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皇太子と世捨て人6

 それからさらに数ヵ月後の事。リョウはカツキを連れて都市部ほど大きくはないがそれなりに人は住んでいる一番近くの町へ向かった。  カツキの右手にある模様は今、包帯を巻いて隠してある。それがヒトハの証だという知識はリョウにもあった。……実在しているとは思わなかったが。しかし町へ行って、そこであの地震のあった日の真相を聞いて驚いた。 (空に見えたのがセンティスで……)  衝突寸前だった2つの星を救ったのがヒトハだと言う。 「……ヒトハって凄いんですね」  正直な感想だった。アティベンティスの人間は通常強かれ弱かれ魔力をもって生まれるが、それでも普通の人間ではどうあがいても星を引き離すなど無理だった筈。それをやってのけるヒトハはやはり伝説通りの種族だ。 「!大丈夫ですか、カツキさん!?」  半ば感動して見下ろしたカツキは、今まさに立ち止まって座り込もうとしているところで。座り込む寸前に体を支え、人の少ない隅へと引っ張っていく。なすがままのカツキの顔色は病人のようだ。 「……大丈夫ですか……?」 「……すまない」  大丈夫だ、と続くけれどどう見ても大丈夫の顔色ではない。リョウとて本当は人混みになどいたくはなかったから、ある程度聞き込みをしたら帰ろうと思っていた。しかし。 「……宿、取ってきます」 「何故だ。帰るんだろう?」 「そんな顔色の人に無理させられません」  家に帰るまでに倒れてしまっては困る。 「……ここにいたくない」  それはカツキの本音であり、建前でもあった。リョウはカツキの心配をするけれど、リョウの顔色だって決して良くはない。 「でも……」  カツキに関する話はまだ何も聞けていないのに、と躊躇うリョウに重ねて言う。 「……帰りたい」 「……家にですか?」  それはどっちの?  本当はカツキも家族に会いたいのではないか。  顔も覚えていないことが不安なのではないか。  その沈黙をどう受け取ったか 「迷惑なら置いて行っていい」  と言われてリョウは即答した。 「そんなことしません」  この半年と少しの間に家に彼がいる、という光景が馴染んでしまっている。許されるのならもう少し一緒にいたい。 (……家族が見つかったら、ちゃんと返しますから今だけは俺に貸しててください)  どこにいるかもわからないカツキの家族に祈った。  せめて少しでも手がかりを、といつもあっちこっち飛び回っている兄に手紙を書いて鳩便を飛ばし、二週間かけて帰ってきた我が家は何だか少し懐かしい。 「疲れましたね」  すでに外は暗くなっている。ついでに買ってきた食材で軽い食事を摂った二人は早々に布団に潜り込んだ。  ベッドはカツキが使っている。本来の持ち主は床の上。最初流石のカツキもそれには抗議してきたけれど、リョウとしてもここは譲れない。平行線を辿る話し合いの末、勝敗を決めたのはジャンケンであった。実はカツキがジャンケンに異様に弱いとリョウだけが知っている。 「とりあえず兄に手紙を送りました。いつになるかわからないけど、来てくれると思います」  布団をスッポリかぶるのがリョウの癖なのか、目元しか見えていない彼を振り返る。 「……兄か」  カチリ、と何かが嵌まるような感覚はここ最近馴染みのものだ。記憶の欠片がまた1つ反応した。しかしそれが何なのかまではわからない。  兄上、と誰かを呼ぶ声と、応える声と。 (……何だ……?)  この妙な感覚は。嫌悪と恋慕、憐憫の情が込み上げる。 「カツキさん?」  ギュッと布団を握ると、夜目が利くらしいリョウが心配そうな声を発し起き上がろうとする気配。 「何でもない」  寝る、と言いながらぐるりと背を向ける。ほんの少しの間の後、おやすみなさい、と微かな声がした。その声には答えず、カツキはキツく目を閉じた。  ――母上……、母上、死なないでください……。僕を置いていかないで……っ。  ――いい?良く聞きなさい。諦めてはダメよ。どんな手を使っても必ずあの男を………… 「――――ッ!?」  真夜中カツキが飛び起きる気配にリョウは目を覚ました。 「カツキさん?大丈夫ですか?」  片手で顔を覆っているカツキからの返事はなく、起き上がってソッと触れた肩は小刻みに震えている。 「……怖い夢でも見ましたか?」 「……リョウか」  もう一度話しかけて、ようやくそこにリョウがいる事に気付いたらしいカツキが顔から手を離す。 「大丈夫ですか?」 「……ああ」 「……こんなに震えてるのに?」 「じきに収まる」  強がりにしか聞こえない言葉を吐く彼を思わず抱き締めた。抱き締めておきながら自分で驚いて、勝手に体が強ばる。人の温もりなど何時ぶりなのだろう。 (あ、裸で抱き締めたか……)  カツキを連れ帰った時だ。でもあの時はとにかく必死だったし、彼の体は酷く冷たかった。 「……何故お前が強張るんだ」 「すみません……」 「謝るくらいならするな」 「それは嫌です!」 「何故」 「わかりません。でも……、俺カツキさんの力になりたいんです。もっと寄り掛かって欲しいんです」  あなたは何でも一人でしてしまうから。と、最後は呟きに近い声で。 「……すみません」 「謝るくらいなら言うな」 「…………すみません」  おずおずと体を離そうとするリョウの背に、カツキの腕が回る。 「……いい」 「……え」 「ここにいろ」  寒いんだ、と言った割りにリョウより体温の高いカツキを腕に閉じ込めて狭いベッドに転がって。ふふ、と小さく笑いが洩れる。 「何だ」 「すみません。でも、何だか懐かしくて」  昔、寒い夜兄とこうしてくっついて寝ていたのだとリョウが嬉しそうに笑う。 「……仲が良いんだな」 「どうでしょう。兄は俺の事を疎ましく思ってるかも知れません」  何故、と訊かれるのが嫌で腕に力を込め、カツキに痛いと文句を言われるまでその力を抜くことはできなかった。  あの日から二人は寂しさとか不安とか、そんなものを埋め合わせるかのようにくっついて寝るようになった。  そこにあるのは恋人同士の甘やかな温度ではないけれど、くっついて寝るようになってからリョウも悪夢に魘されなくなっていた。カツキが来るまでは眠りが浅く、いつだって悪夢ばかり見ていて。カツキが来てからは悪夢自体減ったもののやはり眠りは浅かった。けれどくっついて寝るようになってからはその体温に安心して夢も見ずに寝られる。  が、そんなリョウとは逆にカツキはあれ以来たまに不安そうな顔をする。本人にもわかっていないのか、はぐらかされているのか問うても答えてはくれない。しかし彼は決してリョウをベッドから追い出したりはしない。  だからその日も彼らは子供の様に抱き合って眠っていた。最初に気付いたのはカツキ。カツキが身動いだことでリョウも目を覚ます。 「……誰かいる」  小さく言って枕元の木刀――リョウが木を削って作った粗末な物だ――を握ったカツキは、ソッと窓に近付いた。その身のこなしはやはり戦い慣れた人間のそれだ。戦う訓練などしたことのないリョウはただ邪魔にならないようじっと息を潜めるしかない。  外からは微かに、 「誰か住んでるんじゃねぇのか」 「関係ねぇだろ、息の根止めりゃ済む話だ」 「金目の物なんてなさそうだしなぁ」  と物騒な事をヒソヒソ囁き合う声がする。 (……盗賊?)  狙う物がないのは向こうも承知の上のようだ。ということは一仕事終えたか、向かう途中かはわからないがただ偶然ここを見つけてしまったのだろう。  男達の気配を追いながら玄関へと移動して行くカツキを見つめる。武器は木刀だけ。ホントにそれだけで大丈夫なのだろうか。いくらカツキが戦えるとはいえ、相手は刃物を持っている。  しかし今のリョウにはなす術がない。彼の持つ魔力は極端に弱く、微かな炎を出す程度しか出来ないのだ。不安感をあらわに成り行きを見守る中、ギィと小さな音をさせ玄関の扉が開けられた。――瞬間。 「ぐ……ッ!?」 「何だ!?」  先頭の男の腹を突いたカツキが死角から飛び出して、視界から消えたカツキに不安が増した。 「カツキさん……っ」  そうだ、刃物ならばうちにもある。リョウは手に馴染む包丁を取り出す。  リョウが飛び出した外では、今まさにカツキが地面に倒されたところであった。武器であるはずの木刀は折れ転がっている。 「その人を離せ!」 「あん?何だお前」  男達は包丁を目に止め笑い出した。 「俺達を料理しようってのか、兄ちゃん!」 「こいつなんて食ったら腹壊すぜ、きっと」 「あぁ?テメェに言われたくねぇよ!」  大した相手ではないと見極められてしまったのだろう。彼らは余裕の態度を崩さずカツキをしげしげと眺めている。月明かりの下、リョウの仕立てた古い服を着ていてもわかる美貌と気品。気位の高そうな黒曜は声に出さず触るなと訴えている。 「へ~ぇ?こんなボロ屋の似合わねえ美人じゃねぇか」 「掘り出し物だな」 「……っ」  グイ、と顎を掴まれ無理矢理顔を上向かされたカツキから僅かに苦痛の声が洩れてリョウは咄嗟に駆け出していた。何も考えてはいない。ただカツキを助けなければ、という思いだけ。  しかし彼には戦うための腕も知識もなくて 「おっとー」  あっさりと地面に倒された。 「刃物振り回したら危ないでちゅよー。ナイナイちときまちょーねぇ」  男がふざけた物言いで武器を取り上げる。地面に倒され手の甲を踏まれたリョウはそれ以上動けない。 「こっちの兄ちゃんは肉便器に使わせて貰うとして……」 「えぇ?こいつじゃ勃たねぇよ」  好き勝手言う男達はカツキの黒曜に剣呑な光が宿っているのに気付かない。 「ただバラしたってつまんねーだろうが。使えるもんは使うのが礼儀だろぉ?」 「てめぇはヤりてぇだけだろーがよ」  下品な笑い声を上げる男が暴れようとしたリョウの手を踏みつけ、 「……ッ!」  辛うじて悲鳴は飲み込んだものの、鉄板でも仕込んであるのか想像以上の衝撃が全身を駆け抜けた。 (……折れた、かも……)  何だか不穏な音が伝わった気がする。ついでに脂汗も滲み出てきた。利き手じゃないだけマシかともう一度暴れようとした、その時。 「ひ……っ!?」  誰かが息を呑む。リョウではない。カツキでもない。  ならば。 「薄汚い手を離してもらおうか」 「……カツキ、さん?」  カツキを捕らえていた男の体の半分がない。  噴き出す液体の色は赤。同時に吐き気をもよおすほどの鉄錆び臭さが風にのって流れてくる。 「て、て、てめぇ今何しやがった……!?」 「お前達に説明してやる義理はないな。ただ一つ言っておこう。敵に回す相手を間違えたようだね」  彼はにっこりと、穏やかに見える笑みを浮かべた。

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