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第4話 盛夏のこと2
ジャブンと音を立てながら一気に頭まで浸かり、勢いよく水面から顔を出す。
「き……っもちいい~!」
想像していたよりずっと気持ちがよくて興奮した。立ち上がると腰より少し上まで深さがある。それに寝転ぶことができるくらい広い。深さと広さを確認したぼくは、ニカッと笑って湯船の縁に後頭部を載せた。そうしてゆっくりと体を伸ばし足を浮かせる。
(あ~、最高だなぁ)
プカプカと体を浮かべながら空を見た。ぼくが住んでいた街より空の青色が濃いような気がする。太陽もギラギラしていて本当に溶けてしまいそうだ。湯船のそばにある大きな木のおかげで顔のあたりが日陰になっているから眩しくはない。体に日の光が当たっていても水が冷たいから気持ちがいい。
遠くで鳥が鳴く声が聞こえた。こんなに暑いと鳥も大変だなと思いながら目を閉じる。
(あ、この湯船もいい匂いがする)
いつも使っている風呂場の湯船もとてもいい匂いがした。それと同じ匂いに、ますます気分がよくなる。
(庭で水浴びができるなんて、めちゃくちゃ贅沢だなぁ)
綺麗で広い部屋に住まわせてもらって、しかもキッチンまで用意してもらった。一日三食付きで風呂場にはいい香りの湯船まである。しかも同じようにいい香りがする湯船で水浴びもさせてもらっている。ちょっと前までのぼくには想像できない生活だ。
(そもそも家にお風呂なんてなかったしなぁ)
代わりに街には公衆浴場があって、大体の人はそこで湯を浴びていた。高級な浴場なら湯船に浸かることもできたんだろうけど、平民だったぼくはそうした浴場には行ったことがない。そもそもお風呂に入るのは二、三日に一度くらいで、毎日使うようになったのは獣人の国に来てからだ。
(獣人って綺麗好きなんだな)
だから湯船もいい匂いがする木で作るし、水浴びにも湯船を使うに違いない。
(ってことは、王様も湯船に浸かるのかな)
あのたてがみみたいな金髪が濡れるとどうなるんだろう……想像するだけでドキドキした。フワフワな髪の毛もだけど、金色の耳がどうなるのかも見てみたい。それより気になるのは尻尾だ。
獣人には尻尾がある。でも、普段は服の中にあるから見ることができない。アルギュロスさんはもちろん、使用人の人たちの尻尾も見たことがなかった。だからか、とても興味がわく。
(耳が金色ってことは尻尾もきっと金色だよな)
髪の毛みたいにフワフワかもしれない。もしくはモフモフだろうか。どっちにしても絶対に気持ちがいいはずだ。
(……触ってみたい)
牧羊犬の尻尾がモフモフだったのを思い出してニマニマしてしまった。
(いやいや、さすがに王様の尻尾は触ったら駄目でしょ)
そもそも王様には会うことすらない。「こういうのを政略結婚っていうんだな」と、偉い人にもらった本に書いてあったことを思い出した。
政略結婚は会ったことがない貴族や王族の結婚のことだと書いてあった。すぐに「ぼくと王様のことだな」と思った。政略結婚は好き同士での結婚とはいろいろ違う。これからもぼくが王様に会うことはないだろうし尻尾を見ることなんてもっとない。
(一度だけでいいからあの金髪に触ってみたかったなぁ)
フワフワしている金髪にちょっとでいいから触ってみたかった。
(あれに顔を埋めたら絶対に気持ちいいよな)
羊に顔を埋めるのが大好きだったぼくは、羊の白い毛を黄金色に変えて想像してみた。羊の毛はフワフワというよりモフッとしている。でも王様の金髪はフワフワだった。ということは顔を埋めてもフワフワなんだろうか。
「フワフワもいいなぁ……」
「何をしている」
「ひゃっ!?」
突然聞こえて来た声にびっくりした。慌てて目を開けると、頭の上のほうにキラキラしたものが見える。
(まさか)
いまの低い声は王様だ。間違いない。
ぼくは慌てて起き上がろうとした。ところが慌てすぎて湯船の縁に載せていた頭がつるんとすべってしまった。水の中に落ちてしまったぼくはますます慌てた。「うわっ」と声を出してしまったからか口の中に水が入る。それに驚いてますます起き上がれなくなった。
バチャバチャと水の中で暴れていたぼくの手を大きな手がグイッと引っ張った。そのまま湯船の外に出され、木の板にしゃがみ込む。
「ゴホッ、ゴホゴホゴホッ、ゴホッ」
水を少し飲んでしまったせいで咳が止まらない。ゲホゲホしているぼくの耳に「庭先で水浴びとは呑気なものだな」という低い声が聞こえてきた。
(この声はやっぱり……)
ようやく咳が止まった。雫がポタポタ落ちる前髪を指先で絞り、そーっと視線を上げる。そこにはフワフワのたてがみみたいな金髪をした王様が立っていた。
(やっぱり王様だ)
日の光を浴びているからか金色の髪が太陽みたいに光っている。そんな頭のてっぺんにある金色の耳もキラキラ眩しい。
(やっぱりかっこいいなぁ)
太陽の光を浴びているからか、部屋で見たときよりも何倍もかっこよく見えた。昔からフワフワだとかモフモフしたものが大好きだったぼくは、あっという間にフワフワな金髪から目が離せなくなった。あんまりにもかっこよくて、ポカンと口を開けたまま見惚れてしまう。
(フワフワだけど、触ったら意外とモフモフかもしれない)
そんなことを思いながらうっとりしていたぼくは、しばらくしてから蜂蜜色の目がじっと見下ろしていることに気がついた。「しまった!」と思い、慌てて視線を逸らしながら「こ、こんにちは」と挨拶する。
(こんにちは……じゃない気がする)
王子様は、きっとこんな間抜けな挨拶はしない。おとーさんのお城にいた人たちは、もっと難しい言葉で挨拶をしていた。
王様を怒らせてしまったかもしれない。どうしようと思いながら、そーっと王様の顔を見る。すると金色の眉毛がググッと寄っているのがわかった。怒っているというより「なんだそれは」と呆れているようにも見える。
(……そっか、こんな格好してるからだ)
しかも頭まで水に入ってしまったから全身ずぶ濡れ状態だ。こんな格好で王様に会うなんて絶対に駄目だ。しかも水浴び用の服は想像していたより透けていて、思ったよりみっともなく見えた。もしかすると、妙に赤っぽい乳首や毛が薄い股間を見られてしまったかもしれない。
(へ、変なものを見せてしまった)
どうかこれ以上股間が見えませんようにと祈りながら木の板の上で正座をした。それから床に手をついて頭を下げる。これが獣人の偉い人に会うときの挨拶だと本に書いてあった。それに、こうすれば透けている股間も胸も見られなくて済む。
遠くで鳥が鳴く声がした。それより近いところでジリジリにもギリギリにも聞こえる虫の声がする。そうした鳴き声は聞こえるけど、王様の声はしない。
水浴び用の服が日に照らされてぬるくなってきた。背中や腕にぴたりと張りついているのが気持ち悪い。
「そんな格好では風邪を引く。着替えるといい」
ようやく聞こえた声に「え?」と思った。顔を上げそうになって、慌てて頭を下げる。上げてもいいと言われるまでは頭を上げないこと。初日に失敗したぼくが最初に覚えたことだ。
それでも気になってウロウロと視線を動かした。頭の少し先に王様の靴が見える。爪先まで綺麗な刺繍が入った靴は、ぼくがいつも履いているものよりずっと大きかった。「やっぱり体が大きいと足も大きいんだなぁ」と思っていると、爪先がくるりと動いて見えなくなった。土や草を踏む音がしたのはほんの少しの間で、すぐに鳥と虫の声だけになる。
顔を上げたぼくは、王様が消えたほうをぼんやりと見た。そうして「王様、怒らなかったな」ということに気がついた。
(やっぱり獣人ってそこまで怖くない気がする)
これで勉強しろと渡された本には“獣人は野蛮で恐ろしい”ということがたくさん書かれていた。これまで人が獣人にどんなことをされてきたのか、どうやって戦ってきたのかもたくさん書いてあった。
偉い人がくれた本だから嘘が書いてあるとは思わない。でも、獣人は本当に怖いだけの人たちなんだろうか。
(いまだって風邪を引かないか心配してくれたし)
王様に言われた言葉を思い返す。ぼくみたいな花嫁で驚いているはずなのに心配してくれるなんて優しい王様だ。
(もしかして、それを言うためにわざわざ庭まで来てくれたとか?)
どうしよう、そうだとしたらちょっとうれしい。てっきり嫌われていると思っていたけど、もしかしたらそこまでじゃないかもしれない。嫌われていないなら、また会えるだろうか。
(また会えるといいなぁ)
今度は話をしてみたい。ぼくが作ったお菓子の感想も聞いてみたい。
(それに名前も聞きたい)
僕はもう一度王様に会うにはどうしたらいいか考えた。いろいろ考えたけど、結局わからなかった。
次の日も王様に会う方法を考えた。考えてはいたけど暑くて段々どうでもよくなってくる。ソファの上でグニャリとしていると、アルギュロスさんが水浴び用の服をいくつも持ってきてくれた。「いつでも水浴びをしていいですよ」と言われ、ちょっと驚きながら「いいんですか?」と聞き返す。
「陛下が、暑さが堪えるなら毎日でも水浴びすればよいと」
「王様が?」
「はい。ですから気にせず水浴びをしてください。ただし、終わったらお風呂に入ること。体を冷やしすぎるのはよくありませんからね」
「これも陛下からの言付けです」とアルギュロスさんが笑った。まさか王様が水浴び用の服まで用意してくれるとは思わなかった。しかもお風呂に入るようにと気にしてくれている。やっぱり王様は優しい人だ、そう思うと顔がニマニマした。
ぼくはこの日から毎日のように庭で水浴びをするようになった。相変わらず水浴び用の服は薄くて透けてしまうけど、色が付いているからか乳首も股間もあまり目立たない。もしかして、あのとき見えたのが王様も気になったんだろうか。
(きっと見えてた……いや、絶対に見えてた)
王様に見られたと思うとやっぱり恥ずかしい。でも、おかげで目立たない服になった。「次に会ったときにお礼、言わないと」と思いながら毎日のように水浴びをしたけど、結局王様に会うことは一度もなかった。
代わりに王様からは冷やした炭酸水やスイカ、それにいつか食べてみたいと思っていた憧れのシャーベットが届くようになった。王様がこんなにもぼくを気にしてくれているんだと思うと、この暑さも段々いいことのように思えてくる。そのうちアルギュロスさんにお願いしなくてもパンやお菓子の材料まで届くようになった。
ぼくが作ったものを王様が食べてくれているのかはわからない。感想を聞いたこともない。でも、きっと食べてくれている。だから材料を届けてくれているに違いない。
(そう考えると、なんだか手紙のやり取りみたいだな)
材料の返事にぼくが作ったパンやお菓子を届けてもらう。その返事にまた材料が届く。ぼくの勝手な想像だけど、そう思うと胸の奥がくすぐったくなった。
(材料と完成したものを交換するなんて、王様はおもしろいこと考えるんだなぁ)
こうして夏の間中、ぼくは王様から届く材料であれこれ作り、完成したものを王様に届けてもらうことを続けた。
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