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第3話 盛夏のこと1
ぼくが獣人の国に来て、もうすぐ三カ月が経つ。
「……暑い」
口に出したらますます暑くなってきた。獣人の国は四季がはっきりしていると本で読んだけど、まさかここまで暑くなるなんて予想外だ。
獣人の国に来たのは春の終わりで、すぐに雨期がやって来た。ぼくが生まれた街にはあそこまでの雨期はない。「毎日雨なんてすごいなぁ」なんて思っているうちに段々と暑くなり、気がつけばすっかり夏になっていた。
(こんなに暑いのに、あんな格好でよく平気だよなぁ)
アルギュロスさんは暑くなっても長袖を着ていた。暑くないのか聞いても「夏用のものなので暑くありませんよ」と言うばかりだ。
(ぼくには長袖なんて絶対に無理だ)
あまりの暑さに袖無しの上着と膝丈のズボンを用意してもらった。本当は上着の前を開いておきたいくらいだけど、さすがにそれは駄目だとぼくでもわかる。仕方がないからちゃんと前部分を重ねて腰紐も結んだ。こうするのが獣人の国の“着物”の着方だと教えてもらったからだ。どうしても暑くて我慢できないときは、ほんの少し重ねた部分を緩めてパタパタと手であおいだりする。
(こんなだらしないのも本当は駄目なんだろうけどさ)
使用人の人たちもみんな長袖だから、袖無しも膝丈ズボンも本当は駄目に違いない。それに王様の奧さんとしてもかっこ悪い気がする。獣人の国に来る前、おとーさんのお城で見たお妃様や王女様たちはみんな綺麗な格好をしていた。いまの自分の格好を見ると「こういうところが平民っぽいんだろうなぁ」と反省する。でも、毎日いやになるくらい暑いんだから許してほしい。
(獣人って暑さに強いのかなぁ。そうだとしたら、うらやましい)
長袖姿でテキパキ動く使用人の人たちを見てそう思った。ぼくもそういう体に生まれたかったなぁなんてため息が出る。こんな小さくて痩せっぽっちなんかじゃなく、もっと大きくて強かったらおかーさんの手伝いもできたのに……そう思うとしょんぼりした。
(いままでこんなふうに考えたことなかったのに)
周りからどんなに“足りない奴”と言われても気にならなかった。そんなことを気にしてもしょうがないと思って自分ができることをしてきた。
それなのに、獣人の国に来てからは「本当にこのままでいいのかなぁ」と思うことばかりだ。役立たずなのに、こんな贅沢三昧でいいのか不安になることもある。“足りない奴”はどこに行っても駄目なような気がして情けなくなってきた。
「うーっ! 暑い! 暇! いろいろ無理!」
「……アカリ様」
暑いからこんな変なことばかり考えるんだ。思わず叫んだら、アルギュロスさんが呆れたような顔でぼくを見た。
「あー……っと、うるさくしてごめんなさい」
「いえ、それはかまいませんが……人には我が国の夏は堪えると聞いたことがありましたが本当のようですね」
「毎日暑くて溶けてしまいそうです」
ソファの上でぐにょりと背もたれにもたれかかるぼくに、アルギュロスさんが「大丈夫ですか?」と心配そうな顔をする。
「大丈夫……のような、駄目なような……ごめんなさい」
「だいぶ堪えていらっしゃるようですね。涼しくなる方法といえば……水浴びでもされますか?」
「水浴び?」
「えぇ。我が国では外で水浴びをするという子どもの遊びがありまして……」
説明の途中で「する! します!」と答えた。勢いよくピョンと立ち上がったぼくに、アルギュロスさんが「やれやれ」といった顔で笑っている。
「では、庭に用意させますので少々お待ちください」
部屋を出て行くアルギュロスさんに「はい!」と元気よく返事をした。さっきまで溶けてしまいそうな状態だったのに、水浴びができると聞いた途端に元気が出てくる。
(獣人の国の水浴びってどんなだろう)
小さい頃はぼくもよく水浴びをしていた。大体は川でやるんだけど、ちょうどいい冷たさと深さのところは大抵取り合いになる。体が小さかったぼくは、いつも足がつく離れた場所で一人で遊んでいた。
(代わりに秘密の場所を見つけたけどね)
それはよく遊びに行っていた森の中で見つけた小さな滝がある川で、森まで来ないみんなは知らない場所だ。秘密の場所なんだと思えば一人きりでも寂しくなかった。
「獣人の人たちも川で水浴びしたりするのかなぁ」なんてあれこれ想像していると、王様くらい大きな体をした獣人が四人庭に姿を現した。四人で担いでいるのは木製の大きな湯船で、それを窓から少し離れたところに置いている。
(……まさか)
思わず目を見開いた。庭で水浴びと言うから、てっきり大きな桶に水を溜めてそれを頭から浴びるものだと思っていた。それなのにとんでもなく大きな湯船が現れた。湯船の周りに次々と木の板が並べられていく。
(湯船も木の板もあんな軽々と運ぶなんて、やっぱり獣人ってすごいんだな)
人が獣人に力で勝てない理由がわかった気がした。窓に近づいて作業を見ていると、今度は長い竹の筒を運び始めた。それを木の湯船の角にはめたかと思えば、竹の筒から勢いよく水が出始める。
「おぉー」
思わず拍手しかけて、そっと手を下ろした。無邪気に喜んでいる場合じゃない。これじゃあキッチンのときと同じだ。今回はアルギュロスさんから言い出したことだけど、こんな大事 になるなら最後まで話を聞くべきだった。
(こういうことをくり返すから、みんなに嫌がられてたんだろうな)
ぼくには同じ年頃の友達がいない。学問所に通っていなかったぼくはみんなの会話に入れず、そもそも話している内容もよくわからなかった。いまの話がどういうことか尋ねても「学がない奴に言っても無駄」と言われ、のけ者にされた。何度も同じことを聞くぼくに呆れたのか、気がつけば一人ぼっちになっていた。
ぼくが同じ失敗をくり返すから、みんなイライラしたんだろう。何度も反省したはずなのに結局同じことをくり返してしまう。そしてここでも同じことをくり返してしまった。
「あの、アルギュロスさん」
失敗したら、まずは謝らないといけない。そう思って庭であれこれ確認していたアルギュロスさんにそっと声をかけた。
「あぁ、もう少々お待ちください。井戸水は溜めてすぐに浴びると冷たすぎますから、少し時間をおいてからのほうがいいですよ」
「用意してくれてありがとうございます。それと、ごめんなさい」
ぼくの言葉に銀色の耳がピクッと動いた。
「なぜ謝るのです?」
「こんな大変なことになるとは思わなくて、本当にごめんなさい」
頭を下げるぼくにアルギュロスさんの返事はない。やっぱり怒っているんだろうか。それとも「こんな奴が花嫁なんて」と呆れているんだろうか。
(ぼくなんかが花嫁で本当にごめんなさい)
こうやって心の中で謝るのは何度目だろう。そう思いながらもう一度「ごめんなさい」と言い、そーっと頭を上げた。てっきり怖い顔をしているものだとばかり思っていたけど、なぜかアルギュロスさんは笑っている。
「あの……?」
「あぁいえ、失礼しました」
「いえ、ぼくが悪いんで……それで、なんで笑ってるんですか?」
「失礼しました」と言いながらも笑っているのが不思議で尋ねると、銀色の耳がまたピクピクと動いた。
「人の国の王族にしては慎ましやかというか素朴というか……あぁ、またもや失礼なことを申し上げてしまいました」
「大丈夫です。それにぼくは、」
平民なんでと言いかけた口を慌てて閉じた。ぼくは獣人の国に来るまでただの平民だった。でも、獣人の国では王子様でいなくちゃいけない。そうするようにと偉い人に何度も言われた。
きっとそうしないと人の国に迷惑がかかるんだろう。それに平民だとわかれば獣人の王様だって怒るはずだ。
(まぁ、もう嫌われてるかもしれないけどさ)
初対面のとき、王様の声は低くて怖かった。きっと失敗したぼくに怒っていたに違いない。できればこれ以上嫌われたくない。もちろん迷惑だってかけたくない。ぼくが頑張ればどうにかできることならどうにかしたい。頑張り屋だと言ってくれたおかーさんの言葉を思い出し、せめて迷惑はかけないようにしなくてはと改めて思った。
「そろそろ水もよさそうですね。アカリ様、こちらをどうぞ」
そう言ってアルギュロスさんが真っ白な服を差し出した。
「これはなんですか?」
「水浴び用の服ですよ」
「え? 水浴び用って、もしかして服を着て水浴びするんですか?」
「もちろんです。……まさか、裸で水浴びをしようと?」
「だって普通は……あー、ええと、」
ぼくの返事にアルギュロスさんの眉間に皺が寄っていく。耳もピクピクして不機嫌そうだ。
「アカリ様は高貴な身分です。高貴な方々は人前で肌を見せてはいけません」
「……はい。あの、服ありがとうございます」
人の国の王族がどんな格好で水浴びをするのか、ぼくは知らない。でも、獣人の国ではこうした服を着て水浴びをするのだろう。それなら断るのはおかしい。「やっぱりもっと本を読まないと駄目だな」と反省したものの、二冊読み終わった本にはそうしたことは書いてなかった。
(獣人が人の国に何をしてきたかってことはたくさん書いてあったけど)
もしかしてほかの本に書いてあるんだろうか。「もっと早く文字が読めればなぁ」と思いながら服を広げる。
「着替えはお一人で大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です」
慌ててそう答えたのは着替えの手伝いを断るためだ。
高貴な人は着替えもお風呂も使用人の人たちに手伝ってもらうのだとアルギュロスさんが教えてくれた。初日にそのことを聞いたぼくは、慌てて一人でできるからと断った。高貴な人じゃないからというのもあったけど、他人にそこまでお世話をされるのは恥ずかしかったからだ。
(たしかにぼくがいつも着てた服とは違ってるけどさ)
それでも教えてもらえば一人で着替えられる。
(ということで、着てみたのはいいんだけど……)
水浴び用だという服は真っ白なうえにとても薄かった。そのせいで乳首とか股間とか、あまり見えてほしくないものがうっすら透けて見えている。
(ぼくの乳首、ほかの人より色が濃いから見えるの嫌なんだよなぁ)
濃いというか、ちょっと赤色が強い。そのことでからかわれたことも一度や二度じゃなかった。逆に股間の毛は薄くて、まるで子どもみたいだとからかわれた。そのことを思い出したぼくは、誰にも見られていないのに左腕で胸を、右手で股間を隠した。
(裾が短いのもなんだかな……)
袖は肘を隠すくらいあるのに、裾は太ももの真ん中あたりまでしかない。上下繋がっているのは普段着ている服と同じで、前開きになっているのを腰紐を結んで閉じるのも同じだ。こうした服は獣人の国に来て初めて着たけど、おとーさんのお城で着せられた王子様の服より着やすくてぼくは好きだ。
それにしても、水浴び用のこれは意味があるんだろうか。こんなに薄いと濡れたときにますます透けそうな気がする。
(まぁ、いっか)
いまはとにかく暑いのをなんとかしたい。ぼくはウキウキしながら大きな木の湯船を覗き込んだ。手を入れるとぬるま湯より少し冷たいくらいで気持ちがいい。
(まだ少し冷たい気もするけど……)
でも気持ちよさそうだ。ちょうど日差しが当たっているから水もすぐにぬるくなるはず。それならと、湯船の縁に足をかけ「えいっ」と勢いよく飛び込んだ。
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