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第4章 二人の距離 第11話
真澄が稜の家へ家事代行として訪問し始めて一ヶ月。大学が夏休みに入ると、稜との生活習慣の違いが浮き彫りになる。
まず稜は夕方前くらいまで、みっちりと授業があった。稜のバイトは在宅でできるから良いものの、真澄は住んでいる人が不在な時間に、バイトをこなす日々になる。そうすると空き時間ができるので、そこに単発の依頼を入れていると、稜と会う時間がグッと減った。
【昨日の唐揚げ、めちゃくちゃ美味かった。毎日あれでも良い】
その代わり、稜とスマホでメッセージを送り合う頻度が増える。やり取りは文字ではなく、ボイスメッセージで行われるので、聞くのも送るのも何だか照れくさい。
【毎日は健康面でどうかと思うよ】
【それくらい美味いってこと。今日のおかずは何?】
大体会話はご飯の話だ。稜は毎日律儀に感想を伝えてくれるし、リクエストも結構な頻度でしてくれる。自分のレパートリーにある料理なら良いけれど、そうじゃないものは調べたりして作った。それでも、稜はとても嬉しそうに「美味しかった」と言ってくれるのだ。
喜んでもらえるのは素直にありがたい。最初は、褒められても裏があるんじゃないかと疑っていたけれど、そんなことをして俺になんの得がある? と言われて納得した。
【そう言えば、アイツはあれから音沙汰なしか?】
話題が変わり質問された内容に、真澄は【うん】と返す。彼の言うアイツとは、内藤のことだ。
あれから、内藤は大学で姿を見なくなった。休学か、退学でもしたのかと思ったけれど、夏休み前も呼び出しなどを受けていたあたり、在籍はしているらしい。
するとすぐにスマホが受信を通知する。
【何かあったらすぐ教えて】
優しい、気持ちがこもった稜の声は何だかくすぐったい。彼が自分の味方でいるということに、真澄は安心していた。
それはまるで、親に見守られているような感覚だ。両親を亡くしてから久しいので、それが嬉しいと感じることも忘れていた。
【ありがとう】
真澄はそう返すと、スマホをポケットに入れる。そして顔を上げて辺りを見回した。
単発の依頼で初めて来た駅で、帰る方向はどちらかを探すためだ。すぐに案内を見つけ、こっちか、と足を進めた時だった。
多くの人が行き交う中、サングラスを掛けた中年男性が立ち止まっている。彼は白杖を両手で持って掲げていて、真澄はピンときた。白杖を持った人の、SOSのサインだ。稜に教えてもらった知識が役に立ったな、と真澄は彼に感謝する。
真澄はまた辺りを見回した。気付いていないのかスルーしているのか、その男性に声を掛ける人はいない。少し迷ったあと、稜の介助もやっているから多少は役に立てるかな、と声を掛けることにする。緊張するけれど、見て見ぬふりはできない。でも以前なら、確実にスルーしていただろう。
「お困りですか?」
真澄は男性に近付いて、そのまま声を掛ける。しかし男性は気付いた気配がなく、じっと白杖を掲げたままだ。
「あの、手伝えることはありますか?」
もう一度尋ねてみると、そこでやっと男性は誰かがいるとわかったようだ。しかしキョロキョロと顔を動かすだけで、真澄を認識していないらしい。
真澄は彼の正面に回る。すると「耳が聞こえにくいです」というストラップが目に入った。なるほどどうりで、と三度 声を掛ける。
「何かお困りですか?」
大きな声で、はっきりゆっくり言うと、ようやく男性は真澄に気付いたようだ。
「道に迷いました。北口を探してます」
「わかりました、案内しますね」
割とハッキリした声で答えてくれた男性に、真澄は肩を掴んでもらおうと彼の手を取った。すると男性は驚いたのか、勢いよく振り払われる。
「わ……っ、すみませんっ」
その瞬間、真澄は失敗した、と思った。稜の介助では、稜が自ら真澄の肩を掴んでくる。だから真澄は、その延長でこの男性がどれだけ見えるのか、考えずに行動してしまったのだ。反省だ。
「ビックリしましたよね、ごめんなさいっ。……手を出してもらえますか?」
気を取り直して言うと、男性は手を出してくれた。ホッとして肩を掴んでもらうと、歩き出す。
――正直、稜の介助がどれだけやりやすかったか、わかる体験だった。どれだけ見えるのかと聞いてみたら、彼は全盲だと教えてくれる。迷ったと言っていた通り、慣れない場所は怖いようで、慎重に進んでいく姿が印象的だった。さらに聞けば、いつも通りの道を少し間違えて迷ってしまったらしい。
そういえば大学で稜が階段を怖がったのも、同じような状況かと気付き、自分の考えの浅さに落ち込む。できると思い込んでいたのが間違いだった、と。
「助かりました、ありがとうございます」
でもその男性と別れる時、きちんとお礼を言われて真澄は胸が熱くなる。そして思ったのだ、稜だけじゃなく、稜と同じような状況の人たちが、どんな世界で生きているのか知りたいと。そして、自分に何かできることはないだろうか、と。
「真澄には向いてないよ」
駅でのできごとがあって初めての週末、真澄が福祉関係の勉強をしてみたいと話をしてみたら、稜から返ってきたのは冷然とした意見だった。
確かに、厳しい世界だとは聞く。けれど、初めてきちんと興味を持ったものを、そんなにバッサリ切り捨てなくてもいいじゃないか、と真澄は肩を落とした。
そんな真澄に気付いたのか、稜は作業の手を止める。
「ごめん、でも客観的な話だよ。真澄は優しすぎるから、まともに抱えてキャパオーバーになるのが目に見えてる」
俺は視覚障がい者だけどな、と笑う稜。どうやら冗談を言ったらしい。真澄は苦笑した。
「でも、稜みたいな人と関わってみたいって思ったんだ」
稜が大学を見学した以降、仕事中もタメ口でと彼にお願いされた。ケジメは大事だと思いつつ、あれ以来彼は本当に楽しそうに会話をしてくれるので、サービスの一環だと思ってタメ口にしている。
真澄は夕飯の生姜焼きを作りながら、正直な気持ちを話した。思えば、こんな風に自分の気持ちを伝えるなんて、両親以外にしたことなかったなと気付く。そしてそういう話をすると、胸が温かくなるのだ。
「真澄」
立ち上がった稜はカウンターまで来る。
「俺たちの生活を知って、そう思ってくれるのは嬉しい。けど、将来仕事としてではなく、できる時にできるだけ、助けてくれるだけで良いんだ」
「……そうなの?」
そう、と稜はカウンターに肘をついた。
「だって真澄、【嫌だ】をまだ使いこなせてないじゃないか」
「う……」
ぐうの音も出ない真澄は声を詰まらせる。けれど稜はやっぱり楽しそうだ。また少し距離が近付いた気がして、嬉しい。
「んー、良い匂い」
カウンターからキッチンを覗いて、稜は嬉しそうに鼻をスンスンさせている。彼がポジティブなこともきちんと伝えてくれることに、真澄はかなり助けられていた。自分にも長所があるのだ、とわからせてくれるから。
「俺、完全に胃袋掴まれてるから」
「あはは、おだてても一品増えたりはしないからね」
こんな冗談を言える関係って良いな、と真澄は笑う。稜と出逢ってから、自分になかった感情が次々と出てくるから、それがなんだか楽しくてくすぐったい。
稜は笑いながら、「本気なのになぁ」とダイニングテーブルに戻っていく。彼が作業を再開したのを確認して、真澄も仕事を続ける。
――実際、真澄は本気で今後の進路について考えていた。今の大学は知り合いから逃れるために入ったから、やりたいことがあったわけじゃない。もちろん、奨学金で通っているのでそれなりの成績は収めているけれど、本当にそれで良いのかと思い始めたのだ。
(でも、稜が向かないっていうのも、わかる気がするし)
もう少し、稜と関わってみたら答えは出るのだろうか? そう思いながら、真澄は千切りキャベツを添えた皿に、生姜焼きを盛り付ける。
「稜、できたよ」
「お、わかった片付ける」
そう言った稜は、テーブルの上を片付け始めた。そういえば、真澄が稜の家で仕事をする時は、いつもここで作業をしているなと気付く。
「そういえば、初めは部屋で作業してたじゃない? その方が集中できるんじゃないの?」
できた料理を運びながら、真澄は尋ねてみた。稜はパソコンや書類などをテーブルの端へ追いやり、膝に手を置いて待っている。何だか餌を待つ大型犬のようだ。
「ある程度雑音があった方が集中できるんだよ。それに人がいると安心する」
意外な返答に「そうなんだ」と真澄は返す。自分は人がいると気にしてしまって落ち着かないから、集中したい時は静かな所へ行きたいと思うたちだ。なんにせよ、自分がいても稜の仕事が捗るなら良いか、と思う。
食事をテーブルに置くと、真澄も席に着いた。すっかり馴染んでしまった二人での食事は、真澄の楽しみの一つになっている。
「今日は生姜焼きと千切りキャベツの添え、ほうれん草のおひたしに根菜の味噌汁です」
「うん、純和食って感じだな。いただきます」
食べ盛りの男子としては物足りないかもと思って、主菜を多くしている。真澄も手を合わせると、先に食べ始めた稜は唸った。
「美味い……やっぱ真澄、この先モテるよ。俺が保証する」
「ええ? そうかなぁ……」
そうだよ、という稜は生姜焼きを口いっぱいに頬張る。美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけれど、それだけでモテるようにはならないだろう、と真澄は思った。
「初めて会った時より声が明るくなったし、段々真澄の、本当のよさが出てきてるのかなって」
「……だとしたら稜のおかげだよ」
真澄は本心からそう思う。からかわれて嫌だった外見は、稜にはわかりにくいようだし、内藤に会わなくなったのも稜が彼と話してからだ。あれこれ知りたい、やってみたいと思い始めたのも稜がきっかけだし、感謝してもしきれない。
すると稜は一瞬動きを止めたあと、嬉しそうに笑う。最近彼のこういう顔をよく見るな、と真澄も笑った。
「なぁ、本当に、今まで彼女とかいなかったの?」
「いないって。生きていくだけで精一杯で……」
稜から見て、真澄が多少なりとも魅力的に見えるのなら、やはり自分は変化しつつあるのだと思う。そっか、まぁ、そうだよな、と腑に落ちないながらも納得したらしい稜は、少し身を乗り出して聞いてきた。
「じゃあ、好きなタイプは?」
「……えぇ?」
どうやら、稜の興味は真澄の恋愛話に移ったようだ。そう言われても、人付き合い初心者の真澄は、語れるほどのエピソードを持っている訳でもなく。
「好きな子とかいなかったの? 過去に」
「……いないなぁ」
この好奇心は、一体どこから来るのだろう、と思う。こんなコミュ障から恋愛話など、どうひっくり返しても出てこないのに。
「芸能人なら誰が良いとか、胸の大きな子が好きとか……そういう話はしなかった?」
「うーん……」
真澄は苦笑する。一つ恋愛話っぽいエピソードを思い出したけれど、話したら多分、微妙な空気になりそうだ。
「多分、稜が求めてる話じゃないと思うけど……」
「お、あるの?」
真澄は「うん」と言って話し出す。
「中学のころ、僕のことが好きだって噂の女の子がいたんだ。けど……」
「けど?」
「噂が広まるにつれ、その子はいじめの対象になってったんだよね。それに、その子が好きだったっていう男子から、僕も殴られて……」
「……うわぁ」
やっぱり微妙な空気になった、と真澄は苦笑いした。目立つ容姿をしているからだ、と思ったし、実際に当時言われた言葉だった。
真澄は意識的に笑顔を作り、稜に尋ねてみる。
「逆に稜はどうなの? いるでしょ、付き合った人とか」
ハッキリものを言う稜だけれど、心は広いし強い。見た目も良いし、憧れる人はいそうだ。真澄には比べる対象はいないけれど、友達としても良い奴だと思う。
すると稜は歯切れ悪く頷いた。
「……あー、まあ、……それなりには」
「やっぱり。僕より経験豊富じゃん」
そんな人がなぜ真澄の恋愛話を聞きたがったのか謎だけれど、思った通りだ、と真澄は納得する。やはり稜みたいに、人に好かれそうな人は、恋愛経験が無いわけないのだ。
「俺の話はいいよ」
「なんで? 僕も知りたい、稜のこと」
「う……」
真澄の言葉に、なぜか稜は言葉を詰まらせる。言いたくないなら無理に聞かないよ、と言うと、稜は箸を置いてなぜか両手を上げて降参ポーズだ。
「……初カノは中二。高等部在学中に二人、専門学校入ってからはいません」
「……そうなんだ」
やっぱり自分なんかより経験豊富じゃないか、と真澄は思う。もう少し掘り下げてみよう、と質問を続けた。
「今は? 彼女欲しくないの?」
「欲しくないと言えば嘘になるけど……。現在進行形で片想いだし」
そう言った稜は、大口で千切りキャベツを頬張る。真澄は彼が、片想いの状況に大人しく身を置いていることが意外に感じた。稜ならすぐに告白をしていそうだからだ。
「そっか。……稜ならきっと上手くいくよ」
心からの応援の言葉を言うと、稜は照れたように笑う。そして「サンキュ」と言って彼は生姜焼きを頬張った。
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