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五、愛しきものとの誓ひかな
目を覚ますと、愛流は森の中にいた。
木漏れ日が頬を撫でて、鳥の声が遠くから聞こえてくる。体は軽やかで、胸の奥に温かなものが残っていた。
満守と結ばれた余韻が、まだ肌に残っている。
「満守……」
呟きながら起き上がると、愛流の顔は一瞬で青ざめた。
祠が、ない。
昨夜まで確かにそこにあった小さな祠が、跡形もなく消えていた。
供え物も、燭台も、愛流が丁寧に掃除した石段さえも。
ただ草が生い茂った土地があるだけで、まるで最初から何もなかったかのようだった。
「……嘘だろ」
愛流は慌てて立ち上がり、辺りを見回した。
場所を間違えたのかと思ったが、あの泉はすぐそこにある。間違いなく、ここが満守の祠があった場所だった。
「満守! 満守命!」
声を張り上げて呼んでみたが、応える者はいない。
風が木の葉を揺らす音だけが、愛流の叫びを飲み込んでいく。
膝から力が抜けた。
幼い頃から、愛流の心の支えだった記憶。
父の暴力から逃れた森で出会った、優しい何者か。
それが満守だったのだと知り、再び会えた喜び。
そして昨夜、初めて心の底から愛し合えたと思った時間。
それらすべてが、幻だったのだろうか。
「やだ……やだよ……」
愛流は祠があった場所に膝をつき、土を掻いた。
何か痕跡があるはずだと、必死に探した。だが出てくるのは湿った土と小石ばかり。
何ひとつ、満守がここにいた証拠は見つからない。
「満守ッ、どこにいるんだよ……!」
声が枯れるまで叫び続けた。
心の空洞が、またぽっかりと口を開けた気がした。
満守に満たしてもらったはずなのに、今度はもっと深く、もっと痛々しく。
愛流は土にへたり込み、嗚咽を漏らした。
すべてを失った。
またひとりぼっちになった。
父に捨てられ、恋人たちに飽きられ、そして今度は神様にも見捨てられた。
「愛流、泣いているのですか?」
後ろから、聞き慣れた声がした。
愛流は振り返った。
涙で霞んだ視界の向こうに、白い衣を纏った満守が立っていた。
穏やかな微笑みを浮かべて、まるで何事もなかったかのように。
「……え……?」
「なぜ泣いているのでしょうか」
「満守……? 満守なのか? 本当に……?」
愛流は立ち上がると、満守に駆け寄った。
その腕に飛び込み、必死に抱きしめる。
温かい体温が、確かにそこにあった。
「祠が……祠がなくなってて……もう会えないのかと思って……」
「ああ」
満守は愛流の背中を優しく撫でた。
「古い祠は朽ちてしまったのです。しかし心配はいりませんよ」
「え……?」
「街の人々が、新しい祠を建ててくれたのです。街に近い、もっと人が訪れやすい場所に」
満守は愛流の涙を拭いながら続けた。
「久しぶりに信仰を寄せてくれる者が現れたと、古老たちが喜んでくれましてね。古い記録を調べ直し、きちんとした祠を建立してくれたのです」
「じゃあ……」
「ええ。わたしは消えません。これからも、ずっとここにいます」
愛流の顔に、ようやく笑顔が戻った。
「本当に……? もう、いなくならない?」
「そなたが望む限り、わたしはそなたのそばにいましょう」
満守は愛流の額に唇を寄せた。
「そなたの心の空洞は、もう埋まっているのですね」
「……うん」
愛流は頷いた。
「満守が、埋めてくれた、から……」
「いえ」
満守は首を振った。
「そなた自身が埋めたのです。わたしは、ただきっかけを与えただけ。そなたには最初から、愛する力も愛される価値もあったのですから」
愛流の目に、また涙が滲んだ。だが今度は、喜びの涙だった。
「ありがとう」
「それを言いたいのはわたしのほうです。そなたが信仰を寄せてくれたおかげで、わたしもまた人々に必要とされる存在になれました」
二人は抱き合ったまま、しばらく黙っていた。
木々のざわめき、鳥のさえずり、風の音。すべてが祝福しているように聞こえた。
「愛流」
「なに?」
「これからも、時々会いに来てくれるますか」
「当たり前だろ」
愛流は満守を見上げて笑った。
「毎日だって来るよ」
「それは困ります」
満守も微笑んだ。
「神にも、忙しい時があるので」
愛流は声を上げて笑った。
空の雲が切れて、陽光が二人を包んだ。
暖かな光の中で、愛流と満守は改めて口づけを交わした。
今度は激情ではなく、深い愛情に満ちた、静かな誓いの口づけだった。
心の空洞は、もう完全に満たされていた。
愛することと愛されることの喜びで、愛流の胸は今、溢れんばかりだった。
――森の奥で、新しい愛の物語が始まった。
人と神を結ぶ、永遠の絆とともに。
――了――
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