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第16話
愛ある交わりを経験すると、ひとはこころからやさしくなれる。なんて道徳の時間みたいだが、最近の御影はそんなことをよく考える。
「開発中の抑制剤の名前、考えたんだが」
「お、なんです?」
朝早いオフィスにいちばん乗りで出社すると笑顔の天城が挨拶にやってきので、昨日ふと浮かんだ案を口にしてみた。
「『華未来』……というのはどうかな。抑制剤ってどことなくネガティブでハードなイメージがあるだろう。それを使うオメガもなぜか罪悪感を覚えるんだ。そういう身体に生まれついたのは偶然だし、本来、思い詰めることはひとつもないはずだよな? 生きていくうえで必要な薬の名前が明るければ、いまもし苦しい立場にあったとしても少しだけ楽になる。……ほんとうに気分の問題なんだろうけど」
「……大事、そういうの」
「あなたの未来は華やかなものになりますよ、という意味を込めてみたんだ。どう思う? 率直な意見を聞かせてくれ」
自分の柄じゃないかもしれないなと声が小さくなる御影に、天城がふわりと目尻を和らげる。それから、大きく頷いた。
「素敵です。その名前なら、各所に売り込む俺も自信を持てそう。律儀なネーミングにも意味はあると思うけど、楽しい印象なら、服用するひとの気持ちも上向きますね」
「最初はもっと堅苦しい名前を考えていたんだ。でも、きみと出会っていろいろ変わった」
「たとえば?」
隣のデスクに寄りかかる天城のいたずらっぽい顔に、春の夜がよみがえる。
冷えたこころを温めてくれたのは、あの日もいまも、天城だけだ。
「他人は信じられないと思い詰めそうになった私を、きみは溶かしてくれた。強引に踏み込んできて、私を揺さぶってくれたんだ。動け、止まるなと。……いつの間にかきみの能天気さが移ったみたいだ。私もオメガだからこの先もずっと抑制剤を飲む。ミルクも出る体質だ。そんな自分を否定しないためにも、抑制剤から楽しいイメージに変えていきたい」
「すごくいいと思います。俺もめいっぱい後押しします」
力強いひと言にほっとし、御影はくしゃりと顔をほころばせた。
「きみがサポートしてくれるなら勇気百倍だな。製品化まで急ぐ」
「一緒にがんばりましょ。それからはい、今日の差し入れ」
「なんだこれ。……こんぺいとう?」
渡されたのは、透明の包みに入ったカラフルなとげとげだ。
やさしいピンクやイエロー、グリーンにブルーの星に目を丸くしていると、天城は包みを開け、甘やかなピンクのこんぺいとうをひとつつまみ上げる。
「こんぺいとうって、すごく手間暇かかるお菓子なんです。このとげとげができるまで、ずっとお鍋を転がすんですよ。グラニュー糖を転がして転がして、蕩かして蕩かして、ゆっくり時間をかけて育てていく。最初は小さな粒でしかなかったグラニュー糖が、いつしかきらきらした星になるんです。俺たちの恋も、星にしましょ」
「言うな、きみも」
「褒めてくれます? 御影さんの瞳が綺麗な星に見える」
「それはさすがに言いすぎだろ。冷や汗が出る」
途中までいい雰囲気だったが、結局吹き出した。
だけど、胸には甘い感覚が刻まれている。
まるで出会った最初から天城がこんぺいとうを口にずっと放り込んでくれていたみたいに、温かくてほろりと溶ける。
「先輩、口開けて。はい、あーん」
「あ、……あーん」
まだ朝だから、ほかには誰もいない。照れながらもちいさく口を開けると、ぽん、と小さな尖りを放り込まれた。
「ん、甘い」
「俺のキスはもっと甘い」
やさしい声に続いて、甘い熱がひとつ、ふたつ、みっつ。
それから星のようにいくつもいくつも。
恋のきざしがいくつもいくつも、胸の中に落ちていく。
(了)
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