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第2話 晩春のこと2

 王様と初めて顔を合わせてから一カ月が経った。最初は何をやらされるのかわからなくて不安だったけど、暇なこと以外は毎日快適に過ごしている。 (こういうのを至れり尽くせりっていうんだろうなぁ)  ぼくがいる部屋には居間のほかに寝室や風呂場があり、風呂場には立派なトイレまでついていた。居間には大きな暖炉があって、テーブルや椅子も見たことがないほど立派なものだ。生まれ育った家より広くて綺麗な部屋に不自由も不満もない。部屋の前には広い庭もあるし、遠くには山も見える。でも、それだけだ。 「ひーまーだーなー」  つい、そんな言葉が出てしまった。だって、いくら快適でも部屋の中ばかりじゃ飽きてしまう。 (まさかご飯も部屋の中でだなんて思わなかったもんなぁ)  ご飯は一日三食で獣人の使用人が部屋まで運んでくれる。掃除も洗濯も使用人の人たちがしてくれた。ぼくがやることといえば食べたり寝たりするくらいで、贅沢だとは思うけどすぐに飽きてしまった。  家にいたときは料理をしたり羊と遊んだり、山に入って季節の果物や木の実を採ったりしていた。毎日体を動かしていたのに、ここではやることが何もない。 (だから、つい我が儘を言ってしまったっていうか……)  部屋の片隅を見るたびに「うわぁ」と思ってまた反省した。居間の片隅には、こぢんまりとしながらも立派なキッチンがある。でも、元々この部屋にあったものじゃない。  毎日退屈で仕方がなかったぼくは、ある日「不自由はないですか?」と犬耳の人に尋ねられて「キッチンとかあったらよかったんですけど」なんて答えてしまった。別に心からそう思っていたわけじゃない。ないのが不自由だと思ったわけでもない。それでもつい口にしてしまったのは毎日暇で暇でどうしようもなかったからだ。 (外に出たいって言っても駄目だって言われるし、それなら部屋の中でできることを探すしかないでしょ)  得意というほどではないけど、ぼくはパンやお菓子を作るのが好きだ。おかーさんもじいちゃんもおいしいと言って笑顔で食べてくれた。お裾分けした近所の人たちも喜んでくれた。  みんなに喜んでもらえるのがうれしくて、ぼくは毎日のように何かしら作っていた。それなのにここに来てから何も作っていない。無性に何か作りたくなっていたこともあって、つい「キッチンがほしい」なんてことを言ってしまった。 (だって、まさか部屋の中にキッチンを作るなんて思わないからさ)  うまくいけばキッチンに行くことができるかもしれない、なんて期待もあった。毎日は無理でもたまに何か作れればいい。なにより部屋から出られればそれだけで気分転換になる。  そう思っただけなのに、話をした翌日には工事をするための獣人が何人も部屋にやって来た。そうして半日もしないうちにキッチンができあがった。 「使い勝手が悪いようでしたらおっしゃってください」  そう言った犬耳の人――アルギュロスさんに、ぼくは慌てて首を横に振った。 (オーブンまでついてるなんて贅沢すぎでしょ)  何を作りたいか聞かれたときパンやお菓子を作りたいとは言った。だからオーブンなんだろうけど、家にあったものより立派でますます申し訳なくなる。 (おかげでパンもお菓子も作れるようにはなったけどさ)  材料もアルギュロスさんに言えば用意してくれる。ぼくに跪くように言ったときのアルギュロスさんは少し怖かったけど、食材の話をするようになってからはそんなふうに思うこともなくなった。いまでは一日一回部屋にやって来るアルギュロスさんと話をするのが楽しみなくらいだ。 (全身銀色でちょっと冷たい感じはするけど、話したらけっこういい人なんだよね)  そういえば“アルギュロス”というのは獣人の古い言葉で“銀色”という意味らしい。いまはぼくたちと同じ言葉を話す獣人だけど、昔は獣人だけが使う言葉があったんだそうだ。この国ではそうした古い言葉を名前に付けるのだと教えてくれた。  アルギュロスさんは名前のとおり銀色の耳をしている。少し長い髪の毛は銀色に青色を混ぜたような色で、目は薄い青色だ。だけど肌の色はぼくよりずっと濃い。 (話には聞いてたけど、本当にみんな肌の色が濃いんだな)  獣人はぼくたちよりずっと濃い肌の色をしている。これは人の国でもよく知られていることだ。それでもぼくが住んでいた街には獣人がいなかったから、初めて見たときは少しだけ驚いた。 (王様はアルギュロスさんより少し薄かったかな)  一度しか見ていない王様の顔を思い浮かべる。肌はアルギュロスさんより薄かったけど、ぼくよりは濃かった。それよりも印象に残っているのは黄金色のたてがみ……のような髪の毛だ。フワフワの金髪に金色の耳、それに蜂蜜色の目だからか全身がキラキラ光っているように見えた。まるで太陽のような姿はまさに王様という感じがする。 (そういえば王様の名前、なんていうんだろう)  あれから一度も会っていないから名前を聞くこともできないままだ。 (まぁ、王様がぼくに会いに来ることはないだろうけどさ)  ぼくが王様の立場でも男の花嫁にわざわざ会いに行こうとは思わない。だから会いに来なくても変だとは思わなかった。 (いくら条件に合う子どもがほかにいなかったからって、これはないよなぁ)  人の国と獣人の国は長い間戦争をしていた。長い長い戦争が終わったのは二十年ほど前で、その後も国境付近では小さな争いが続いていたらしい。  そんな状況を変えるために人の国と獣人の国の王様が話し合い、王族同士で婚姻関係を結ぶことになった。まずは、まだ奥さんがいない獣人の王様に人の王様の子どもが嫁ぐ。そして生まれた子どもが次の獣人の王様になるか、王女様なら人の国の花嫁になる。ぼくの後も人の国から獣人の国に花嫁がやって来る話になっていると聞いた。そうやって何度もお互いの国の王族同士で結婚し、二つの国が親戚になれば戦争は起きないのだと偉い人が説明してくれた。  獣人の王様は、花嫁の条件を二つ出したそうだ。 “年は十五、六歳で紫眼の王族であること。健康であり従順であること”  この条件に近い王様の子どもはぼくしかいなかった。王様には二十人くらい子どもがいるのに、ぼくのすぐ上は二十一歳の王子様で、すぐ下は十歳の王女様だった。さすがに十歳の女の子を花嫁にすることはできないからぼくに白羽の矢が立ったというわけだ。 (おとーさんも、もう少し万遍なく子どもを作っておけばよかったのにね)  おかげでぼくが獣人の国に来ることになった。この話を聞いたとき、ぼくはなんてついていないんだろうと思った。でも、本当についていないのは獣人の王様のほうだ。 (いくら性別を書かなかったからって、さすがにぼくなんかじゃ嫌だよなぁ)  せめてほかの王子様みたいにキラキラだったらよかったのにと思いながら自分の体を見る。  ぼくはこの夏、十八歳になる。それなのに小柄だからか十五、六歳にしか見えない。原因は生まれてすぐに|患《わずら》った高熱だろうとお医者様に言われた。  ぼくは一歳のとき、とんでもない高熱を出したんだそうだ。あまりにひどい熱で、おかーさんはそのまま死んでしまうに違いないと覚悟した。ところが十日を過ぎたあたりから熱が下がり始め、なんとか生き延びることができた。代わりに少しずつ何かが欠けてしまった。  一つは大きくならない体だ。同い年の子たちより背が低く、いくら食べても大きくならない。体も細くて力仕事にも向いていない。  二つ目は言葉を話し始めるのがとても遅かったことだ。ぼくが言葉らしいものを口にしたのは五歳になってからだったと聞いている。そのせいか文字を覚えるのも苦手で、学問所に通うことは早々に諦めた。  こんなぼくのことを同じ年頃の子たちは「足りない奴」と呼んだ。背が足りない、言葉が足りない、学が足りない、いろんなものが足りない。だから「足りない奴」と言うわけだ。  ぼく自身もそれは間違っていないと思っている。だからといって困っているわけじゃない。勉強はできなくてもパンやお菓子は作れるし、食べた人たちはみんなおいしいと笑顔を浮かべてくれる。それだけでぼくは満足だ。  そんな学がない平民だったぼくを奧さんにすることになったなんて、獣人の王様は本当にかわいそうだと思う。あと何年か待てるなら十歳の王女様が花嫁になれたのに、それじゃあ駄目だったんだろうか。そんなことを考えながら、昨日作ったクッキーをポリポリとかじった。 (そういえば王様、ぼくが作ったお菓子食べてくれたかなぁ)  キッチンを用意してくれたお礼に、ぼくは作ったパンやお菓子を獣人の人たちにお裾分けすることにした。最初に渡したのは我が儘を聞いてくれたアルギュロスさんで、ご飯を運んでくれたり掃除をしてくれたりする使用人の人たちにも配った。  初めて渡したとき、使用人の人たちは変な顔をしていた。きっと王子様のくせに何をやっているんだと思ったんだろう。それとも人が作った物は食べたくなかったんだろうか。 (戦争してた相手の作ったものなんて、普通は食べたくないか)  それでもぼくは「どうぞ」と渡し続けた。食べた人に「おいしかったよ」と言ってほしくて渡していたところもある。  そうやって何度も渡していたからか、いまではみんな受け取ってくれるようになった。中には味の感想を教えてくれる人もいる。「猫族はこれこれこういう味が好きですよ」だとか「兎族はこういう硬さが好みなんです」だとか親切に教えてくれる人もいた。  お裾分けはアルギュロスさんを通じて王様にも届けてもらっている。アルギュロスさんは王様の片腕と言われている人で、いまはぼくの教育係なんだそうだ。だから王様には毎日会うのだと聞いて、お裾分けを届けてもらうことにした。半分はキッチンや豪華な部屋のお礼で、残り半分は花嫁がぼくみたいな奴でごめんなさいというお詫びだ。  アルギュロスさんは食べてくれているみたいだけれど、王様が食べているかはわからない。それでもいいやと思って毎回王様の分も渡している。 (いつか王様に感想を聞けるといいなぁとは思ってるけど、そんな日は来ないんだろうな)  そんなことを思いながら今日もキッチンに立つ。 「さぁて、今日は何を作ろうかな」  最初は暇潰しで始めたことでも、いまではみんなに食べてもらえるからかやる気が出た。それに誰かのためだと思うと作りがいもあるし、なにより作っていて楽しい。袖をまくり上げながら仕込んであるものをあれこれ思い浮かべた。 (パン生地は昨日仕込んだものがあるけど……)  ちょうど発酵も済んでいるしパンがいいかもしれない。それならドライフルーツを入れたパンにしようか。でも、獣人の国にどんなドライフルーツがあるのかわからない。 (アルギュロスさんに聞いてみるか)  アルギュロスさんが部屋に来るのは午後になってからだ。つまり、それまではまた暇になるということだ。 (……本でも読むかな)  本のことを考えると少しだけ憂鬱になる。長い時間文字を読むのはぼくにとってそれなりに苦痛で、それでも読もうと思うのは獣人のことが書かれた本だからだ。  ぼくは獣人のことも獣人の国のこともよく知らない。いままではそれでよかったけど、ぼくは獣人の王様の奧さんになった。何も知らないままでいいはずがない。「アカリのいいところは素直で頑張り屋さんなところよ」と言ってくれたおかーさんの言葉を思い出し、「よし」と本を取り出す。  ぼくがお城に行く前、おかーさんは泣きそうなのをごまかすように無理やり笑っていた。笑いながら「アカリはきっと幸せになるわ」と言ってくれた。だから、ぼくはここで幸せにならなくちゃいけない。幸せになったから安心してと、いつかおかーさんに手紙を書こうと思っている。そのためにも、もらった本をきちんと読まなくては。 (本で勉強したら、いつか王様と話せる日が来るかなぁ)  金色の王様を思い出しながら、しおりを挟んだページを開く。そうして文字を指で追いながらゆっくりと読み進めた。こうしてぼくは今日も本を読んだりパンを焼いたりして一日を過ごした。

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