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第10話 雨季から真冬にかけての王様のこと2
秋になると収穫祭で国中が賑わう。この時期は採れる野菜や果物の種類も豊富で、一年でもっとも活気あふれる季節でもあった。今年はとくに豊作だからか、目の前の籠にはあふれんばかりの果物が積み上がっている。
(そういえば人の国にはおもしろい菓子があったな)
メリが以前寄越してきた菓子の絵を思い出した。蜜がけされた果実が山のように載ったあれば……たしかタルトと言っただろうか。ああした菓子は我が国にはない。だからあの人質は自国のものが懐かしくてパンだの菓子だのを作っているのだろう。届いたパンや菓子を何度か食べてみたが悪くない味だった。
(祖国の菓子が懐かしい、か)
あの男は平民でしかない自分が獣人の王に嫁ぐことになるとは夢にも思っていなかったはずだ。父親が古狸だったせいで人質にされてしまったのだと考えると、憐れな男だと不憫になる。そう感じたからか、祖国の菓子を味わわせてやろうという気になった。そこでメリに命じて人の国の菓子職人を呼び寄せることにした。そうしてやって来た職人に人の国で流行っている菓子を作るよう命じた。
「人質の様子はどうだ?」
久しぶりに祖国の菓子を食べて満足しただろうか。そう思いながらアルギュロスに様子を尋ねる。
「それが……」
ところが返ってきた内容は「食欲がなくなっているようでして」という予想していなかったものだった。
(なぜ食事をしない?)
夏なら暑さのせいで食欲が落ちるのもわかる。秋になってからは驚くほど食べるようになったと聞いていた。ところがまた食事を取らなくなったのだという。しかも菓子すら残すらしい。
はじめは貧弱な人ゆえのことだろうと思っていた。しかし何日も続いていると聞くと段々気になってくる。夏に見た貧弱な体を思い出し、「あれで冬を乗り切れるのか?」と眉をひそめた。
(あんな子どものような体ではすぐに風邪を引いてしまうだろう)
そのうえ、こじらせでもすれば死んでしまうかもしれない。
(病を侮ってはいけない)
病で死んだ両親を思い出した。だからか、気がつけば人質の体調が気になって仕方がなくなった。
(食べるためには、まず体を動かすべきだ)
アルギュロスの報告では日がな一日暖炉の前にいるのだという。理由は寒いからだそうだが、それでは本格的な冬になったときにどうするつもりなのだろうか。
(人は弱い生き物だ)
そのくせ我らに刃向かおうとする。それどころか恐ろしいことまでやってのけていた。数十年前には捕まえた獣人を奴隷として扱っていたほどだ。家畜のように首輪や足輪を付けられ、言うことを聞かなければ鞭で打たれる。兎族や猫族など見目のいい者は性奴隷として扱われてもいた。そうした歴史を俺たちが忘れることはない。
(人ごときが)
普段は表に出ない牙が疼いた。戦争が終わったとしても受けた傷は決して消えない。それなのに、あの人質に対しては憐れな気持ちが先立った。
(あれはまだ子どもだ。何も知らない子どもに罪はない)
気がつけば人質の部屋の前にいた。どうしたものかと迷ったのは一瞬で、音を立てないように扉を開けて部屋に入る。
(……なんだあれは)
暖炉の前で布が丸まっている。アルギュロスから聞いてはいたが、本当にそんな格好をしていたとは呆れて物が言えない。
(あれでは丸きり子どもではないか)
そう思ったからか呆れつつもほんの少し苦笑が漏れた。
「そんなに着込んでいるのに、まだ寒いのか?」
振り返った人質は驚いたように目を見開いた。その顔は子どもそのものだ。怯えさせないようにと思いながらいくつか問いかけてみたものの反応がない。
やはり怯えさせたのかと思い、その日はそのまま部屋を出た。それでも気になり三日に一度様子を見に行くことにした。そのたびに人質は俺を呆けたような目で俺を見る。しかも顔を真っ赤にまでしている。
「おい、聞いているのか?」
気がつけば頭に触れていた。
(小さいな)
俺の手にすっぽり収まる大きさだ。それに闇夜のような黒髪は思っていたより手触りがいい。毛繕いするにも気持ちよさそうだ。
(待て、俺はいま何を思った……?)
頭に浮かんだことに驚いた俺は慌てて手を離した。そんな俺を呆けたように見ている人質の顔がますます真っ赤になる。暖炉の前ではあるが、それにしても赤すぎやしないだろうか。
(まるでりんごのような頬だな)
触れば柔らかいのだろうか。それともりんごのように甘いのだろうか。
(……俺は何を)
人相手に何を考えているのだと我に返った。しかも相手は古狸そっくりの紫眼をした人質だ。この目を見るたびに食えない男の嫌な顔が思い浮かぶというのに、人質の眼差しがあまりに純粋だからか戸惑ってしまった。
「寒い冬を乗り切るためにも、まずはちゃんと食事をすることだ」
そう言ってから部屋を出た。廊下を歩きながら頭に触れていた手のひらを見る。なぜかあの黒髪を心地よいと思ってしまった。あのまま放置してはいけない気がした。
(……王妃の部屋を早く整えるか)
夏の暑さだけでなく冬の寒さ対策も必要そうだ。そんなことをあれこれ考えながら自室に戻った。
こうして王妃の部屋を本格的に作り替え始めたが、整え終わる前に本格的な冬になってしまった。相変わらず食が進まない人質の様子を聞き、居間にはもっと日の光が入るほうがいいのではと考える。
(少し部屋の様子を見ておくか)
執務を終え、王妃の部屋に向かった。家具は人質の体に合わせたものに入れ替え、壁紙も明るめの色にした。窓から見える庭にははじめから水浴び場も作ってある。これなら夏が暑いと騒いでも問題ないだろう。
(いや、本来なら外での水浴びなどやめさせるべきだろうが)
成人した大人がすることではない。水浴びをしていた人質の様子を思い出すと眉が寄る。頭に浮かんだのはみっともないという言葉ではなく貧弱な体だった。
(やはりもう少し肉をつけたほうがいいな)
あれで夏も冬も乗り切れるとは思えない。掴んだ腕の感触を思い出すと、ますますそう思った。それに肉がついたほうが抱き心地もよく……。
(……抱き心地?)
何を考えているんだ。さらに眉間に皺が寄る。
「そんな恐ろしい顔をして、いかがされましたか?」
家具を確認していたアルギュロスが俺を見ながらそんなことを口にした。周囲にいた使用人たちは一瞬怯えた表情を浮かべ、そそくさと部屋を出て行く。
「なんでもない」
「陛下にとって初めてのつがいですからね。あれこれ心配されるのはよくわかります」
「うるさいぞ」
「これは失礼いたしました。ですがわざわざ部屋の様子を見にいらっしゃったということは、そういうことかと思いまして」
笑いながら言葉を続けるアルギュロスをギロッとひと睨みした。だが、生まれたときからそばにいるアルギュロスが怯むことはない。
「わたしも十年前につがいを得たときには心躍るような気持ちでした。陛下もてっきりそうなのかと」
五歳年上のアルギュロスは十年前につがいを得て七人の子をもうけている。そういうこともあってか、ことあるごとにつがいのよさを口にしていた。それを鬱陶しいと思わないのはアルギュロスを兄のように感じているからだろう。
「あれは人だぞ?」
「アカリ様は陛下に想いを寄せていらっしゃるようですよ」
「……は?」
「きちんとお話されてはいかがですか?」
「あれとか?」
「案外楽しいかもしれませんよ?」
「……人と何を話せというんだ」
「パンやお菓子をもらったではありませんか」
「味は悪くなかった」
「それはアカリ様に直接おっしゃってください」
アルギュロスはなおも笑っている。
「しかし、俺が近づいては怯えるだろう」
「アカリ様が獣人を怖がることはありません。王城にいらっしゃらなかったのが幸いしたのでしょう」
「なるほどな。向こうの王城には屈強な獣人ばかり送っている。あれを見ていれば俺を見た途端に肝を潰しただろう」
「メリ様の報告書どおりであれば、アカリ様はお母上の故郷である小さな街でお育ちになったはずです。位置的に街に獣人はいなかったでしょうね」
「それがよかったと言いたいのか?」
「獅子王を恐れない人など珍しいじゃありませんか」
またもやアルギュロスが笑った。その様子にため息をつきながら寝室を見回す。家具も壁紙も変えたからか、母上のときとは別の部屋のように見えた。まるで子どものままごとのように見えなくもないが、あの人質にはこうした部屋が似合うだろう。
「あれをつがいにするかは別だ。だが、話してみることにしよう」
「フリソス様、そこは素直に話してみたいとおっしゃったほうが」
「うるさい」
俺は人質と話をすることにした。会話らしいものにはならなかったが、なるほど態度も表情も裏表があるようには見えない。王族らしからぬ話し方も雰囲気も、やはり市中で育ったからなのだろう。古狸にそっくりの瞳ではあるものの、それもすぐに気にならなくなった。
(まぁ、悪くはないか)
気がつけば人質と……アカリと話す時間を悪くないと思うようになっていた。貴族や親族と話すときのような緊張感や裏を読まなくてもいいからか気持ちが楽でいられる。それに獅子王ではなく俺自身を見る眼差しも悪くない。
(つがい、か)
気がつけばそんなことを考えるようになっていた。両親は俺以外の子を残さなかった。そのため純血の獅子族は俺しかいない。従弟のメリは獅子族ではあるものの四分の一しか血を受け継いでいない。俺が小さいとき十数人いた純血は両親と同じ病で死んでしまった。あの病は純血の獅子族がかかるものだったのだろう。
人は獣の血を引いていないため、俺の子をあの人質が生めば純血の獅子族が生まれる。そういう意味ではたしかに最適な相手だ。
(つがいか)
真っ赤な顔で俺を見る人質を思い出した。あんな顔を見せられれば、さすがの俺も好かれているということはわかる。なぜ好かれたのかはわからないが、あの眼差しで見られるのは悪くない。あの紫眼が俺だけを見るのだと思うと心地よささえ感じた。
(人のつがいか)
人をつがいにするとはどういう感じなのだろうか。遠い昔は獣人と人のつがいも多くいたと聞いている。いまでも数は少ないがいないわけではない。
「それなら、なくはないか」
俺は大急ぎで王妃の部屋の準備を進めることにした。入れ替えようと考えていた小さなベッドをやめ、俺が使っているものと同じ大きさのものを用意するように命じる。そうしなければ俺の重さに耐えられないからだ。服もたっぷり用意させた。あれだけ用意すれば寒くはないだろう。そうしてすべての準備を整えたところでアカリの部屋に行った。
久しぶりに見るアカリはさらに痩せていた。分厚い服を着ているからわかりにくいが、袖から覗く手首は掴んだときより細くなっているように見える。
(食事を一緒に取ることにするか)
そうすれば直接様子を見ることができる。何が好きでどんなものなら食べられそうかもわかるだろう。そんなことを考えていたところでとんでもないことを言われ、一瞬我を失いかけた。
「ぼくに、家をください」
聞いた途端に頭がカッとなった。家をくれというのは城を出たいということだ。つまり離縁したいということでもある。
(何を言っている……?)
アカリは妃ではあるが名目上でしかない。肌を触れ合わせるどころか口づけさえしたことがなかった。
(すべてこれからだというのに離縁したいと言うのか……?)
目の前が真っ赤になった。気がつけば怯えるアカリを肩に担ぎ自室へと向かっていた。離縁などさせてたまるか。おまえは俺の妃だ。ムカムカとした気持ちのままベッドに放り投げた。
俺が与えたマントから小柄な体が這い出した。怯えた顔で俺を見ながら尻を半分さらけ出すとはどういうことだ。
「誘っているのか?」
自分の言葉にカッとなった。やはり人を信じるべきではなかった。アカリもほかの輩と同じだった。それに離縁を言い出すなど獅子王たる俺に恥をかかせるつもりか。
怒りが沸々とわき上がってくる。どうしてくれようとアカリを見下ろした。
(人など……人の分際で……)
違う、そうではない。おまえは俺のものだ。それなのに、なぜ俺から逃げようとする。
「おまえは……!」
気がつけば噛みつくように口づけていた。
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