6 / 6
006
6
開かれた扉の前には、軍服を纏った兵士が二人。
作戦実行中だからだろう、フェイスマスクで目元以外を覆い隠しているその姿に、祐市はついぎょっとしてしまう。……日本ではむしろ、それは犯罪者側の出で立ちだ。
「そー。オレさ」
どう考えても規格外に肝の据わっている梓は、いたって暢気な口調でユーリーの質問に答えようとしていた。調度品こそ豪華でも、部屋としてはシンプルな一間だ。戸口に立てば、室内のほとんどを見渡せる。
「これを、レオンに返さなきゃなんだよね」
梓はスウェットのポケットから、…しゃら、と涼やかな音を立てる金の鎖を取り出した。鎖は、おそらくペンダントなのだ。梓の手の中に、ペンダントトップの部分が握り込まれている。
「――」
それを見た兵士の一人が、携えているライフル銃の銃口を上げた。――狙いは、梓だ。
なんで、……だとか、のんびり動揺している場合じゃない。
「一之宮……っ」
祐市はほとんど条件反射で、目線の先にある華奢な肩を握った。ぐい、とそれを引きながら、シーツの海に素足を踏み出す。自分としては上出来の素早さで、梓の前に体を据えられた。両腕を大きく広げて、彼の盾となる。
……撃たれたらどうしよう、という恐怖が這い上がってきたのは、その後だ。
(俺が)
(ここで死んだら)
いやそれよりも、どのくらい痛いんだろう。
瞬くようにさまざまな思考が浮かんでくる中で、ササキ、と半ば咎める響きでこちらを呼ぶユーリーの声を聞いた気がした。
同時に、だん、と強く床が鳴る。誰かの呻き声がそれに重なった。……銃声は、まだしない。
「……?」
祐市はおそるおそる、目を開けてみる。
梓を狙ったライフル銃は、室内の半ばほどの位置――いまは誰の手も届かぬ位置にまで吹っ飛ばされており、すっかり無用の長物と化していた。
戸口に立っていた二人の兵士は、片方が手ひどく床に打ち据えられ、もう片方がそれを馬乗りになって拘束している。
「え……?」
どうなってるんだ、と祐市が瞬きを繰り返す間にも、新たな兵士たちが現れた。ざざっと統率の取れた、軍靴の響き。戸口の先、廊下から駆け込んでくるのはもちろん、窓辺からも幾人かが入ってくる。
(え)
彼らは床上に拘束されている兵士を数人がかりで取り押さえ、ライフル銃を回収すると、残るもう一人の兵士の前にぴしりと整列した。
「レオン殿下、お怪我は」
「ああ、ないよ」
気負いなく答えて返しながら、「殿下」と呼ばれた兵士はフェイスマスクを下ろし、ミリタリーヘルメットをも外す。その間に、ユーリーあたりが部屋の照明を付けたのだろう。ぱっと夜の帳が撥ね除けられ、室内は明るくなった。
兵士に扮していたレオン王子がそうして軽く頭を振ると、勿体ないほどにきらめく金の髪がはらりと空気に散る。
「ササキ」
「えっ、はい!?」
「梓を守ってくれようとしたね。ありがとう。……君の友情には、心から感謝する」
いちばんに梓へと声を掛けたいだろうに、レオン王子はまずこちらへ謝意を伝えた。それはもう間違いなく、身に余る光栄というやつだ。祐市は縮こまる思いで「いえいえいえ」だの「頭が真っ白になっただけで」だの、よくわからない言を発してしまった。
だが本当に、そんな大層なことは出来ていない、という実感しかないのだ。
梓だから庇った、というわけでも、実のところなかった。あの時、銃口の標的にされたのがユーリーだったとしても、自分はやはり同じように彼の盾となっただろう。
それは祐市自身の正義感や道徳観念によるもので、個人への好悪の感情が左右する話ではなかった。むしろ、自己満足に近い衝動だ。
「俺っ……はたぶん、そうとうに身の程知らずなんですが、知り合いが傷付くのを見てられないんだと思います、それだけです! 逆に、俺の軽率さで作戦の邪魔とかにならなかったのなら、良かったです。ほんとに、良かった……」
どうにかその意思を伝えると、レオン王子はどこか困ったように眉を下げ、柔らかく笑んでみせた。
「君の心根の清らかさには、素直に感服する。私のくだらない嫉妬心さえ、その清流に押し流されてどこか遠くへ行ってしまった」
「し、嫉妬心……?」
「こちらの話だよ。――梓」
王子は祐市との会話を切り上げると、その声音をわずかに低め、梓を呼んだ。祐市の背後で、梓は「あ、これ」と声を発している。さきのペンダントを渡そうとしているのだろう。――が。
「驚かせてわるかったね。今回、直属の近衛部隊以外の銃には実弾を込めていなかった。万が一にも危険はなかったんだよ。それでも、見慣れない武器を向けられるのは怖かっただろう」
とろけそうなほど優しい声音で言い、レオンはほとんど覆い被さるようにして梓を抱きすくめた。……気のせいでなければ、彼の腕の中に抱き込まれた梓は、小さく「ん」とキスの吐息を上げている。
(えっ……あれ!?)
この二人、そういうことなのか!?
振り返ろうにも、いままさに恋人たちがラブシーンを演じているのだとしたら、とてもじゃないが振り返ることは出来ない。祐市はじりじりと背に汗を掻く心地だった。
室内の兵士たちは、レオン殿下の手を煩わせるまでもない、といったようすで事後処理を進めている。……とは言っても、戦闘らしい戦闘もなかった現場だ。幾人かがそこを待機場所としていたらしい窓を元通りに閉めれば、現場の復帰も完了だった。
スーフィル語で引っ立てられながら、手錠に掛かった侵入犯が連行されてゆく。
「んーっ!」
急に、背後に声にならない声が上がった、と思うと、三人を載せている寝台が大きく揺れた。さすがに「えっ」と祐市が振り返れば、レオン王子は「降参」を示すように両手を挙げている。
もしや、この相手を堂々と蹴り上げたのでは。そう思える勢いの良さでレオンの身体の下から抜け出した梓は、ぴょんと寝台を飛び降りる。
そうして実に軽い足取りでてててっと駆けて行くと、手錠された男へと、金の鎖のペンダントを押し付けるように手渡したのだった。
「つかぬことを伺いますが、レオン様が梓さまへと預けていたあの『切り札』はいったい、どのような物だったのですか?」
翌朝、食事の席で、ユーリーがレオン王子へとそう尋ねた。彼は食卓には着かず、従者よろしく王子の傍らに控えている。
いまこの場に、梓の姿はない。
そのため、大きなダイニングテーブルに皿を並べてもらっているのは、恐れ多いことにレオン王子と祐市の二人だけだ。
「物としては、父王の即位十周年を記念したコインだったよ」
およそ十五年ほど前、スーフィル王国の至るところで見掛けられた記念コイン。経年分のプレミアが多少付いているとはいえ、それもお小遣い程度の額だと言う。コイン自体には、大した希少性も換金性もないのだ。
それでも、梓からコインを渡された男は、肩を震わせて深く項垂れていた。
「獄中から、わざわざ私を指名して預けてきた代物だ。彼らにとっては大きな意味の込められた、特別なコインだったんだろうね」
柔らかく微笑んだレオンは、どういうわけか、この朝はひときわ笑顔が眩しい。
朝いちばんに「梓はベッドから起き上がれない」と聞いた時はもちろん心配したのだが、レオン王子の笑顔を見ていれば、なぜ起き上がることが出来ないのかはおおよそ見当が付くというものだった。……昨夜、梓が打ち明けた、「レオンに信じてもらっていない」という小さなすれ違い。あれは、恋人同士の間ですっかり解消されたのだろう。
だとすれば、それはまあ、良いことだった。
レオンは食事を終えるなり席を立ち、「梓のようすを見てから、執務室へ向かうよ」とユーリーへ声を掛けた。
「おまえはササキの視察の手筈を整えなさい。ユーリー」
「かしこまりました」
今日は、ガラ山にてサンプルの採取を行う予定だ。レオンがダイニングから立ち去ってしまうと、ユーリーは祐市のためにコーヒーを用意してくれる。
恐縮して受け取りながら、祐市は彼へと尋ねた。
「即位十周年の記念コイン……って、どんな物だったんですか?」
「フィアの花と、この花にまつわる伝承の女性が刻み込まれていました。フィアの花をこよなく愛する王妃へと、王が愛と感謝を込めて贈ったデザインですから、華々しくて綺麗なコインですよ」
「ろ、ロマンチックなコインなんですね……?」
昨夜の騒動からすれば、あまりにも意外だ。
きりりと酸味のあるコーヒーを味わいながら、祐市は記念コインのデザインを想像などしてみる。
ちょうど窓辺には、本物のフィアの花が揺れていた。
「デザインのモチーフとされたのは、スーフィル島に古くから伝わる短いお話です。愛する人が戦地へ向かってしまったため、女性は無事の帰還を願い、海上からいちばん始めに見えるだろう丘一面にフィアの花を咲かせる。そんな話です」
「あれ、それで終わりなんですか?」
思わず祐市が問うと、ユーリーはふふっと微笑む。そう突っ込まれることは想定内だったらしい。
銀色の髪をさらりと揺らした、わずかに心安さを見せる彼の笑顔。――それは、この後もずいぶんと長く、祐市の心にしっとりと香るように残り続けたのだ。
「女性の願いは届き、愛する人は彼女の元へ戻った、とする結末と、いつまでも愛する人が帰らなかったため、フィアの花はスーフィルの国土すべてに咲いているのだ、とする結末があります。いずれにしても、“愛はここにある”――日本語に訳せば、愛している、でしょうか。遠く離れた相手へと、変わらぬ想いを伝える花です」
「――」
愛している。
きっとそれを信じて、待っていてほしい。――帰るから。
あなたの元へ、必ず。
……獄中から伝える想いとしては、それ以上のものなどない。そんなふうに思えて、祐市は少しだけ、昨夜深く深く項垂れた男の気持ちを汲み取れるような気がしてしまった。
スーフィル王国の中には、もしかしたら、もう彼らの居場所はないかもしれない。
それでも、たとえどこに居たとしても、君が帰って来るのなら。
(そこが花舞う国で、良いんじゃないかな)
フィアとは違う花が、けれど同じように柔らかく、優しく、綻ぶだろう。
――いつか再会する、二人のために。
ともだちにシェアしよう!

