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第8話 真冬のこと2
今日も雪が降っている。遠くの山も真っ白で、庭にも大きな雪がフワフワ降り積もっていた。
(もしかして冬の間ずっとこんな感じなのかなぁ)
窓の外を見ながら暖炉の前でチャイを飲む。アルギュロスさんに入れ方を教えてもらったぼくは、茶葉やミルクを用意してもらって自分でも入れるようになった。ジンジャーやシナモンなんかの量も自分で調整している。
(これ、お菓子にも使えそうな気がする)
そんなことを考えながら使わなくなったキッチンを見た。最後に作ったのはお芋と栗を使ったお菓子だ。あれはまだお試しみたいなもので、もう少しお芋の味をどうにかしたいと思っていた。でも、結局その後は一度も作っていない。
(今度何か作ることがあったらチャイを使ったものも考えてみよう)
そして前みたいにアルギュロスさんや使用人の人たちにお裾分けしよう。でも、王様にはお裾分けできない。
(だって、お妃様が嫌がるかもしれないし)
おとーさんのお城に呼ばれたとき、二日間お城に泊まることになった。その二日間でぼくは二度もお妃様同士の喧嘩を見ることになった。
一度目は泊まる部屋に行く途中で見かけた。二人は三番目の王子様のお妃様で、どちらのほうが王子様に高価なものをもらったかで言い争っていた。二度目はぼくが獣人の国に出発する直前で、四番目の王子様のお妃様と新しくお妃様になるお姫様が言い争っていた。
(どっちがあげたものが王子様に気に入ってもらえたかで喧嘩してたっけ)
つまり、あげてももらっても喧嘩になるということだ。ぼくは王様のお妃様と喧嘩したいとは思っていない。そうならないためにも王様にお菓子を届けたりしないほうがいい。
(本当はここにもいないほうがいいんだろうけど)
獣人の中には人を嫌っている人もいる。お城に来た日、ぼくを見ながら顔をしかめている獣人を何人も見た。もしかしたらお妃様も人を嫌っているかもしれない。向かい側の部屋との間には広い庭があるけど、窓の近くにいれば姿が見えてしまう。ぼくを見たお妃様が嫌な気分になるかもしれない。それじゃあお妃様に迷惑をかけることになるし、お妃様が困れば王様だっていい気持ちはしないだろう。
(やっぱりどこかに家をもらうのがいい気がする)
偉い人にもらった本の中にお妃様のことが書いてあった。それを思い出したぼくは昨日から何度もその部分を読み返している。
人の国では、正式に王様のお妃様になると離婚することができない。きっと獣人の国も同じだろう。本には、離婚できない代わりにお城の外に家をもらうことができると書いてあった。王様と一緒にいるのがつらくなったとき、ほかのお妃様と仲が悪くなったとき、ほかにもお城に住んでいられなくなったときにそうするらしい。
(ぼくは誰とも喧嘩してないし、する気もないけど……)
お城の外に家がほしい。できればそこに引っ越したい。
(それに、王様とお妃様が楽しそうにしてるのはちょっと見たくないし)
見てしまったら苦しくて泣きたくなってしまいそうな気がする。いまだって想像するだけで胸のあたりがズキズキした。
家がほしいなんてとんでもない我が儘を王様は許してくれるだろうか。キッチンがほしいとか水浴びをしたいとかよりずっとお金がかかるし、本物の王子様じゃないぼくが言ってもいい我が儘じゃない。でも、このまま部屋にいたくはなかった。お妃様を見てしまう前に部屋を出たい。
(そうしないとぼくは……)
きっと変な顔をしてしまう。もっとご飯が食べられなくなってしまうかもしれない。それじゃあアルギュロスさんにも使用人の人たちにもますます迷惑をかけてしまう。
暖炉の火を見ながらぼんやりと王様の顔を思い出した。思い出しながら王様のマントに顔を埋める。
(いい匂いも薄くなってきたな)
それがたまらなく寂しかった。でも、ほかのマントがほしいなんて言えるはずがない。段々気分が沈むのを誤魔化すように部屋に来たときの王様を思い出した。
フワフワのたてがみや蜂蜜色の目はキラキラしていて本当にかっこよかった。そんな王様がぼくと話をして、それに頭まで触ってくれた。
(王様の手、大きかったなぁ)
思い出したら顔が熱くなってきた。それだけじゃない。体がフニャフニャになって腰のあたりがモゾモゾする。背中もソワソワした。
王様のことを思い出すだけでこんなふうに体が変になる。それに胸も苦しくなった。それなのに何度も思い出してしまった。暖炉の前にいるとき、庭を眺めているとき、夜寝るときもだ。いつ思い出しても顔がポッポッとして体がカッカと熱くなる。さすがのぼくも、これがどういうことかはわかった。
(ぼくは王様が好きなんだ)
いつの間にか王様のことを好きになっていた。もちろんただの好きじゃない。そういう意味で好きだと自覚している。
(おかーさんもこんな気持ちだったのかなぁ)
昔、一度だけおとーさんのことを聞いたことがある。そのときはおとーさんが王様なんて知らなかったけど、おかーさんは笑いながら「一番好きな人がアカリのお父さんなのよ」と教えてくれた。
あのとき、どうして一番好きな人なのに一緒にいないんだろうと不思議に思った。そんなに好きなら一緒にいればいいのに。そうすればぼくにもおとーさんがいたのに。一緒にいないなら一番じゃなかったに違いない、そんなことまで思ったりした。でも、いまならおかーさんの気持ちが少しだけわかる。
(だってさ、好きな人が自分じゃない人を好きになるところなんて見たくないもんね)
それなら近くにいないほうがいい。それに離れていても好きな気持ちは変わらない。ぼくも、おかーさんみたいに王様のことを一番好きでいる自信がある。あれこれ考えながら、今夜も暖炉の前でチャイを飲む。
「ふ~っ。やっぱりチャイは温まるなぁ」
最後の一口を飲みきって床にコップを置いた。そうして王様のマントをしっかり被り直したときだった。
「そんな格好をしていてまだ寒いのか?」
突然聞こえてきた声に驚いた。慌てて振り返ると王様が立っている。相変わらずたてがみみたいな金髪はフワフワで、金色の耳もピンとしていてかっこいい。
「食欲がないと聞いた。どこか体が悪いんじゃないのか?」
返事をしようとした唇が止まった。王様が床に膝をついてぼくを見たからだ。
王様が床に座っている。そんなことを王様にさせたら駄目だ。早くやめさせないといけない。そう思っているのに言葉が出てこない。
「温かいな」
「っ」
王様の大きな手がぼくの頬を撫でた。顔が熱くなってビビビッと髪の毛が逆立ったような気がした。
「間もなく部屋の準備が終わる」
王様の言葉にハッとした。
「それって、お妃様の部屋のことですか?」
「アルギュロスから聞いたのか」
「王様がいろいろ準備してるって聞きました」
「あとはベッドが届けば終わりだ」
ということは、いよいよお妃様が部屋にやって来るということだ。ぼくはいますぐこの部屋を出なくてはと思った。急いで出ないと、王様が好きになったお妃様をきっと見てしまう。見るのは怖い。見たくない。
「あの、王様、お願いがあります」
「なんだ?」
暖炉の炎が反射しているからか、蜂蜜色の目がいつもよりキラキラして見えた。思わず見惚れそうになるのをグッと我慢し、考えていたことを言わなくてはと口を動かした。
「ぼくに、家をください」
「……なんだと?」
「小さい家でいいんです。使用人の人たちもいなくて大丈夫です。それで、もし叶うならでいいんですけど、庭に小さい畑があるとうれしいです」
畑があれば野菜を育てることができる。野菜作りの名人だったじいちゃんの手伝いをしていたから育て方はわかる。野菜を育てたりパンやお菓子を作ったりしていれば、きっと一人でも寂しくない。
「あの、王様……?」
蜂蜜色の目がぼくをじっと見ている。この距離だから聞こえないはずはないのに、王様はぼくを見るだけで何も言わなかった。
やっぱり我が儘だっただろうか。それなら家じゃなくていい。お城の中でお妃様の部屋から一番遠い部屋に引っ越すだけでいい。そう言い直そうとしたぼくは、王様が怖い顔をしていることに気がついて慌てて口を閉じた。
「おまえは何を言っているのかわかっているのか?」
いつもより声が低い。初めて会ったときよりずっと怖い声だ。
「城から出るということは俺と離縁したいと言っているのと同じことだぞ?」
たてがみのような金髪がブワッと膨らんだように見えた。
「お、王様、」
「許さん。離縁したいなど、絶対に許さん」
金色の耳が反り返っている。蜂蜜色の目もギラギラと光っていた。
(怒らせてしまった……!)
見たことがない様子に「ひっ」と首をすくめた。ぼくは初めて王様のことを怖いと思った。気がつけば体がブルブル震えている。
「離縁など考えられないようにしてやる」
「ひっ!」
王様の大きな手がグンと伸びてきた。殴られる、そう思ってギュッと目を閉じた。ところが体がふわっと浮き上がったのを感じて慌てて目を開ける。
「あの、王様、」
ぼくはまるで荷物のように王様の肩に担がれていた。驚いて手足をバタバタさせると「暴れるな」と低い声で注意される。
「落とされたくなければ大人しくしていろ」
「ひっ」
王様はぼくを担いだまま部屋を出た。そのままズンズンと廊下を歩いていく。
「陛下!?」
アルギュロスさんの声がした。
(アルギュロスさんならどうにかしてくれるかも……!)
顔を見ようと体を動かすと「大人しくしていろと言っただろう」と低い声で言われて「ひっ」と悲鳴を漏らしてしまった。
「どうされました」
「かまうな」
「ですが、」
「湯の用意をしておけ」
王様がまたズンズンと歩き出した。通り過ぎるときに見たアルギュロスさんは見たことがないほど驚いた顔をしていた。いつも王様の近くにいるアルギュロスさんでもどうにもできないことに体がブルッと震える。
(も、もしかして食べられる、とか)
だからアルギュロスさんにお湯を用意しろと言ったのかもしれない。本に書いてあったのは嘘じゃなかったのかもしれない。ガタガタ震えながら必死に目を閉じた。どうか痛くありませんように、そんなことを祈りながら目と口をギュッと閉じる。
ボフン。
柔らかいところに放り投げられた。一瞬息が止まったけど、痛くはない。いったいどこに連れて来られたんだろう。ぼくはマントを握り締めたままそっと目を開けた。
(……ベッド?)
ぼくが寝ているものとは違うけど、これは間違いなくベッドだ。どういうことだろう。混乱しながら、いつの間にかグルグル巻きになっていたマントから抜け出そうと体を動かした。
「おい」
「っ」
王様の声がした。おそるおそる顔を向けると、蜂蜜色の目がぼくを見下ろしている。
(……ものすごく怒ってる)
どうして怒っているんだろう。わからないけど、いますぐ跪かないともっと怒られる。そう思って慌ててマントから抜け出そうとして失敗した。服の裾がペラッとめくれて太ももが出たのがわかった。お尻がひんやりしているということは下着まで見えてしまっているかもしれない。
「おまえは……」
「ひぃっ」
叱られると思った。こんなみっともない格好を本物の王子様がするはずがない。そもそもマントでグルグル巻きになったりしないはずだ。ぼくはそろりと手を伸ばして、めくれた裾を引っ張った。そうして這い出るようにマントから抜け出し、そうっと王様を見る。
「誘っているのか?」
いつもよりずっと怖い蜂蜜色の目がぼくをじっと見ていた。
「人はそうやって誘い、それで油断させるのか?」
「あの、」
「離縁したいと言いながら、そうやって誘って今度は何を手に入れようと考えている?」
言われた意味がわからなかった。それにぼくは王様を誘ってなんかいない。王様が言う“誘う”の意味はなんとなくわかる。でも男のぼくにそんなことができるはずなかった。
これ以上怒られる前にと思ってベッドから下りようとした。ところが片足がマントに引っかかって裾がペロッとめくれてしまう。
「おまえは……!」
王様の目がギラッと光った。
(今度こそ殴られる!)
ギュッと目を瞑ったぼくの唇に何かが触った。熱くて柔らかい何かがぎゅうぎゅうとくっついている。
(……これって……)
もしかして。まさか。でも。そんな言葉が浮かんでは消えた。でも、これはたぶんそうだ。
そっと目を開けた。よく見えないけど、ものすごく近いところに金色が見える。
(やっぱりこれって……)
ぼくはなぜか王様にキスされていた。
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