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終章
夜の気配が部屋をゆっくりと満たしていた。窓の外には木々の影が揺れている。街灯も遠く、ここは人の喧噪とは無縁の場所だ。
真夏はふと目を覚ました。静かすぎる夜だった。けれど、耳を澄ますとどこかで笛の音がしている。薄く、けれど確かに。あの頃と同じ、沈香の香に包まれるような音色。
ベランダのカーテンをそっと開けると、月明かりの下で博嗣が笛を吹いていた。背中を少し丸めるようにして、ゆっくりと音を紡いでいる。その姿を見て、真夏は声を掛けるのをやめた。なぜだかその音の中に、言葉以上の何かが含まれている気がしたからだ。風が笛の音を運んでくる。聴いたことにない旋律なのに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。しばらくして博嗣はそっと笛を下ろした。振り返り、真夏に気づく。
「……起こしたか?」
「ううん。目が覚めただけ。その音、懐かしくて」
博嗣は目を細めた。
「これは祝福の音だ。お前がここにいる。それだけで吹きたくなった」
真夏は博嗣の隣に腰を下ろした。夜風が冷たい。けれど、その手がそっと肩を包んでくれる。
「昔、あなたの音が遠くから聞こえるだけで心がほどける気がしたけど、今もそうなんだね」
「今度はもう遠くからじゃない」
笛の音はもう止んでいたが、その余韻は空気の中にまだ漂っていた。真夏は肩にかかった手に自分の手を重ねた。風が2人の間を優しく吹き抜けていった。
了
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