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第5話 秋から初冬のこと1

(秋って最高!)  心の底からそう思った。一番は、あんなに暑かったのが嘘みたいに過ごしやすくなったことだ。それに何を食べてもおいしいのがいい。夏の暑さで少し落ちていた食欲もすっかり元に戻った。 (秋は実りの季節だしね)  ぼくが住んでいた街では秋になると収穫を祝うお祭りが行われる。街の中心にある噴水広場にはいろんな屋台が並んで、夜通しみんなで飲んだり踊ったりした。屋台の中心はお酒だからか、大人は食べるより飲んで楽しむ人が多い。屋台のいくつかには子ども用の酔わないワインも売っていて、ぼくも何度か飲んだことがある。 (ワインはおいしかったけど、ぼくはやっぱり食べ物のほうが好きかな)  籠からあふれそうなくらい山積みになった果物や野菜を見るだけでワクワクした。あれを見ると新しいパンやお菓子を作りたい気持ちがわき上がってくる。ぼくにとって秋はおいしいものを食べる季節であり、おいしいものを作る季節でもあった。  というわけで、最近はますますパンやお菓子作りに精を出している。というのも、王様から秋の採れたて食材がたくさん届いたからだ。手始めにホクホクのお芋を餡にしたパンや甘く煮た栗を載せたパン、かぼちゃを練り込んだパンを作ってみた。こうした食材はお菓子の材料にもなる。  果物ならいちじく、ぶどう、ざくろ、桃や柿、りんごや梨もおいしい。焼き菓子に使ったりケーキに載せたり、ほかにもゼリーやジャムにもできる。もちろん出来上がったパンやお菓子は王様に届けてもらった。せっかくだから感想を聞きたい気はするけど、忙しそうな王様に無理は言えない。 (この前チラッと見たときも忙しそうにしてたもんな)  ぼくが過ごしている部屋から庭を挟んだ反対側に部屋がある。この前、その部屋に王様がいるのが見えた。一瞬だったけどフワフワの金髪だったから間違いなく王様だ。でも、すぐに見えなくなった。 (たまにでいいから姿が見えるといいのになぁ)  フワフワの金髪を遠くからでもいいから見たい。そう思ったけど、あれから向かいの部屋で見かけることはなかった。 「アカリ様、今日のお菓子をお持ちしました」 「ありがとうございます。うわぁ、タルトですね!」  アルギュロスさんと、その後ろを猫族だと教えてくれた使用人の人がワゴンを押しながら入ってきた。ワゴンにはお茶の道具とタルトが載っている。最近は材料だけじゃなく、こうして完成したお菓子まで届くようになった。もちろん喜んで食べるし、お菓子の参考にもさせてもらっている。 (フルーツたっぷりのタルトかぁ)  切り分けてもらっている間、王様もこうしたものを食べているのかなと考えた。考えながら向かい側の窓を見る。でも、相変わらず人影は見えない。  少し前まではギラギラしていた庭もすっかり眩しくなくなった。それにリンリンだのチリチリだのいうかわいい虫の鳴き声も聞こえる。 (夏と秋の差がすごいなぁ)  ぼくが住んでいた街にも一応季節はある。でも、夏は少し暑いくらいで春と秋がとても長い。短い冬には雪が降ることもあったけど、一年中過ごしやすいからか貴族や金持ちの別荘がたくさん建つような街だった。おかげで都会でしか食べられないようなお菓子なんかを売る店もあった。でも、平民だったぼくは食べたことがない。 (それでもどうしても食べてみたくて、だから自分で作るようになったんだよね)  いま思えばとんでもないことを考えたなぁと思う。それでも食いしん坊だったぼくは諦めきれずに身近にあった食材であれこれ作った。それを味見してくれていたのがおかーさんだ。  おかーさんは若い頃、お城がある王都に住んでいたことがある。そのときいろんなパンやお菓子を食べたとかで、珍しいお菓子の話なんかもたくさん聞かせてくれた。ぼくがパンやお菓子作りにのめり込んだのは、そうした影響もあったに違いない。そんなおかーさんとお菓子の店に行って本物を食べるのがぼくの夢だった。 (それがまさか獣人の国で食べることになるなんてなぁ)  切り分けられたタルトが目の前に置かれた。こぼれ落ちそうなくらい載っているフルーツに喉がゴクリと鳴る。 (人生何が起きるかわかんないね)  これは昔おかーさんが言っていた言葉だ。そんなことを思い出しながらフォークで慎重に一口分を切り取った。そうして果物を落とさないように口を大きく開けてぱくりと食べる。 「ん~、おいしぃ~! やっぱり本物は違うなぁ」  思わず声が出てしまった。甘かったり酸っぱかったりする果物を、さっぱりした甘さのクリームがふわりと包み込んでいる。そこにバターのいい香りが混じって、ほっぺが落ちるほどおいしい。タルト生地のサクサクした食感も最高だ。  目を閉じてうっとりしていると「お気に召しましたか?」と声をかけられた。 「はい! ありがとうございます、アルギュロスさん」 「どういたしまして」 「すごくおいしくて感動してます!」 「それはよかった。アカリ様がお作りになるお菓子も大変おいしいですよ」 「あ、ありがとうございます」  急に褒められると照れくさくなる。さすがにこのタルトみたいなものは作れないけど、ぼくなりのお菓子の味を気に入ってくれたのならうれしい。褒められたことに気分をよくしながら、もう一口ぱくりと食べた。 「こちらのお菓子はアカリ様の国の菓子職人が作ったものですよ」 「え?」 「アカリ様が祖国の味を懐かしがっているのではないかと陛下がおっしゃって、人の国から菓子職人を呼び寄せたのです」 「そ、そうだったんですか」  アルギュロスさんの説明に驚いた。だって、ぼくのためにわざわざパティシエを呼んだということだ。 (でも「懐かしがっている」なんて……)  こんな高級なお菓子を食べたのは生まれて初めてだ。食べていた手を止めて、チラッとアルギュロスさんを見る。テーブルの脇に立ってお茶の用意をしてくれていたアルギュロスさんが「どうしました?」という感じでぼくを見た。 「いえ、わざわざ呼んでもらったのなら、悪いなぁと思って」 「アカリ様が気にされることはありません。陛下はアカリ様に健やかに過ごしてほしいと思っておいでなのです」 「すこやかに……」 「元気に過ごしてほしいという意味ですよ」 「な、なるほどー……」  王様がそこまでぼくのことを気にしてくれているとは思わなかった。水浴びをしていたときも風邪を引かないようにと言ってくれたことを思い出す。 (王様ってやっぱり優しいな)  それにぼくが作ったパンやお菓子も受け取ってくれている。食べてくれていることもアルギュロスさんから聞いた。感想は聞いたことがないけど、残さず食べてくれているらしい。 (王様、少しは気に入ってくれてるといいんだけど)  王様のキラキラした姿を思い出したら顔が熱くなってきた。こんなぼくが花嫁なんて嫌がられているとばかり思っていたけど、もしかしたらそうでもないのかもしれない。少なくとも嫌われているわけじゃない気がする。 (よかった)  ホッとしたからか胸がふわっとした。こんなぼくだけど、やっぱり嫌われるのは悲しい。好きになってもらうのは無理だとしても、パンやお菓子を気に入ってくれたのならそれだけでうれしかった。浮かれ気味になったぼくは、三人分はありそうな残りのタルトもぺろりと平らげた。それに驚いているアルギュロスさんにニカッと笑い、お茶のおかわりもしてしまった。  次の日はアップルパイが出てきた。これもパティシエの人が作ってくれたらしい。焼きたてのアップルパイはリンゴとシナモンの香りが濃くて食欲をそそられる。サクサクのパイ生地にフォークを入れ、フーフーと少し冷ましてから頬張った。 「んんん~……! 甘酸っぱくて、おいし~!」  アップルパイもどきを作ったことはあるけど、やっぱり本物のパイ生地には勝てない。リンゴの酸味と甘みも最高で、粗めに刻んだリンゴがパイ生地の中にギュウギュウに詰まっているのが最高だ。シナモンもぼくが使っていたものよりいい香りがする。  ウキウキしながら二口目を食べた。サクサクの生地にじゅわっとリンゴの甘さが広がって幸せな気分になる。「まさか毎日こんなお菓子が食べられるなんてなぁ」と思ったところでフォークを持った手が止まった。 (そうだ、これってものすごい贅沢なことだ)  毎日お菓子が食べられるのは貴族や金持ちだけだ。ただの平民でしかないぼくが食べられるのは、獣人の国の人たちがぼくを王子様だと思っているからだ。 (だけど、ぼくは本物の王子様じゃない)  たしかにおとーさんは王様だけど、ぼくは王子様なんかじゃない。王子様になったことも一度もない。 (……ぼくは、みんなに嘘をついてる)  王様もアルギュロスさんも、それに毎日身の回りのことをしてくれる使用人の人たち全員を騙している。 (もしぼくが王子様じゃないってばれたら、どうなるんだろう)  急に不安になってきた。王子様じゃないなら出て行けと追い出されるだろうか。それより人の国に騙されたと怒るかもしれない。そうしたら人の国まで大変なことになる。 (それに、嘘つきだって嫌われる)  そう思った途端に胸がギュッと苦しくなった。嘘をつきたいわけじゃない。でも、平民だと言ってはいけないと言われたから本当のことを言うこともできない。偉い人の命令だったとしても嘘をついていることに変わりはない。  こんなぼくのために王様は人の国からパティシエまで呼んでくれた。こうしておいしいお菓子を毎日食べさせてくれる。豪華な部屋やキッチンも用意してくれた。水浴び用の湯船も用意してくれたし、風邪を引かないように心配までしてくれた。 (もしぼくが平民だとわかったら……王様は怒るかな)  それとも呆れるだろうか。今度こそ嫌いになるかもしれない。「王様に嫌われるかも」と思ったら、また胸が苦しくなった。できれば嫌われたくない。かっこよくて優しい王様に嫌われるのは嫌だ。このまま会えなくてもいいから嫌いにならないでほしい。  胸の奥がチクチクした。みんなから「足りない奴」と言われても、「おまえなんかに教えてやるかよ」と仲間外れにされても嫌われたくないと思ったことはなかった。周りがぼくをどう思っているか考えてもしょうがないと思っていた。  それなのに王様には嫌われたくないと思ってしまう。王様がぼくをどう思っているのか気になって仕方がない。 (……王様にだけは嫌われたくない)  アップルパイをじっと見つめた。ぼくのために用意してくれたアップルパイだけど、嘘をついているぼくが食べていいのか考えてしまう。 「どうされました?」 「……なんでもないです」  駄目だ、もう食べることはできない。嘘つきなぼくが食べていいものじゃない。フォークを置いたぼくは、アップルパイの残りを食べることができなかった。次の日はモンブランが出てきた。その次の日はぶどうをたっぷり使ったゼリーが出てきた。どちらもすごくおいしそうだったけど食べることができなかった。  そのうちご飯もあまり食べられなくなった。というより、食べてもなんだか味がしない。残すのは申し訳なかったけど、どうしても食べ進めることができなくて段々と食べる量が減っていく。 「具合が悪いのではありませんか?」 「あー……そうじゃないです。ちょっと食欲がなくて。あんなに暑かったのが急に涼しくなったからだと思います」  そう言ってアハハと笑うぼくをアルギュロスさんが心配そうな顔で見た。ぼくは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。それでも食欲が戻ることはなく、その後もぼくは何度も「ごめんなさい」と言いながらご飯を残してしまった。

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