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【前編】涙を流してまで、欲しかった
もう、理性の壁が崩れるのは時間の問題だった。
悠真 と交際を始めて3ヶ月。彼は口でこそ甘い言葉を囁くが、触れるだけのキスや手を握るだけで、それ以上を求めることはなかった。
商夜 はそういった欲が人一倍強いだけに、それはもどかしいどころか──悠真の態度に苛つきさえ感じるほど、健全な付き合いだった。
「…明日、休みだよねぇ?こっち来てよ」
二人でディナーを終えた後。店を出てすぐに商夜にそう尋ねられるも、理由を聞く前に今までにない強い力で腕を引かれた。
悠真は戸惑うも、今は彼の歩みに従うしかない。こんなに力を入れる商夜に抵抗すれば、怪我をさせてしまうかもしれないと知っていたからだ。
─しばらく歩き、辿り着いたのはホテル街。近くを通ることはあれど、世話になったことはない。商夜はそのうちの一つの店舗、紫色にライトアップされたホテルの入り口をくぐると、慣れた様子でパネルを操作する。
何故操作に慣れているのか。それは商夜が昔身体を売っていたからと言う理由に他ならず、その事実は悠真の胸をちくりと刺した。
そして商夜は部屋番号の書かれた紙を取り上げると、早足ですぐさまその部屋へ向かった。
──バタンと、大袈裟に扉を閉じる。鍵がかかる音が聞こえれば、世界から断絶された二人の男はゆっくりと靴を脱ぎ、ベッドルームへ入った。
薄暗く設定された部屋の中。悠真はちゅ、と軽いリップ音を立てて商夜の唇に口付ける。商夜はくすぐったそうに笑うと、悠真の首に抱き付いた。
「ねえ、もっとすれば?」
その笑みは色を変え、今度は挑発的に口端を吊り上げた。悠真はそんな商夜の様子に、ふぅ、とため息を吐くと、わずかに冷たさを感じる、その大きな手で商夜の頬を撫でた。
「…参ったな。大事にしようと思って、我慢してたのに」
言葉こそ荒っぽいが、それでも悠真の視線は柔らかい。煮え切らないような様子の彼に、商夜は我慢ならないとでも言うように自ら唇を重ねた。
そしてそれは段々と、甘く、深く──商夜が悠真から離れれば、二人の間を銀の橋が繋ぎ、ぷつりと途切れた。
「やっぱこういうことってさあ、俺の方が得意…ん、ッ!」
余裕綽々としている商夜の唇が、突如塞がれる。相手はもちろん悠真である。
悠真はそのまま、離さないという意思を見せるように商夜の後頭部に手を回す。その悠真の二枚の肉は、先程とは比べ物にならないくらいに熱く、そして荒々しかった。
その中に秘められた熱い肉塊が、中に入れろと言うように商夜の口唇を這いずる。驚きつつも薄く口を開けば、それがぬめりと中に入ってきた。
商夜の歯列を舐め、舌先を突き、ぴちゃぴちゃと音が鳴るほどに絡められ、まるで口内から侵されているような、犯されているような感覚だった。
息が上手くできない、酸素が回らず頭がクラクラする。その苦しささえも快感に変わりそうになった頃、悠真はやっと商夜を解放した。
呼吸が荒いままの商夜が今感じているのは、乱暴にされた恐怖、ではない。彼に求められた喜びが、胸を満たしていた。
「言っただろ?我慢してたって」
そう吐き捨てるように言った悠真の瞳は、今まで見たこともないくらいに欲を孕んでいた。
本当だった、悠真が我慢していたのは本当だったんだ!
商夜の心の空虚が満たされていく。
今まで悠真が俺に手を出さなかったのは、俺に魅力がないからじゃなかった。
無意識のうちに感じていた不安が解けていく感覚に、不思議と鼻の奥がツンとした。気付けば、両の眼からは涙がはらはらと流れていた。
「っ、商夜、大丈夫かい?苦しかった?怖かった?」
パチンと催眠が解けたかの如く、悠真が心配そうに商夜の顔を覗き込む。悠真の袖の裾でどれだけ涙を拭っても、それは止めどなく溢れてきた。
喉の奥がギュッと締まり、うまく言葉が出ない。
「いや、あのさ?違くて…その…ッおれに、おれに魅力がないから、はるま、何もしないのかな…って…思ってたから……」
だから嬉しくて、と途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
悠真はそんな商夜を心底愛おしそうに見守り、言葉が途切れた瞬間に強く抱きしめた。
「はは…君って男は、本当に手がかかる。そんなところも愛してるけどね。魅力的すぎるから、抑えが効かなくなったらどうしようと思ってた。本当に、それだけだよ」
諭すように告げる悠真。腕の中の商夜の頭を優しく撫でれば、商夜もこくりと頷いた。
そして、充血した赤い目で悠真を見上げる。きっと今日顔を合わせたその瞬間から、彼の決意は揺らいでいないのだろう。しっかりと、それでも熱っぽい瞳に悠真を映しながら、商夜は尋ねる。
「じゃあ、今日は?今日は…シて、くれんの?」
熱に浮かされたような台詞、擦って赤くなってしまった目元。悠真は必死に理性と本能との間で戦う。
こんなに泣かせた後にしてもいいのか、それでも商夜は行為を望んでいる。…いや、そんなことよりも。
「…もちろんだよ」
初めて見る商夜の泣き顔に、悠真の下半身はずしりと疼いて堪らなかった。
悠真は商夜の頬をまだ濡らす涙を舐め取り、それから商夜を軽々と抱き上げる。口の中に残る塩味さえも愛おしかった。
そして商夜を優しくベッドに横たえると、己のスーツのジャケットを乱暴に脱いだ。
「おまえ、それ高いんじゃ」
「普通だよ。それよりほら、邪魔なものは取り払わないと…いい子は自分でできるかな?」
商夜は正直、動揺していた。今まで男女問わずいろんな人間と行為を重ねたことはあれど、いつも自分の方が優位に立っていた。しかし今は違う。
先程のキスで、溢れた感情で、悠真に逆らうことができない。いつものように強気で攻めてしまえばいいのに、何故か悠真の言葉に従わなければという気持ちになってくる。
…それどころか。もっと支配されたいという感情さえ、湧き上がってくるようだった。
「…どうしたの、脱げない?」
悠真は声音こそ優しいが、表情には僅かに焦りが見え、身体の芯で炎を燻らせている。動揺のままに視線を右往左往とさせていれば、悠真がトップスの上から身体に触れてきた。
「脱ぎたくないみたいだね。最初だし、普通にしようと思っていたけれど…このまましてみようか」
ニタリ、という音が似合うほど、悠真の口が弧を描く。
待って、と制止する手よりも早く、悠真は商夜の首筋に顔を埋めた。ちゅ、ちゅ、と触れるだけのキスを何度も繰り返したかと思えば、濡れた舌で首筋をじっとりと舐め上げる時もある。
その緩急に、感じたことのない快感を覚え始めた商夜の口から、「ァ、」と小さく声が漏れた。
「あ、悠真…っそれやだ、ちょっと、くすぐったい…!」
これが快感だということを商夜はまだ知らず、「くすぐったい」という言葉で表現するのが精一杯だった。悠真はそれを見透かしているかのようにまたねっとりと同じ場所に舌を這わす。
「くすぐったい、か。間違ってないけど…本当は、こう言うんだよ」
可笑しいとでも言うようにくすりと笑った悠真は、それから商夜の耳に唇を寄せ、囁いた。
──気持ちいい、って。言ってごらん?
そのまま耳の縁を舐められる商夜。びくりと震えた身体を休ませる隙もなく、悠真の手のひらが、服の上から優しく身体を撫でた。
「気持ちいい、気持ちいいね…ほら、言葉にしてみて」
耳の縁から、またはその奥から、ずるりと舌が蠢く音と水音が聞こえる。服の上から弄られた身体は、触れられる優しさとは裏腹にだんだんと発熱し始めた。
「ん、んん…っあ、ぅ…」
それでも商夜は、ふるふると身体を震わせるだけでその言葉を口にしようとはしない。商夜の中にはいまだ僅かなプライドが残っており、そう言葉にすれば完全に立場が逆転してしまうと思っているのだ。
─それでも。悠真の舌は相変わらず商夜の耳を蹂躙し、悠真の手は容赦なく商夜の身体を弄り、胸の頂に触れようとしてはまた離れ、もうそそり立つそこにデニム越しに触れようとしてはまた離れ───言わないと、触ってあげない。そう言われているようだった。
悠真は決して清廉潔白な男ではない。商夜に求められれば与えるし、同じ目線で世界を見る誠実さこそ持っているものの、こと自分の欲望については、とことん忠実であった。
今悠真が考えていることはただ一つ、商夜に初めての感覚を与えてやりたい。できることなら、このまま壊してしまいたい。最も、行為に及んだ時に自分がそうなることは想像に難くなかった。
だから我慢していたというのに、商夜があまりにも扇情的な泣き顔なんて見せるから。
「…お利口さんにしていれば、ちゃんともっと気持ち良くしてあげたのにな。知らないよ、君が悪いんだから」
悠真は手を止め、商夜の鼻先にキスを一つ落とす。そして──薄いトップスの上から、そっと彼の乳輪を撫でた。
「ん、っ!?なに、これ…」
ひとひらの花弁でも愛でるように、そっと、そっと。商夜がひくりと身体を震わせても、悠真はそれをやめない。次第にその頂が、ぷくりと膨らんで主張し始めた。
「ぁう、う、…ッぞわぞわ、する」
商夜の息が僅かに荒れ始める。それでも彼は核心に至る言葉は発しない。悠真はその膨らみを指の腹で撫でて、押して、時に引っ掻いて優しく虐める。
「ぞわぞわする、じゃなくて、何だった?」
そう言いながらもう片方の胸へと手を伸ばすと、同じように膨らんだそこを、今度はぐりぐりと指で潰した。
「ひァあっ…!あ、悠真、それ、なんかぁ…っ」
「なんか、何?」
溢れ出る苦しそうな喘ぎに、悠真は甘い期待とともに次の言葉を求める。それでも商夜は、下唇を噛んで頑なに耐えていた。
「あぁ…それとも、ここでは感じたことがないのかな。それじゃあ教えてやらなきゃね」
幼な子を愛でるように、悠真が微笑む。しかし次の瞬間には、その微笑みからは想像できないほど乱暴に、商夜の服をたくし上げていた。
「や、なにするん、っあ、はぁ…っ!はる、はるま、」
剥き出しにされたその突起に、悠真はむしゃぶりつく。
先程のような優しさはかけらも感じられないほどに激しく舐り、舌先で扱く。もちろんもう片方を放っておくわけもなく、爪の先で弾いて摘んで──まるで、感覚を鋭くさせるかのように。
商夜は身体をビクビクと跳ねさせ、次第に腰が浮いていく。
「ごめ、ごめん、っなさい!いう、言うからぁっ」
息も絶え絶えになったその声を聞けば、悠真は最後に先端をひと舐めして口を離す。
「…いま、どんな感じがする?」
わざとらしく言葉にした己の顔は、今どれだけ愉悦に歪んでいるだろうか。しかし次に商夜から紡がれる言葉を想像すれば、そんな無駄な疑問は掻き消えた。
「ぅ、っ…きもちい、きもちいい、です…!」
「ん、よくできました。いい子だね」
欲望が、ぐにゃりと歪むのを感じた。
喘がせたい、泣かせたい───壊したい。
悠真はあくまで表情には出ないようにふわりと微笑むと、商夜の頭をそっと撫で、その唇にキスをする。先ほどのように乱暴ではないその行為に、穏やかな時間が戻ってくるのだと商夜は思った。
──しかしそれも束の間、悠真の手は商夜の頭を離れ、次の目的地へと向かう。そして、呼吸のために開かれた商夜の口の隙間から、舌を無理矢理捩じ込んだ。
蹂躙される商夜の口内は熱く、また悠真の舌も、溶け合いそうなほどに熱かった。
悠真は服の上から、商夜の固くなったそれをすりすりと擦る。
もちろん、それだけでは刺激は足りない───はずだった。
今、商夜の身体はこれ以上ないほどに盛っている。口、胸、精神ですらも、悠真に蹂躙されてしまった。しかも焦らすように、ジリジリと。
火照った身体にはそのデニム越しの刺激ですらあまりに強く──びくん、と。商夜の身体が一際大きく跳ねた。
驚いた悠真が口を離すと、張り詰めていたそこが緩くなっている事に気付く。
「……ぁ、あ、おれ、」
厚いデニムの生地がだんだんと湿っていく。商夜を見れば、放心したように目を伏せていた。
「大丈夫、分かってるよ。気持ちよかったね」
悠真が商夜の顔を覗き込み、またゆっくりと頭を撫でる。すると。
「うぁ…そんなつもり、なくて…おれが、俺が!悠真をリードする、予定だったのに…」
それは商夜の中に残ったプライドが、ぽきりと音を立てて折れてしまった瞬間だった。
商夜がポロポロと涙を流す。いとも簡単に泣き、その本音を零す自分の恋人のなんと愛おしいことか、こんなところで壊れてくれるなんて。
思わず身体を寄せ、商夜をその腕に抱き締める。
「ごめんね、焦らされすぎたからかな?それとも…先にイかされて、悔しかった?」
宥めるように頭を撫でて頬を寄せても、商夜は肩を震わすばかりで。
「ゔーっ…くやしい、…」
優位に立つはずだったという意識を根底から覆された上、まさか僅かな快感でデニムを汚すことになってしまった悔しさはあまりにも大きいようだった。
しかし、商夜が頬を濡らすたびにまた悠真の加虐心はむくむくと膨れていく。
「俺が泣かせてしまったなら、俺が慰めないとね。いくらでも泣いていいよ」
そう言って、商夜の肩を撫でる手は、優しいばかりではなかった。
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