたワインボトルだった。 「この前、フランスで公演した時に現地で購入したそうです。 早苗さんはワインがお好きだから、次に会うことがあれば渡したい、って——」 「覚えていてくれたのね、嬉しい」 イオリくんの優しさは昔から変わらないのね。 きっと若い頃は沢山苦労をした子なのだと思う。 だからきっと、人への思い遣りを忘れずにいられるのだとも。 私が嬉しそうにワインボトルを抱き締めると、隣から右京さんが「なんだかボトルに妬いちゃうなあ」と茶化してきた。 「あら。この歳になっても焼きもちを妬いてくれるのね」 私がそう微笑むと、隣から圧のある視線を感じた。 「——ねえ。いい加減、酒飲みは卒業したら?」 「俺たち、早苗さんの身体、本気で心配してるんですよ」 そーちゃんと皐月くんから咎められてしまった。 「ただでさえおばーちゃんの歳なんだから。 長生きしてくれなきゃ、困る」 そう言って眉根を寄せるそーちゃんを可愛らしく思っていると、ガクくんが「あの」と口を開いた。 「……気のせいかもしれませんが……。 お連れの方、如月奏——の若い頃に似てらっしゃるような……。 いや、でも、そんなはずないか」 私が「ふふ」と悪戯っぽく笑ってみせると、ガクくんは首を傾げながらこうも言った。 「俺、イオリが如月奏の曲を演奏するのを聴いてから、如月奏のファンになったんです。 もうとっくに亡くなられてますけど—— でも早苗さんが、イオリのことを如月奏に似てるってお話しされていたから…… 勝手に親近感を抱くようになってしまって。 今日の演目でも、イオリの希望で『2月のセレナーデ』を選曲したと言ってました。 ——イオリの弾く如月奏の音楽が、天国にいる如月奏にも届いているといいなーって、そう思ってます」 「きっと本人に届いていますよ」 皐月くんが、ガクくんに向けてそう告げた。 「な?」 皐月くんがそーちゃんをちらりと見て言うと、 「……かもね」 と、そーちゃんは少し照れ臭そうに頷いた。 「良かったら、このあと一緒にどうですか。 これから四人で食事へ行くところなんです」 「良いんですか。ぜひ混ぜてください!」 皐月くんの誘いに、ガクくんが嬉しそうに答える姿を見て 私は、この二人はこれからきっと仲良くなるだろうなと確信した。 「——イオリにも、後から合流できないか聞いてみますね」 そう言ってガクくんがスマホへ文字を打っている姿を見て、私は目を細めた。 そーちゃんと皐月くん。 イオリくんとガクくん。 二組の幸せが、この先もずっと続いていきますように。 きっと私の方が先に寿命を迎えてしまうけれど…… どうかずっと、笑顔の絶えない人生を送る姿を見届けられますように。 -完-

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