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皇太子と世捨て人4

 翌日。再びアサギはいなくなった。今回はリツも一緒に、である。否、リツどころかほぼ全てのヒトハごとであった。 「一ヶ所に固めていたのが仇となりましたね」  玉座で怒りに顔を紅潮させている皇帝は、カツキの話など右から左で各将軍達へと指示を出している。センティスの全てを支えるヒトハ奪還に加え、リツは必ず生かして連れ帰れ、と。カツキは困惑気味の将軍達と顔を見合せ肩を竦めた。 (リツにここまで執着していたとは想定外だ)  しかしだからこそ皇帝の怒りが小気味良い。今ばかりは誘拐犯に感謝してやりたい程。最も目的の為には二人を返してもらわなければ困るが。  軍を整える為一時散開した後カツキを追ってきたのは魔物学者の一人。 「殿下、例の魔獣の件ですが」 「どうした」 「気配をどこにも感じません」 「……何だと?」  アサギを気に入ってしまったらしい魔獣は常にアサギの周りに潜んでいた。何度となく結界石で封じようと試みたがその度にスルスル逃げられてしまい未だに捕らえられない。捕らえようとするカツキを警戒してか彼がいる間は出てこない魔獣は、カツキがいない隙に現れてはアサギの側でうろついていると魔物学者からの報告で知っている。 「……アサギについて行ったか」 「恐らくは」 「…………」  今までの実験結果から母体が魔獣との性交に耐えられる回数は多くない。魔獣は一度目の子が生まれた今、次の子種を植え付ける機会を窺っている筈。アサギの首輪で本人の居場所はわかっている。今すぐにでも向かいたいのが本音ではあるが、状況が許さない。空間を開くほどの魔力はそう何度も出せるわけではないのだ。乗り込む準備が整うまでは向かえない。 (……ここへ来たのはお前なのだろう?)  アサギの光であるあの男。アティベンティスでは既に失われている銃を扱える腕があるのなら。アサギを守れ、など自分が言えた義理ではないけれどただそう願う。もはやそれが目的の為なのか本心なのかは自分でも良くわからない。  アサギの気配を辿り無理矢理抉じ開けた空間の向こうは、センティスとは違い空を汚す煙突もなければ大地を削る線路もない自然豊かな国だった。  流石に空間を抉じ開けた反動が来たかよろめいたカツキを支えたのは大木の幹。側の皇帝は未だ怒りの中にあるようでカツキの様子になど気がつくことはない。 (……そうでなくては困るからね)  情がわいて揺らぐなどあってはならないからだ。 (さて、ここは任せて……)  リツを捜しに行くと告げカツキは一人アサギの気配を辿る。 (あれは……)  見つけるのは容易だった。首輪の核もあるし、何よりそこには例の魔獣がいたからだ。懸命に戦う傭兵達を見つめる。アサギは魔導師らしき小柄な男に守られていて、彼らの前にリツが立った。ユラリと立ち上るのは水色の燐光。次いで放たれたのは凄まじい業火。 (……へえ)  リツの魔力がこんな形で解放される所を見る日が来るなど思わなかった。これを自分達に向けていればもっと早く自由になれていただろうに、ヒトハという種族は本当に愚かだ。  怯んだようにジリジリ下がる魔獣を見て金の髪をもつ男が叫ぶ。 「逃がすな!」 (いい判断だ)  とは思うけれど、まだ魔獣を殺させるわけにはいかない。あの魔獣は稀少種。そうそうお目にかかれる相手ではないのだから。 「俺達が足止めする!仕留めろ!」  リーダーらしき金髪が言い、 「セン!障壁は解くなよ!!」  と障壁を解きかけた魔導師へ叫んだのはアサギの光である男。彼はそのままの勢いで魔獣に怒鳴る。 「お前に感情があるかないかわかんねーけど、これ以上アサギを苦しめんじゃねーよッ!!」 『ヴルルルル、ギッ、ルルルル……』  その刃が魔獣へ届く、寸前。 「――――ッ!?」 「ソラッ!!」  やはりこの男が“ソラ”かとカツキは笑う。手の平には肉を刺す生々しい感触が伝わった。 「そろそろ俺のヒトハを返してくれるかい?」  魔獣は地面に溶け込んでしまったがアサギを取り返せば向こうもセンティスに戻るだろう。あとはどうとでもなる。 「……っ、て、め……ッ!!……どう、やって……、アティベンティス、来れたんだよ……っ」  今はこの傭兵達を何とかしなければ。 「知りたいかい?」  答える前に襲ってきた炎はリツのもの。先程より数段威力が落ちたのは人間相手だからか。 (だから愚かだと言うのに)  車椅子に座りぼんやりと宙を見ているアサギに視線を向け、睨み付けてくる魔導師……センへと微笑んだ所で、今まで何とか立っていたソラの足から力が抜けた。 「く、……っ」 「可哀想に、もう長く無さそうだね。トドメを刺してあげようか」  笑いながら近寄って真上から見下ろして胸を過った苛立ちは何なのか。  自分の道具を奪われたから?アサギの心を奪ったから? 「ソラッ!!」  金髪の男ケイがカツキの刃を止めようと走り、 「駄目だ!」  とリツも叫んでまた業火を放つ。  カツキが飛び退いた隙にリツはアサギを車椅子から落とす勢いで降ろして抱き締め、センがソラの治癒を始めた。正直ソラの何がアサギを惹き付けたのかが気にはなるけれど、敵の兵力は少ない方がいい。センを止めようと動きかけたカツキの足はケイに止められた。 「俺に勝てるつもりかい?」 「勝ち負けは関係ねえ。俺の役目は守ることだからな」 「それでこそ俺の弟子!」  場違いに明るい声に聞き覚えはないがこの気配は知っている。飛んできた氷を避け僅かな微笑を浮かべて見つめた先に、赤茶色の髪と濃いアッシュの瞳を持つ青年が一人。 「カナト……!」  かつて母により犠牲となった前王妃とその息子。立場上カツキの“兄”にあたる男。死んだ筈の前皇太子カナトは過去一度だけ見た掴み所のない笑顔でカツキを見返した。  カツキはふと地震により一時撤退してきた野営テントの外の風景へと目を向けた。 (生きていたとは驚いたな)  母の手にかかった筈の前皇太子カナト。彼が人知れず生き抜き、城にまで潜入していたと聞き少なからず驚いた。  明らかに以前から知り合いだった風のカナトとリツ。そしてアサギ一人逃がした意味。  恐らく兵士であったカナトへと希望を託し、ほんの少しの可能性に賭けてアサギを逃がした。しかしカナトと入れ違いになっては困るとリツは動けなかったのだろう。例え残った自分がどんな目に遭おうともリツはカナトを待つことを選んだのだ。  そしてアサギは。  ――ソラは死なせません!  リツの封じをはね飛ばし目を覚ました彼はそう叫んで、彼もまた初めて戦う為にその魔力を解放した。そういえば、もはや必要ないと常に封じていた魔力は解放したままだったと思い出す。  アサギの全身を包んだのは瞳に良く似た琥珀の燐光。彼は帰ろうと差し出したカツキの手を見つめて  ――イヤです  ときっぱり言い放った。それもまた初めてだ。  いつでもカツキに怯えていた気弱な少年はそこにいない。かつて兄を助けようと兵に噛みついた時のような凛として言い放てる意思の強さを今でもまだ持っていたなどカツキは知らない。  ――それに僕はもう貴方の物じゃありません。 (もう、ではないよ。お前は……)  初めから俺のものなどではなかった、と自嘲する。  痛む胸にはいつもと同じように蓋をして目に写るそれを見た。空に伸びる一条の光。身体中が震えるような感覚。それはカツキの目的地、神の宝物庫へ続く“光の柱”。 (……俺の役目も、そろそろ終わるな)  心を満たすのは早く終わりたいという思いだけ。  ここを墓場だと決めたカツキは、地震に怯える兵では敵に勝てない、出直すべきだ。と皇帝を言いくるめ殆どの兵士を母国へ帰らせた。  カツキの言葉を疑うこともない皇帝の愚かさに嘲笑う。  こんなに愚かな男の所為で自分達母子の人生は狂ってしまった。そしてこんなに愚かな自分の所為でアサギ達兄弟の人生を狂わせてしまった。 (それも、今日で終わりだ)  皇帝を刺し貫いた刃をズルリと抜いて微笑む。 「これで俺はようやく退屈な日々から解放される」  あの日から続いた呪いのような言葉に従う鬱屈とした日々。緩慢に過ぎて、後悔ばかりを募らせていくだけのそれに蝕まれた心がうち震えた。  最後に振り返ったカツキはアサギを見る。  何を、と言いたげな不安そうな顔。 (お前の愚かさは筋金入りのようだね)  何故自分相手にそんな顔が出来るのか。 「もう少しお前で遊びたかったけどね、俺の可愛いヒトハ」  お前の答えは聞けないな、なんて思わせ振りに微笑んで。 (お前ならわかるだろう、この意味が) 「カツキ……っ!!」  悲鳴みたいな声を聞きながら、床のない背後へ一歩踏み出す。 「カツキ!!」  最後に聞こえたのは愚かで可愛いヒトハの声。

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