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番外編 パティシエと獣人のこと1

「だから、毎日毎日厨房に来てんじゃねぇよ」 「えー、だって厨房以外で会ってくれないでしょ?」 「会わなくても問題ねぇだろうが」 「大問題ですー。大好きなシロウに会えないなんて、俺、干からびちゃうからね?」  そんなことを言いながらやたら整った顔がニコッと笑った。背中に獣人シェフたちの生温かい視線を感じてため息が漏れる。このことで無視されたり邪険にされたりすることはないが、居心地が悪いのは変わらない。  俺が獣人の王城に来てから七カ月が経った。もともとは人の王城で働いていた下っ端パティシエだったが、七カ月前に獣人の王城の厨房に転職することになりここに来た。といっても自分から願ったわけじゃない。獣人側に指名されたことと、向こうの居心地が悪すぎて嫌になっていたからだ。同僚たちは内心厄介払いできたと喜んでいたことだろう。 (……思い出すだけでイラッとする)  同時にズキンと胸が痛んだ。育ての親でもあった師匠の寂しそうな顔を思い出すと複雑な気分になる。それをごまかすようにニコニコ笑っている獣人にボウルを差し出した。 「ほら、これ。どうせ王子様ンところに行くんだろ? ついでに持っていけ」 「なに?」 「王子様が干しイチジクとレーズンがほしいとおっしゃったらしい。たぶんこれで問題ないはずだから持っていけ」 「了解~。お使い終わったら、また来るね」 「来なくていい」  俺の返事に「あはは」と笑いながら、厨房にふさわしくない格好をした獣人が出て行った。 (あれで王子様なんて、獣人の国はどうなってんだかな)  人の国では王族が下っ端パティシエなんかに話しかけたりはしない。そもそも厨房に来るなんてことは絶対になかった。それなのにあいつは毎日のように厨房に来る……俺に会うために。 『あんなポッと出の卑しい孤児が王城にいるなんて』  ふと、前の職場で散々言われてきた言葉を思い出した。俺の師匠は第一級パティシエで、人の王城では厨房のドン、つまり王様だった。腕も面倒見もよくパティシエ以外のシェフたちからも頼られているような人で、王族たちからの信頼も厚かった。そんな師匠は何を血迷ったのか、孤児だった俺を引き取りパティシエとして育てた。  八歳で孤児院から引き取られた俺は師匠の家で修行を積み、十五歳で王城務めを始めた。生きるため、師匠に教わったことはすべて身に着けた。誰にも負けない菓子を作る自信もあれば腕もある。だが、たしかなのは腕だけだった。  厨房とはいえ王城で働き続けるには身分が足りない。いくら師匠の推薦とはいえ、引退間近の師匠の後がまを狙うやつらにとって俺は目障り以外のなにものでもなかったのだろう。 『おまえには獣人の国に行ってもらう』  師匠が王城での最後の仕事を終えた三日後、そう言われた。 (たしかに話を持ちかけられていたとはいえ、あっという間だったな)  いずれ追い出されるとは思っていたが、行き先が獣人の国になるとは想像すらしていなかった。それでも俺は拒否しなかった。する権利もなかった。 (人より獣人のほうがマシかもしれねぇし)  昔は獣人と戦争をしていたかもしれないが、王城にいる獣人たちは人よりマシに見えた。体はでかいが誰彼かまわず暴力を振るうわけでもない。それに比べ人はコソコソと言葉の暴力で人を貶める。俺も随分と勝手なことを言われ続けてきた。 (潮時ってやつだったんだろ)  それに獣人側から提示された給金は王城パティシエよりずっとよかった。俺にそんな金を払うなんてどうかしていると思わなくもないが、俺を指名した獣人――さっきの整った顔の獣人いわく「きみの腕が一番だから」とのことで、そう言われて悪い気はしなかった。 「じゃあ、獣人の国に行かない理由はねぇな」  そう答えた俺に獣人はにっこり微笑んだ。  そういうことで獣人の王城にやって来たわけだが、春になる前あたりから俺を指名した獣人がやたらと厨房に顔を見せるようになった。しばらくして、その獣人が獣人王の従弟でメリという名前だということを知った。 (どうせ興味本位だろうと思ってたのに、案外しぶといな)  春になり、突然厨房に顔を見せるようになったメリは「ねぇ、俺とお付き合いしない?」と口にした。意味がわからなかった。ほとんど初対面だというのに何を言っているんだ。「はぁ?」と眉を寄せる俺に「結婚を前提にお付き合いしてください」と言って右手を差し出してきたが無視した。ところがその後も厨房にやって来ては好きだの結婚しようだの言ってくる。 (獣人ってのはわかんねぇなぁ)  悪いやつじゃないことはわかっている。正面からはっきりものを言うのも好感が持てる。獣人の国のことをあれこれ教えてくれることには感謝もした。 (でも結婚って、何言ってんだかな)  俺が獣人の国に来たのは秋も深まった頃で、気がつけば冬が過ぎ春を迎え、メリのことを若干鬱陶しく思っている間に雨期の時期が近づいていた。人の国にも雨期に似た季節はあるが、獣人の国は比べものにならないほど雨が降るらしい。そう教えてくれたのはメリで、ほかにも春の花祭りや夏の暑さ、秋の収穫祭のことも教えてくれた。わざわざ厨房に来てまで話すことかと呆れたが、メリは変わった王子様に違いない。 (そもそも呼び捨てでいいなんて王子様、ほかにいないだろ)  そんなことを思いながら窓の外を見る。ここ数日は曇天続きで、いよいよ雨期到来といった感じだ。こういう天気なら王子様……こっちは獣人王に嫁いだ人の王子様だが、その菓子好きの王子様でもあっさりした菓子のほうが口に合うだろう。 (といっても冷たい菓子にはまだ早いし……そういえばこっちにはおもしろい菓子があったな)  頭に浮かんだのは、獣人の国で食べられている季節の花を模した菓子だ。甘い餡や餅を練って作る菓子で、今年に入ってから獣人のパティシエに作り方を教わっている。代わりに一晩つき合えと言われ、てっきり酒だと思ったがベッドだったことには驚いた。もちろん丁重に断り、その後は同僚としてのつき合いが続いている。 (王子様もこの国の菓子に興味があるって話だし、ちょっとアレンジした菓子にするか)  そう思い、厨房の隣にある食材庫に行こうと廊下に出たところで足が止まった。 「あいつ、獣人の王族に取り入ってどうするつもりなんだろうな」 「あれだろ、国に帰れないからこっちで相手でも探してってやつだろ」 「そういやあいつ、孤児だって言ってたっけ。でもあいつの師匠ってたしか……」 「去年引退したらしいぜ」 「あぁ、それで後ろ盾がなくなって……」 「向こうの厨房で聞いたんだけどさ、あいつパティシエ連中から嫌われてたらしいじゃんよ? 自分が孤児だってこと忘れてんじゃねぇのかって」 「あぁ、いるよな、そういうやつ。後ろ盾のない孤児なんて、いくら腕がよくても王城で働くなんて無理なのにさ」 「だからって獣人の王族に、しかも男にすり寄るか?」 「獣人って俺たちより体でかいだろ? 見てくれが悪くなけりゃ男でも女に見えるんじゃないか? たしかに顔はいいほうかも知れないけど、あの性格と口の悪さじゃどうなんだって思うけどな」 「どうせ遊びだろ? さすがの獣人でも王族があんな孤児、本気で相手するはずないだろ」 「だな」  厨房や食材庫、休憩所を繋ぐ廊下でそんな話をしていたのは人の国から来たシェフたちだ。パティシエは俺一人だがシェフは五人で、向こうの料理をこっちの料理人たちに教えるために連れて来られたと聞いている。それも年内で終わるらしく、年を越す前に人の国に帰るのだと聞いた。 (シェフってのは腕より口が達者ときてる)  向こうでも似たような感じだった。一番風当たりが強かったのはパティシエ連中だが、シェフたちからも冷たい視線を向けられてきた。誉れ高い王城の厨房に孤児がいるのが許せなかったんだろう。 (俺はただ菓子が作れればそれでいい)  むしろ、それしか俺にできることはない。だが、人の国に帰っても菓子を作る場所はない。料理人の世界は案外狭いもので、一度爪弾きにされるとよほどの田舎でない限り働き口は見つからないのが現状だ。しかし高級菓子専門のパティシエに田舎で働き口が見つかるとは思えない。  それなら獣人の国に居座るほうがマシだ。だから、俺はメリに死ぬまでここで働かせてほしいと頼んだ。メリが獣人王の従弟だと知り、最初にこの話をした。  正直に言えば、獣人は恐ろしい。これは人が持つ本能のようなものだ。戦争中のことは聞いた話でしか知らないが、何も知らない子どもでも獣人の姿を見れば怯え恐れるだろう。それでも俺にはここしかなかった。大好きな菓子を作り続けるには獣人の国に居続けるしかない。師匠に叩き込まれた腕を、菓子のすばらしさを捨てることは俺にはできない。 「シロウって帰る場所がないんだ」 「っ!」  突然耳元で声がして驚いた。振り返ると俺より頭半分大きいメレが厨房に入っていく五人を見ている。 「そっかー、帰れないのか。だからここで働きたいって言ったのか」  シェフたちの後ろ姿を見ていた緑色の目が俺を見た。 「それって、ここに永久就職したいってことだよね?」 「まぁ、それが叶うなら一番だな」 「じゃあさ、俺のお嫁さんにならない?」 「おまえ、またそんなこと言って、」 「それだって永久就職だよ。もちろん菓子職人は続けてほしいと思ってるし、お嫁さんが嫌ならお婿さんでもいいけど」  意味がわからない。パティシエでいられるのは願ったり叶ったりだが、お嫁さんでもお婿さんでもいいっていうのはどういう意味だ。 「なに言ってんのかさっぱりわからねぇんだけど」 「だーかーらー、シロウに結婚を申し込んでるんですー。俺、本気だからね?」 「それは飽きるほど聞いた。じゃなくて、どっちでもいいって……」 「お嫁さんかお婿さんかは体の相性をみて追い追い決めればいいってこと」 「ちょっと待て、ますます意味がわからん」 「突っ込まれるほうがお嫁さんで、突っ込むほうがお婿さんだよ?」 「んなことは知ってる。そこじゃねぇよ。そもそも俺もメリも男だろうが」 「そこは大丈夫。どちらかといえば俺はお婿さん側になりたいけど、そこはシロウに合わせてもいいかなと思ってる」 「突っ込みどころが多すぎだろうが。そもそもなんで俺と結婚したいんだよ。獣人の王子様なんだから同じ獣人と結婚すればいいだろ」 「だって俺、シロウのこと大好きなんだよね。向こうの王城でひと目見たときに“この人だ!”ってピンときたんだ。だから獣人の国に誘ったんだ」 「は?」 「あ、もちろん菓子職人の腕がピカイチってのが最大の理由だよ? そのうえ一目惚れの相手なら国に来てもらうしかないでしょ。俺、結構必死だったんだけどなぁ。それにシロウだって満更じゃないよね?」  ニコッと笑う整った顔から視線を逸らした。 「たしかに言い寄ってるのは俺のほうだけど、シロウだってちょっとはその気、あるでしょ?」 「なに言ってんだ」 「えぇー、だってその気がないならもっとしっかりはっきり断るでしょ? ほら、彼のときみたいに」  そう言ってメリが指さしたのは厨房から休憩所に向かう菓子職人の獣人だった。もしかしてあいつに誘われたことを知っているんだろうか。驚いてメリを見ると相変わらずの笑顔で俺を見ている。 「でも、俺にははっきり拒絶しない」 「いや、やめろって言ってるよな?」 「あはは、照れちゃって。シロウってばかわいいなぁ」 「やかましいわ。都合よく解釈してんじゃねぇよ」 「またまた~。だって、匂いはごまかせないよ?」  そう言ったメリの顔が一気に近づいてきて驚いた。驚きすぎて動けなくなっている俺をよそに、メリが首のあたりをクンと嗅いでいる。視界の隅で茶色の耳がピクピクと動いているのが見えた。 「ほら、どんどんいい匂いがしてくる」  匂いってなんだよ、そう突っ込みたいのにできない。代わりに俺までいい匂いがしているような気がしてきた。俺が匂っているんじゃなくてメリから甘い匂いがする。これは……子どものときに師匠が焼いてくれたパンケーキの匂いだ。甘くてふわっとしていて、そこに垂らす甘くてとろっとした……。 (……蜂蜜の匂いがする)  メリの茶色の髪がふわっと揺れるたびに蜂蜜のような甘い匂いがしていることに気がついた。 「うん、どんどんいい匂いがしてきた」 「……意味わかんねぇ」 「獣人同士ならすぐに気づくんだけどねぇ」  首のあたりを嗅いでいたメリが、そのまま覗き込むように俺を見る。 「結婚したいっていうのは本当だからね」 「冗談だろ」 「やだな、本気だよ? 俺、シロウのことすっごく大事にするから。獣人はね、つがいのことを一番大事にするんだ。あ、つがいっていうのは結婚相手のことなんだけど、人がいうところの結婚相手よりずっとずっと強い繋がりなんだ。俺はシロウとそういうつがいになりたいと思ってる」  覗き込んでいたメリがふわっと笑った。その顔に少なからずドキッとしていると「それにね」と言いながら耳元に顔を寄せてきた。 「すごく大事にする自信もある。心も体もたくさん大事にして、たくさん愛してあげる。だから、つがいになって?」  甘い囁きに、一瞬脳みそが溶けたかと思った。物心ついたときからほしくてほしくて何度も手を伸ばした言葉が、すぐ目の前にある。「誰かに愛してほしい」と子ども心に何度思っただろうと苦い記憶が蘇った。  たしかに俺はメリに言い寄られてもはっきりと拒絶したことがない。言葉では「冗談だろ」と言っているのに態度はメリが指摘するように拒絶とはいえないものだ。どうしてそうしてしまうのか気づいていないわけじゃない。 (目の前にほしいものぶら下げられてりゃ嫌だなんて言えないだろ)  いつも人の裏側ばかり見せられてきた俺にとって、裏表のないメリは眩しかった。同時に惹かれもした。それでもと視線を逸らす。 「ねぇ、シロウ」 「無理だ。そもそもおまえと俺じゃ身分が違いすぎる」  ここは獣人の国で人の国とは違う。だが、獣人でも王族のメリと孤児の俺じゃつり合わない。そもそも獣人と人がつがいとやらになれるとは思えなかった。 (獣人王と王子様みたいな国同士の決め事なら別なんだろうが)  でも俺とメリは違う。まだ何か言いたそうなメリを無視し、俺は足早に食材庫に向かった。

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