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第1話

お隣に住んでいる横田一家の第三子の次男、奏ちゃんはいつだって優しい。 ずっと弟が欲しかったんだって、一つ下の俺をめちゃくちゃ可愛がってくれた。 俺が欲しいものは何でも譲ってくれたし、泣けばなんでも許してくれたし、言うこともなんでも聞いてくれた。 一人っ子の俺は奏ちゃんが大好きだった。 いつもでも後ろをついて回り、奏ちゃんもずっと俺を気にかけてくれた。 高校1年生となったある日、奏ちゃんが俺の知らない女の子と一緒に下校しているところに遭遇した。 「奏ちゃんを盗られる!」 そう思って焦った俺は、禁忌を犯してしまう。 その夜、奏ちゃんの部屋に遊びに言った俺は「奏ちゃんと付き合いたい」とお願いした。 奏ちゃんは少し驚いた後、まるでおもちゃを貸してと言われた時のように「うん、いいよ」とほほ笑んだ。 絶対、「うん、いいよ」と言われると思っていた。 奏ちゃんはいつだって俺に優しいから。 俺は、その優しさに付け込んだ。 とはいえ、俺たちの関係は特に変わることがなく、俺はいつも奏ちゃんの後ろをついて回り、毎日のように部屋に入り浸った。 俺が無理して同じ高校に進学したので、登下校も一緒だ。 変わったことと言えば、俺が「俺以外に恋人を作ったらダメ」という約束を取り付けたくらいだ。 奏ちゃんが「それは当たり前のことだよ。僕の恋人は朔だけだよ」と約束してくれた。 俺の…、ガキの戯言に付き合ってくれる奏ちゃんは、聖人のように優しい。 俺が「別れたい」と言うまで付き合ってくれるし、「別れたい」と言えば「うん、いいよ」と言うだろう。 そう考えると、奏ちゃんを手に入れたというのに心が冷えていく。 虚しい。 ちゃんと終わりにしなきゃって思うのに、奏ちゃんの隣に俺じゃない誰かが立っているのを想像しただけで苦しくなる。 「お前さ、奏二(ソウジ)と付き合ってるってマジ?」 化学室に向かうべく、1人で歩いていると、奏ちゃんと同じ学年の人に声を掛けられた。 よく奏ちゃんと一緒にいるところを見るので、友人だろう。 俺には奏ちゃんしかいない(同級生の友達すら0人)けれど、奏ちゃんは友達が多い。 流石に異性の友達とは絡んでいないようだけれど。 「ええっと…、はい」 それは事実なので、俺は頷いた。 先輩と話すのって緊張する。 「うっわ、マジ?」と、彼は大げさに言ってゲラゲラ笑った。 奏ちゃんは上品に笑うけれど、男子のこういう下品な笑い方、ちょっと苦手だ。 「確かにさぁ、男にしては綺麗な顔だとは思うけど、抱くのは無理だわ」 じろじろと顔を見られる。 あまりいい気持ちはしない。 「抱く?」 ハグとか、抱っことか、そういうこと? それなら奏ちゃんはよくしてくれる。 「え、お前、高校生の癖に知らねぇの? セックスだよ、セックス!」 その単語に俺は思考が停止する。 「セっ…、えっ?」 その単語と、俺と奏ちゃんが結びつかず、混乱した。 でも、そうか。 普通の恋人なら、皆、してるんだよね。 やっぱり、俺と奏ちゃんは本物の恋人ではないんだ。 「やっぱ、流石の奏二でも手は出してねぇか。 お前さ、奏二の優しさに付け込むのは良いけどよ、もう満足したろ? さっさと子守から解放してやれよ。可哀想だろ」 ゲラゲラ笑っていた奏ちゃんの友達が真顔でそう言った。 子守…、解放…? その言葉が頭をぐるぐる回って…、 その先輩がいつの間にかいなくなっていたことも、とっくに予鈴が鳴り終わっていたことも忘れて突っ立っていた。 授業に向かう他の先生に注意されて、俺は慌てて化学室に向かった。 授業は始まっており、先生やクラスメイトから冷めた視線を浴びた。 でも、そんなことは全然気にならなかった。 その日の夜、俺はいつものように奏ちゃんの部屋に向かった。 これが最後になるかもしれない。 今日の俺はちゃんと「別れよう」と言うつもりだった。 だって…、俺は奏ちゃんに幸せになってほしい。 俺の事を内心では鬱陶しいと思っているのなら、離れてあげなきゃいけない。 きっと彼は「うん、いいよ。別れよう」と言うのだろう。 その微笑みにはいつもと違って”喜び”が混じっているかもしれない。 勿論悲しい。 でも、俺は散々、奏ちゃんに良くしてもらった。 もう、奏ちゃんを手放してあげなきゃ。 俺の顔を見るなり、奏ちゃんは「どうしたの?どこか体調でも悪いの?」と心配してくれた。 俺は顔に出やすいのかもしれない。 俺は首を横に振ると、「お願いがある」と言った。 自分でも分かるくらい声が震えている。 「うん?なあに? 朔の言うことは、なんでも叶えてあげる」 と、奏ちゃんは笑う。 「あの…、俺、奏ちゃんと別れたい」 嬉しそうな奏ちゃんの顔を見たくなくて、俺は俯いて言った。 でも、ちゃんと聞こえたはずだ。 はっきりと言うことが出来たんだから。 「…、は?」 信じられないくらい低い声が聞こえて、俺は奏ちゃんを見上げる。 聞こえてなかったんだろうか? 「あの、だから、恋人を解消してほし…」 言い換えて言ってみようとしたところで「黙れ」と鋭い声が飛んだ。 こんな乱暴な言い方…、本当に奏ちゃんの口から出たんだろうか? 俺は信じられないものを見るような目で彼を見る。 奏ちゃんは俺を睨みつけていた。

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