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第6話 秋から初冬のこと2
いつの間にかリンリンだのチリチリだの鳴いていた虫の声が聞こえなくなっていた。部屋の空気も冷たくなった気がする。そう思っている間に一気に寒くなった。
(獣人の国の冬ってあっという間に来るんだなぁ)
ぼくが住んでいた街はもっとゆっくり冬になる。寒くなるのも少しずつで、「もうすぐ秋が終わるなぁ」としみじみする時間があった。ところが獣人の国の冬はやって来るのが早すぎてしみじみする時間もない。
寒くなってからは部屋にある暖炉が大活躍している。はじめは夕方から火を入れていた暖炉も、ぼくがあまりに寒い寒いと言うから一日中燃やしてくれるようになった。「また我が儘を言ってしまった」と反省はしたけど、我慢できないくらい寒いのだから許してほしい。
(うぅ……暖炉から離れると寒くて何もできない)
そんなわけで、ぼくは毎日のように暖炉の真ん前に陣取っていた。床にはアルギュロスさんが用意してくれたフカフカの敷物を敷いて、その上に座って暖炉を独占している。
(寒いのは平気だと思ってたのになぁ)
家ではここまで寒がりじゃなかった。獣人の国はたくさん雪が降ると本に書いてあったけど耐えられるだろうか。想像しただけで凍えそうになる。
暖炉の火が赤々と燃えている。それを眺めているぼくは、冬用の服の上に上着を二枚も着ている。それでも寒くて大きな布を頭から被っていた。きっと本物の王子様はこんな格好はしない。アルギュロスさんの驚いた顔を見てそう思った。でも寒さに勝てなくて毎日こんな状態だ。
(せめて格好くらいはちゃんとしようと思ってたのに)
顔や背丈はどうにもならないけど、せめて服だけは気をつけようと考えた。獣人の国の服をちゃんと着て、箸というものでご飯を食べる練習もしている。パンやお菓子作りの回数も減らした。
(だって、本物の王子様ならお菓子作りなんてしないだろうからさ)
そうやっていろいろ頑張ってきたのに、寒くなっただけでこんなふうになるなんて台無しだ。
(本当は冬用のお菓子も作りたいけど……いや、我慢、我慢)
それに材料がないから作りたくても作れない。部屋に材料が届かなくなったのは、ぼくがアルギュロスさんにもう必要ないと伝えたからだ。
本当はパンやお菓子を作りたい。せっかくのキッチンももったいない。でも、本物の王子様ならそんなことしないからと我慢した。
「庭を散歩されてはいかがですか?」
アルギュロスさんが困ったような顔でこっちを見ている。そんな顔をさせてごめんなさいと思いながら「寒いので、また今度……」と暖炉のほうを向いた。
「そうしてじっとしていては食欲も落ちる一方ですよ」
「……ごめんなさい」
「いえ、謝られる必要はありませんが……」
わかっている。アルギュロスさんはぼくを心配してくれているだけだ。チラッと見たアルギュロスさんの銀色の耳がほんの少しペタンとしている。部屋の片付けをしていた犬族だという人たちの耳も少しペタンとして見えた。
偉い人にもらった本に、獣人は気持ちが耳や尻尾に出やすいと書いてあった。尻尾は服の中だから見えないけど耳は頭の上にあるからよく見える。
(あれって、悲しいとか寂しいとかいうときの耳だったっけ)
本にはそんなふうに書いてあった。逆に耳がピンと反り返っているのは怒っていたり不機嫌だったりするときで、そういう耳の獣人には近づかないほうがいいとも書いてあった。
(もしかして、ほかにも耳の様子でわかることがあったのかな)
もう人の国から持って来た本を読んでいないから、どうなのかはわからない。読むのをやめたのは、三冊目にも四冊目にも獣人がどれだけ恐ろしくて人にどんな悪いことをしてきたかばかり書いてあったからだ。偉い人がくれた本だから嘘が書いてあるとは思わない。でも、本当のことだとも思えなかった。
ぼくが実際に知っている獣人の人たちはみんな優しい。ぼくが作ったパンやお菓子をおいしそうに食べてもくれる。ぼくをこんなにも気にかけてくれる。王様だっていろいろ気にしてくれた。それなのに本にはまったく違うことばかりが書いてあった。読むだけで悲しくなるから読むのをやめた。
「夕食は肉と魚、どちらがよろしいですか?」
食べる量が減ってきてからというもの、毎日のようにアルギュロスさんがご飯のことを聞いてくれるようになった。
「ええと……じゃあ、魚のほうで」
用意してもらってもきっと残してしまう。そう思うと申し訳なくて答える声が小さくなる。
「承知しました。では、白身のあっさりしたものを用意させましょう」
「あの、ありがとうございます」
にこりと笑ったアルギュロスさんが「ほかにも食べやすいものを用意させましょう」と言って部屋を出て行った。
(アルギュロスさんって優しいよな)
初めて会ったときにあんなに怖かったのが嘘みたいだ。それに体も大きくて顔も整っているしかっこいい。じつは力持ちだってことも知っている。優しくてかっこよくて優しいなんて、きっと女の人に人気があるに違いない。もしかして奧さんがたくさんいるのかもしれない。ぼくがそう思ったのは本に書いてあったことを思い出したからだ。
偉い獣人にはたくさんの奥さんがいるらしい。それが強い獣人の証でもあると書いてあった。
(ってことは、王様にだってたくさんいるはずだよな)
でも王様には奥さんがいない。だからぼくが花嫁として来ることになった。
(どうして一人もいないんだろう)
王様なのに一人もいないなんて不思議だ。だって、おとーさんには何人ものお妃様がいた。一番上の王子様には十人いて、七番目の王子様には女の人だけじゃなく男の人の恋人もいた。
王子様でもそうなんだから、あんなにかっこいい獣人の王様に奥さんが一人もいないなんてやっぱり変だ。本当はぼくみたいな政略結婚じゃない、もっと綺麗でかわいい奥さんがいてもおかしくない。
(そもそもぼくは奧さんじゃなくて人質なんだろうし)
本を読んでいるうちになんとなくそう思うようになった。昔、ぼくみたいに獣人の偉い人のお妃様になった王女様がいたそうだ。でも王女様は本当は人質で、その後ひどい目に遭ったと書いてあった。
人質なら男でもかまわない。だから王様はおとーさんに性別を言わなかったのかもしれない。それに人質とは本当に結婚するわけでもないから政略結婚にちょうどいい。何もかもぼくと王様にぴったり当てはまる。
(でも、ぼくはひどいことなんてされてない)
人質は奴隷にされて死ぬまで働かされるのだと書いてあった。見た目が綺麗な子どもや女の子は、娼館で働かされたり金持ちに売られてそういうことをされるとも書いてあった。ちょっと前までは人を食べる獣人もいたと書いてあったけど、さすがにあれは嘘だと思う。
獣人はぼくたちより体が大きくて強い。そのぶん乱暴で知性がないと書いてあった。それも嘘だと思った。だって、ぼくが知っている獣人はそんなことはない。耳と尻尾がなければぼくたちと同じだ。
(うーん、何が本当で嘘かよくわからなくなってきた)
ウンウン考えても学がないぼくにはわからない。それでも考えないといけない気がして、暖炉の火を見ながらウンウン唸る。
「……駄目だー。寒くて何も考えられないや」
頭を振ったら被っていた布が落ちてしまった。頭のてっぺんと首のあたりがひやりとして体がブルッと震えた。床に落ちてしまった布を取ろうと思って、体を少しだけひねったときだった。
「ひゃっ!」
間抜けな声が出たのは後ろに誰か立っていることに気づいたからだ。声どころかちょっとだけ飛び上がってしまった気もする。「誰だろう」と思いながらおそるおそる顔を上げて驚いた。
「お、王様……?」
「そんなに着込んでいるのに、まだ寒いのか?」
立っていたのは王様だった。暖炉の火が当たっているからか、たてがみみたいな金髪がキラキラ輝いている。金色の耳も蜂蜜色の目も眩しいくらい光っていた。
「人は寒さに弱いと聞いていたが、ここまでとはな」
王様がぼくを見ながら何か話している。聞かなくちゃと思ったけど驚きすぎてうまく聞き取れない。まさか王様が部屋に来るなんて想像もしていなくて、ポカンと口を開けたまま王様を見つめてしまった。
(キラキラですごいなぁ……それに、やっぱりかっこいい)
髪の毛も耳も目もキラキラ眩しくて、まさに王様という感じがした。夏に見たときと違ってマントみたいなものを羽織っているのもすごくかっこいい。
(髪型、少し変わったんだ)
前髪や横髪はフワフワしているけど後ろはすっきりして見える。もしかして結んでいるんだろうか。だから金色の耳がしっかり見えるのかもしれない。
(王様、やっぱりすごくかっこいい)
そう思ったら急にドキドキしてきた。次に会ったときは話しかけようと思っていたのに全部吹っ飛んでしまった。
(あ、あれ……?)
今度は顔が熱くなってきた。暖炉を見ていたときよりもずっと熱い。顔どころか体中が熱くて変な感じがする。
「そんなに赤くなるまで暖まっては、逆に体に悪いのではないか?」
どうしよう、蜂蜜色の目がぼくをじっと見ている。
「まだ食欲が戻らないと聞いた。具合が悪いのか?」
どうしよう、王様が少しずつ近づいて来る。
「それに菓子も作らなくなっただろう。何かあったのか?」
王様がすぐ目の前に立った。
「これから本格的な冬を迎える。それほど寒いならこの先大変だろう。もっと暖かい服を用意させる」
ぼくをじっと見ながら話している。どうしよう、王様がぼくを見ている。
「おい、聞いているのか?」
「……っ!」
上半身を少し屈めた王様がぼくの頭に触った。大きな手がポンと頭に乗っかっているのがわかってもっと驚いた。
(ひ、ひええぇぇぇぇ!)
開いていた口がワナワナと震えた。顔が燃えるように熱い。
(どどどどどうしよう……!)
王様がぼくの頭に触っている。それにこんな近くに王様がいる。近くにいる王様に目が釘付けになった。
フワフワの金髪がすごくかっこよかった。ピンとした耳の毛もフワフワで、それがピクッと動くのもかっこいい。蜂蜜色の目がぼくを見ていると思うだけでドキドキして息ができなくなった。
ポカンとしたりドキドキしたり大変なことになった。考えていることもめちゃくちゃで、きっと顔だっておかしくなっているに違いない。
「大丈夫か?」
「は、はひ……」
ちゃんと返事ができない。口がうまく動かなくて声もひっくり返ってしまった。どうしよう、どうしよう。
「服はすぐに用意させる。それまではこれでも被っていろ」
そう言った王様がマントみたいな服を脱いだ。それを頭からすっぽり覆うようにかけてくれる。
「寒い冬を乗り切るためにも、まずはちゃんと食事をすることだ」
今度は変な声すら出なかった。真っ赤な顔で惚けているぼくを見た王様が、呆れたようにほんの少し笑った。それにドキドキしている間に王様は部屋を出て行ってしまった。
(……し、しまった)
しばらくして、ぼくは真っ青になった。王様の前にいたのに跪かなかったことに気がついたからだ。王様の前では正座をして額を床に着け、上げていいと言われるまで頭は上げないこと。しっかり覚えたはずなのにできなかった。
それなのに王様は怒らなかった。それどころかマントみたいな服を貸してくれた。被っていたマントをそっと掴むとマントからいい匂いがした。掴んだ部分を鼻に近づけると、いい匂いが強くなる。
(この匂い……嗅いだことある気がする)
なんの匂いかわからないけど、ホッとして体がポカポカする匂いだ。ぼくがよく遊んでいた森の匂いのような、おかーさんが飾っていた花の匂いのような気もする。
顔がフニャッとするのがわかった。匂いを嗅いでいるとホッとする。それだけじゃない。うれしくて体がムズムズしてきた。ぼくは大きなマントにくるまりながら何度も匂いを嗅いだ。そのうち眠くなってきて、気がついたら暖炉の前でウトウトしていた。
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