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第12話
夕食を食べたあと、いつも通り真澄は片付けに、稜は点字訳の作業に戻る。
「そういえば真澄、明日の予定は?」
「頭から二件あって、それからここに来るよ」
「週末も働き詰めかぁ……」
稜の呟きに真澄は苦笑した。結局、万年金欠なのには変わりなく、大学が夏休みの間は稼ぎ時だと思って予定を詰めている。
「生活費稼がなきゃだからね。でも、前より楽しいよ」
真澄は笑ってそう答えた。実際、前のスーパーのバイトでは、どう心を殺すかを考えていた気がするので、今の方が健全なのは明らかだ。
「稜の生き方を見てると、前向きになれる。自分にも長所があるって思わせてくれるから」
ありがとう、と言うと稜は黙った。何か変なことを言ったかな、と思って彼を呼ぶと、ハッとしたように稜は微笑む。
「あ、ああうん。俺も真澄に会えてよかった。……本当に」
すごく優しい声で、稜は呟いた。それは聞いているこちらも、胸が温かくなるような声音だ。
「……何で俺、目が見えないんだろう、って思うよ。今、真澄がどんな顔をしているかもわからないから」
「……」
真澄は言葉が出なかった。彼はこんなに優しい顔をして、心底嬉しそうに言うのに、彼の言葉は何だか悲しく感じたからだ。
もちろん、稜にそんな意図はないだろう。むしろ、同情などは失礼なのだと思う。けれど、真澄が稜や稜みたいな障害を持った人に、改めて何かできることはないかと思わされるには、十分だった。
「……稜、やっぱり僕、もっと稜たちが見ている世界を知りたい」
そして、自分に何ができるか考えたい、と真澄は言う。
「……俺は世界なんて見えないぞ……」
「茶化さないでよ、例えに決まってる」
稜にしては珍しく、小声で呟いてそっぽを向いた。しかし彼のその頬がほんの少し赤く染まっているのに気付いてしまい、照れたのか、とそっとしておくことにする。
「明日……」
稜は再び真澄の方を見た。相変わらず視線は合いにくいけれど、自分にきちんと伝えたい、という意思が見て取れる。
「点字を少し覚えてみる?」
「え、良いの?」
「隙間時間で良いなら。俺は真澄と会話もしたいし」
「わかった」
お互いの思惑が一致したところで、真澄は仕事に集中する。食器を洗って片付け、風呂掃除をして湯船に湯を張る。脱衣所の鏡の汚れがふと気になって見てみたら、自分の顔が違って見えて二度見した。確かに、少し明るくなったような気がしないでもない。
「稜の、おかげかな……」
そう独り言を呟いて、軽く鏡を拭いて汚れを取り、脱衣所を出る。
「稜、お風呂の準備できた……」
リビングに戻って稜に声を掛けると、稜は電話をしていた。邪魔しちゃ悪いと思って口を噤むと、気付いた稜はなぜか慌てたようだ。
「悪い、来たからもう切るわ。……わかったわかった、またな。……うっせー切るぞ」
そう言って、彼はスマホの電源ボタンで通話を切る。自分がいないところで電話をし、会話しているところを見られて慌てる相手って、どんな人だろう、と真澄は思う。でも、すぐにピンときた。
「あ、ごめん邪魔して……もしかして、さっき言ってた片想いの人?」
「あ、いやっ。コイツは腐れ縁というか、幼なじみみたいなもんで……っ」
稜が珍しく狼狽えている。いつも堂々としている彼だけれど、こういうところを見ると、やはり年相応の人なのだな、と微笑ましくなった。
「誤魔化さなくてもいいよ、誰にも言わないし……ってか、話す人いないし」
稜にほかの友達がいるのは当然のことだし、その中に気になる人がいるのもなんら不思議ではない。別に自分に隠しても話す人がいないのに、どうして稜はこんなに慌てているのだろう。
それにしても、我ながら面倒臭い自虐だな、と思う。本当に、そんな自分と付き合ってくれる稜は貴重な存在で、ありがたい。
「真澄っ」
稜は立ち上がって、真澄のそばに来た。指先で両腕に触れたかと思ったら、そのまま肌を辿って両肩を掴まれる。
「違うから」
「わ、わかったよ……」
掴まれた両肩が若干痛い。どうしてそこまで力強く否定するのかわからないまま、真澄は稜の剣幕に押されて頷いた。
「……ったく、アイツ……」
真澄の肩を掴んだまま、顔を逸らした稜は舌打ちする。そんなことをする稜を初めて見たので、電話の相手とは相当仲が良いんだなと思った。
「……仲が良いんだね」
彼の稀な表情が見られたことが嬉しくてそう言うと、稜は思い切り「違う!」と否定してきて、真澄はその勢いに押されて黙る。
「……ああもう。全部アイツのせいだ」
稜はイライラしたように呟いた。珍しい、と真澄は笑うと、稜はなぜか息を詰める。
「ごめん。何か、稜にそんな顔をさせる人って、どんな人なのかなって」
「俺より好奇心の塊で、ついでにデリカシーのない奴だ」
ふい、と身体ごと顔を逸らした稜はダイニングの椅子に座る。本当に珍しい、と真澄は笑う。
「……でも、好きなんだね、その人のこと」
「あくまで友達としてな! 恋愛感情なんていっっっさいないから!」
「……その人、女性なの?」
稜の言葉に真澄は思ったことを口にする。するとまた稜は慌てたようだ。
「そうだけど俺は女として見てないからっ。俺が好きな人は別の人!」
「そんなに力強く否定しなくてもいいのに」
慌てる稜が面白くて笑うと、彼は「真澄には勘違いして欲しくないから」と両手で顔を隠してしまった。ちゃんと自分を知って欲しい、という気持ちが嬉しくて、真澄は笑顔で「わかった」と頷く。それでも、珍しいものが見れたとクスクス笑っていると、稜は笑うなよ、とこちらを睨んでくる。
「ご、ごめん……」
「真澄の笑い声、くすぐったいんだよ。……もうこの話は終わりっ」
どうやら稜は照れていたらしい。暑いと言って手で顔を扇いで、風呂場へと向かっていく。真澄はそんな彼を見送って、完全に見えなくなってから小さく噴き出した。
目標達成のために頑張っている姿や、自分を慰めてくれた時の彼を見て、芯を持ったしっかりした人だと思っていたけれど、自身の恋愛話には弱いらしい。それがすごく親近感を持った。稜も普通の男の人なんだ、と。
真澄は稜が風呂にいる間に、部屋の掃除を軽く済ませる。ダイニングテーブルやカウンターを拭きながら、呟いた。
「恋愛、かぁ……」
自分には縁のない話だな、と思う。今までに好きな人なんていなかったし、好かれても心が動くことはなかった。だから高校の同級生は、対処法を間違えて後悔することになったし、そもそも人と付き合っている自分が想像できない。
でも、恋をしている稜は楽しそうだ、と思う。
「友達なら、応援してあげたいよね……」
稜の恋はもちろん、進路についても応援したい。友達ってこういう気持ちになるのか、と温かくなった胸を押さえる。
「……逆に、稜はどうなんだろう?」
自分は、応援したいと思えるような人間だろうか? そう考えてすぐに否定する。
――でも、やっぱり友達として、稜に釣り合うような人間になりたい、とそう思う。
だったらやはり、興味を持ち始めた福祉関係の勉強がしたいと思うのだ。
(けど、今からほかの学校に入り直すのは……躊躇うよな……)
奨学金で通っている以上、やはり金銭面がネックだ。そもそも、勉強すると言っても福祉の分野は幅広い。
「うーん……やっぱり稜に聞いて、自分でも調べてみるか……」
まずはできることから。これは稜のそばにいると、地味なようでいて確実な方法だというのを痛感する。掃除を終えた真澄はひと息ついて、ダイニングの椅子に座った。
「……あれ? 稜遅いな……」
夏というのもあり、いつもならすぐに出てくる稜が、まだ来ない。風呂での介助はさすがに断られたけれど、本人も慎重に入っていたはずだ。
「……」
心配になって真澄は風呂場に向かった。シャワーの音が聞こえたので、湯船に沈んではいないとホッとし、声を掛けてみる。
「稜? 大丈夫?」
「んー? 大丈夫だよどうした?」
扉越しに聞こえる稜の声は、いつも通りだ。完全に杞憂だったとわかり、いつもより遅いことを心配したと言うと、ごめん、と彼は苦笑したようだ。
「シャンプーとコンディショナーを間違えて……」
「……あっ」
そういえば、掃除をした時に位置を変えてしまったかもしれない、と真澄は謝る。動かしたものは元の位置に戻すことを徹底していたはずなのに、またやってしまったと肩を落とした。
「いや、ちゃんと戻してあったよ。俺が間違えただけ」
「本当に?」
「怪我に繋がることじゃないから気にしないで」
もう少しで上がるからリビングで待ってて、と言われ、大丈夫なら良いかと真澄は戻る。
「……ふふっ」
先程から、動揺しているらしい稜がかわいく思えた。彼の見た目は、どう見ても大人で落ち着いた雰囲気があるのに、そのギャップが面白い。
――最近明るくなった。
真澄は稜の言葉をふと思い出す。確かに、こんなに笑ったのはいつぶりだろう? と思う。でもやっぱり、それは稜のおかげだし、彼のために仕事も頑張ろうと思えるのだ。
明日も頑張ろう、とエプロンを取ると、稜がリビングに入ってくる。真澄はコップに麦茶を入れて、ダイニングテーブルの椅子に着いた彼に差し出した。
「サンキュー」
「どういたしまして。明日のご飯、リクエストはある?」
そうだなぁ、と考える素振りの稜。すぐに味噌カツと返ってきたので、笑って了承する。
「にしても、食べるのに全然太らないね」
真澄も、日本人男性の平均よりほんの少し身長が高いけれど、稜も高い。一八〇は超えているらしいが、線が細くてヒョロっとしている印象だ。
「ちょっとは筋肉付けたいんだけどな。脂肪も筋肉も付きにくいみたいで……」
そう言って自分の腕をさする稜。時折チラリと見えるお腹でさえ、腹筋というよりは脂肪がないだけ、という感じだから、これは体質なのだろう。
「もしよければ、カロリーやタンパク質が高い食事を考えてみるけど?」
「……いや、そこまでしてもらわなくていいよ。気持ちだけもらっとく」
ありがとうな、と言う稜に対して、真澄はわかった、と答えると、そろそろお暇することにした。
「もう帰る?」
「うん。ご利用ありがとうございました」
真澄は家事代行スタッフらしい挨拶をすると、リビングを出る。稜も付いてきたので真澄は振り返って微笑んだ。
「見送りはいいよ。作業、まだあるでしょ?」
家の鍵も持っているし、サービスは終わったのだからそこまでしなくてもいい、と暗に言うと、稜は口を尖らせる。
「真澄、お前は冷たい友達だな」
「え、ご、ごめんっ」
拗ねたような言い方をされ、反射的に真澄は謝った。
「だって、稜の仕事の邪魔したくないし、僕がいない方が捗るんじゃないかって……」
「ある程度雑音があった方が、捗るって言っただろ?」
それはそうだけれど、と視線を落とす。けれど稜の声色には、真澄を責めるニュアンスは含まれていないようだ。その証拠に、彼はもう笑っている。
「……気を付けて帰れよ。おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
交わす言葉の温かさにくすぐったくなりながら、真澄は稜の家を出た。稜はちゃんと自分を大事にしてくれている。だから同じように返してあげたいと思うのだ。
友達って良いな、と真澄はニヤける顔を抑えながら、自宅に帰った。
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