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第7話 真冬のこと1

 その後、王様が言っていたとおりどんどん寒くなっていった。もし王様が暖かな服を届けてくれなかったらどうなっていたかわからないくらい寒い。 (あ、でもマントがあるからそこまで寒くはなかったかも)  新しい服の上から王様のマントを被る。そのままこうして暖炉の前にいれば寒くない。とても王子様には見えない格好をしているのに、アルギュロスさんはにこりと笑うだけで何も言わなかった。もしかして寒がりなぼくに本当に呆れてしまったのかもしれない。 (もっとちゃんとしないとなぁ)  人質でもこれはない。自分でもそう思う。そうやって反省はするものの、やっぱり寒くて暖炉の前に陣取る毎日だ。そうしながらいい匂いがするマントで体をすっぽり覆う。  マントを貸してもらってから三日後、王様がまた部屋にやって来た。まさかまた来るなんて思っていなかったぼくは、やっぱりポカンとしたまま王様を見つめてしまった。跪かないぼくのことを王様は怒らなかった。それどころか話しかけてくれた。それなのに驚きすぎたぼくはやっぱり返事ができない。それなのに「また来る」と言った王様は、約束どおり三日後にまたやって来た。  相変わらずマントにくるまったまま暖炉の前にいるぼくに、王様はほんの少し笑った。その顔を見ただけでドキドキした。蜂蜜色の目にじっと見つめられると顔がポッポッと熱くなった。 「おまえが作るパンはうまいな」 「ありがとう、ございます」  ようやく返事をすることができた。 「おまえが好きなパンはなんだ?」 「な、なんでも好きです」  答える声がちょっとだけ震えた。そんなぼくを見て王様が少しだけ笑ってくれた。結局この日もこんな感じで、半分以上はかっこいい王様を見つめるだけで終わってしまった。 (こんなんじゃ駄目だ)  せっかく王様が来てくれるのに、これじゃあいつまで経っても何も聞けない。そう思ったぼくは、次こそちゃんと話をしようと思って何を聞くか考えておくことにした。まずはパンやお菓子の感想を聞こう。それから王様が好きなものを聞いて、今度はそれを作ることにしよう。あとは苦手なものがあるならそれも知りたい。  あれこれ考えながら過ごした三日が経った。きっと今日、王様は来る。そう思うとそわそわして落ち着かなくなった。  ガチャリ。  扉が開く音がした。王様が来た。 (ちゃんと話をするぞ!)  そう思いながら「王様」と話しかけた。ところが今度は気合いを入れすぎて声が掠れてしまった。そんなぼくに気づいた王様がくるりと後ろを向いた。 「アルギュロス、あれ用意してくれ」 「承知しました」  王様と一緒に来たアルギュロスさんがお茶を入れ始めた。でも、いつも飲んでいるお茶とは匂いが少し違う。それにコップもいつもより大きめだ。アルギュロスさんに差し出されたコップを覗くとミルクティーだった。でもミルクだけじゃない匂いがする。 (これはシナモンと……ジンジャーかな)  クンクンと嗅いでいると、王様が「チャイだ」と教えてくれた。 「チャイはおまえの国でも飲むお茶だろう?」 「は、はい」  でも、こんなにいい匂いのものは飲んだことがない。きっとぼくを王子様だと思って高価なチャイを用意してくれたに違いない。 (ぼくは王子様じゃないんだけどな……)  そう思うと胸が痛くなった。僕は嘘つきで、王子様のフリをして王様と会っている。このままで本当にいいんだろうか。両手で持ったコップを見つめていると「おまえは菓子を作るのもうまいな」と言われてハッとした。 「普段菓子を食べることはあまりないが、おまえの作るものはうまいと思う」 「あ、ありがとうございます」 「菓子作りが好きなら、また作ればいい」 「……え?」 「好きなのだろう? 以前のようにアルギュロスに言えば材料を用意させる」  王様の後ろでアルギュロスさんが微笑みながら頷いた。 「でも……」  たしかにパンやお菓子を作るのが好きだ。だけど本物の王子様はそんなことはしない。そんな王子様じゃないぼくを王様は変だと思わないだろうか。 「パンや菓子を作る王子は珍しい。だが、悪くない」 「え……?」  どうしてぼくが気にしていることがわかったんだろう。 「菓子作りが好きな王子がいてもおかしくはない」  蜂蜜色の目は怒っているようにも呆れているようにも見えなかった。それがぼくはとてもうれしかった。 「それじゃ、王様が好きなパン、教えてください」  気がついたらそんなことを言っていた。「ぼく、作ります」と自然と言葉が出てくる。 「パンか……そうだな。芋が入ったパン、あれはうまかった」 「お芋の餡が入ったパンですか?」 「あぁ。芋なら貯蔵庫にたっぷりある。好きなだけ使っていい」 「それなら、細かく刻んだお芋を練り込んだパンも作れます」 「ほう。それは食べたことがないな」 「甘さ控えめでおいしいです」 「芋を使った菓子もあるのか?」 「いろいろありますけど……そうだ、この国にはどんなお芋のお菓子がありますか?」 「さて、どうだったかな」  王様がアルギュロスさんを見た。すると「そうですねぇ」と青い目が少しだけ上を向く。 「芋羊羹に芋団子、芋まんじゅうなどは有名ですね。あぁ、つきたての餅と芋を混ぜたものもありますよ」 「羊羹は食べたことがあるな」  ぼくは獣人の国のお菓子を見たことも食べたこともない。でも、なんだかおいしそうだ。 「あの、作り方を教えてもらってもいいですか?」 「芋羊羹のですか?」  驚いているアルギュロスさんに「ほかのお菓子も教えてほしいです」とお願いする。 「かまいませんが……」  青色の目が王様を見た。こんなことを言うのはやっぱりおかしいだろうか。 「城下の菓子職人に作り方を届けるように伝えておけ」 「承知しました」  それって作ってもいいということだろうか。 「おまえが作る我が国の菓子に興味がわいた」 「!」  作ってもいいんだとわかって顔がにやけてしまった。「ありがとうございます!」と笑いながら王様を見ると、蜂蜜色の目がパッと大きくなる。そうしてすぐに横を向いてしまった。 「楽しみにしている。ただ、しばらく部屋には来られない。味の感想は会ったときに教える」 「わかりました」  横を向いたままだったけど、顔は少しだけ笑っているように見えた。その顔を見ただけで、やっぱり胸がドキドキしてしまった。  次の日、さっそくお菓子の作り方を書いた紙が届いた。文字を読むのは得意じゃなかったけど、そんなことは言ってられない。ぼくは何度も読み返しながら、ああでもない、こうでもないと芋羊羹らしきものを作った。 (本当はレシピどおりに作るのがいいんだろうけど……)  でも、それじゃあおもしろくない。せっかく作るならぼくらしい何かを加えたい。おかーさんやじいちゃんがおいしいと言ってくれたいろんなお菓子を思い出しながら、丸二日かけて芋羊羹とスイートポテトを組み合わせたようなお菓子を作った。  完成したお菓子はアルギュロスさんにお願いして王様に届けてもらった。アルギュロスさんや使用人の人たちには別のお菓子をお裾分けする。そうしたのは初めて作ったお菓子は王様に一番に食べてほしかったからだ。味がどうだったか王様に教えてもらうのが楽しみで仕方がない。  お菓子を届けてもらってから十日が経った。でも、まだ感想は聞けていない。王様が話していたとおり、あれから一度も部屋に来ていないからだ。 (いつ会えるかなぁ)  会える日が待ち遠しい。お芋のお菓子の感想が聞きたいのはもちろんだけど、王様と話をするのが楽しみで仕方がなかった。 「あ、雪だ」  いつもより寒いなぁと思いながら窓の外を見ると、白くてフワフワしたものが舞っていることに気がついた。 (獣人の国は雪まで大きいんだなぁ)  ぼくが住んでいた街もたまに雪が降る。でもこんなに大きな雪じゃなかった。それに積もってもすぐに氷になって大変だった。  なんとなく雪を眺めたくて窓に近づいた。王様のマントにしっかりくるまりながら庭を見る。いつから降っているのか庭はすっかり真っ白になっていた。 (あれ……?)  庭の向こう側の窓に明かりがついている。いつもは暗いのにどうしたんだろう。「誰かいるのかな」と思って見ているとキラキラ光るものが見えた。 (王様だ)  あの金色に光っているのは王様で間違いない。もしかして、あそこは王様の部屋だったんだろうか。それにしては夜は真っ暗だし、昼間に王様を見かけたのも夏のあの日だけだ。気になったぼくは、夜ご飯の前にアルギュロスさんに尋ねることにした。 「庭の向こう側の部屋は王様の部屋なんですか?」 「向かいの部屋ですか?」 「はい。夕方、明かりがついていたんです。そうしたら王様が見えたんで」  ぼくの質問にアルギュロスさんが「あぁ」と言ってチラッと窓のほうを見た。 「あの部屋は王妃殿下のお部屋ですよ」 「おうひでんか?」 「陛下のお妃様のお部屋です。長らく使っていませんでしたから、壁紙の貼り替えや家具の入れ替えをしているところです」 「片付けているんですか?」 「似たような感じですね。夏頃から準備はしていたんですが、ようやく本格的に入れ替えることになりまして」 「それって、お妃様が住むからですか?」  壁紙や家具を入れ替えるのは住む人が変わるからだ。昔、隣の家に引っ越して来た人が同じようなことをしていたのを思い出した。 「はい。陛下は王妃殿下に快適に過ごしてもらいたいからと、すべての家具を入れ替えることにされたようです。もともとあの部屋は陛下のお母上が使っていらっしゃったので家具なども古くなっていましたからね」 「そうなんですか」 「それに陛下は、王妃殿下のためにご自分で選んだものを用意したいようで」 「王様が自分で……?」 「王妃殿下には健やかに過ごしていただきたいのでしょうね」  王様はお妃様に元気で過ごしてほしいと思っているということだ。それだけお妃様のことを大事に思っているんだろう。 「夏の頃はまだ渋っていらっしゃったというのに」  アルギュロスさんの声もうれしそうだ。 (そっか、あそこに王様のお妃様が住むのか)  王様にお妃様がいたなんて知らなかった。いつの間にお妃様と結婚したんだろう。 (でもそっか。そうだよな)  強くて偉い獣人にはたくさんの奥さんがいるのが普通だと本に書いてあった。それなのにいままで王様に奧さんが、お妃様が一人もいなかったほうがおかしい。 (そのせいでぼくが一番目の奥さんになっちゃったけど)  あの部屋にちゃんとしたお妃様がやって来る。王様はお妃様のことを大事に思っている。きっとお妃様のことが大好きなんだろう。だから昨日も部屋の様子を見に行ったに違いない。 「王様はお妃様のことが好きなんですね」 「そうですね。これまでお身内から幾度となく婚姻の話が出ましたが、すべてお断りになっていました。そんな陛下とは思えないほど王妃殿下に夢中になられているようですよ」 「そう、なんですね」  なんだか胸が苦しくなってきた。好きな人がいるのはいいことなのに、王様にそんな人がいるんだと思うと胸の奥がズキズキする。ズキズキしすぎて食欲までなくなってきた。それでも心配をかけないようにお皿に並んだ野菜や煮魚に箸を伸ばす。それでもどうしても食べたい気持ちになれなくて、ぼくはそのまま何も食べずに箸を置いた。 「どうされました?」 「ちょっと食欲がなくて」 「もしや風邪を召されたのでは?」 「いえ! 体は大丈夫です。っていうか体、すごく丈夫になったんで」 「丈夫になったとは……?」 「一歳のときに高熱を出して死にかけたことがあったんですけど、それからは一度も病気になったことがないんです。いままで風邪を引いたこともないくらい丈夫なんで、大丈夫です」 「死にかけた」と言ったとき、アルギュロスさんの目が大きくなった。きっと驚いたんだろう。でもいまは何ともない。おかーさんが驚くくらい丈夫になった。 「たぶん雪に驚いたんだと思います。ぼくが住んでた街は、こんなに大きな雪は降ったことなかったから」 「では、チャイを用意しましょう。体を温めてくれますから」 「ありがとうございます」  目の前に並んでいるホカホカのご飯に申し訳なく思いながら、結局夜ご飯は全部残してしまった。  暖炉の前でアルギュロスさんが用意してくれたチャイを飲む。ジンジャーがピリッとしていて体がポカポカしてきた。指先まで温かくなったぼくは、いまのうちにと気持ちを切り替えてお風呂に入ることにした。そうしないと何もできなくなりそうな気がしたからだ。  いつもより短い時間でお風呂から出て、髪の毛を適当に拭いてから寝室に向かう。 (なんだか体がだるいなぁ)  うーんと両手を伸ばしてからベッドにポフンと寝転がった。しばらくゴロゴロしていたけど全然眠れる気がしない。 (そうだ)  起き上がったぼくは、居間のソファに起きっぱなしにしていた王様のマントを取りに行くことにした。薄暗い居間に入ると暖炉の火が消えているからかちょっと寒い。「う~っ」と腕を擦りながらマントを取り、急いで寝室に戻ってベッドに潜り込む。そうしてフカフカのお布団の中にマントを引っ張り込んでギュッと抱きしめた。 (やっぱりいい匂いがする)  でも、この匂いはぼくだけのものじゃない。この匂いはお妃様のものでもあるんだ。 (もう王様には会えないのかなぁ)  大好きなお妃様がいるのに、政略結婚した人質のぼくに会いに来る理由はない。ぼくは王様の奥さんになったけど本当の奥さんじゃないからだ。 (だから、わざわざ会いに来たりはしない)  ふと、お芋のお菓子のことを思い出した。この国のお菓子とは少し違っていたけど、王様は気に入ってくれただろうか。次に会ったときに感想を教えてもらうはずだったけど、たぶんもう聞くことはできない。そう思ったら、どうしてか涙が出そうになった。

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