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2.平々凡々なベータ

 ミルファはクィリナーレ子爵家の次男で、二十六歳だ。三つ上の兄と八つ下の妹がいる。  三人の中でミルファだけが家族の爪弾き者で、いかにも凡庸な容姿をしている。  肩につくほどの長さの髪は妹と同じ栗色。伸ばしてもふんわりとどこぞの姫のようになる妹と違って、ミルファの髪は波のようにうねるだけのため毎朝纏めるのが大変だ。  兄と同じ紺碧の瞳は深い海にも例えられるが、ミルファのぼんやりとした顔立ちの中ではそれほど鮮烈な印象を与えない。  本当に遠くから見ると容姿だけは家族と言えるほどに似ているのかもしれないが、三人の違いは二次性にあった。  兄はアルファ、妹はオメガ。ミルファだけがベータなのだ。    一次性と呼ばれる男女の別に加え、誰もがアルファ・ベータ・オメガという二次性のいずれかを持つ。二次性という点ではあまり特徴を持たないベータが全体の九割程度、アルファとオメガは合わせても約一割しか存在しない。  体格が良くカリスマ性も高いとされるアルファは自然と人の上に立つものが多い。そして男女問わずオメガを孕ませることができる特徴をもつ。  逆にオメガは一次性に関係なく華奢で可憐な容姿を持つものが多い。数ヶ月に一度発情期があるためまともに働くことは難しいが、妊娠率が高くアルファの子が生まれる可能性も高い。オメガは性別に関係なく、アルファあるいはベータ男性となら子をもうけることができる。  どちらも優秀な血を繋ぎたい貴族に多く、また人気も高かった。ミルファの兄妹も例に漏れず容姿端麗で、自尊心が非常に高い。  両親もアルファとオメガの夫婦で、兄妹に対しては「私たちの誇り」と可愛がっているが、ベータのミルファだけは一家の恥と認定されているのである。  ミルファはベータ男性の中ではちょっと小柄だ。幼少期はどちらかというと可愛い顔をしていたらしく、両親は次男がオメガだったらどこか利益となる家に婿入りさせたいと考えていた。  ちなみにミルファ自身は幼心に違う夢を抱いていた。 「兄と同じアルファだったらいいな、かっこいいし……」    しかし七歳のときに二次性判定でベータと診断され、両親は落胆した。「どうして家にベータが生まれてきたんだ」と言わんばかりの視線や態度。  一瞬母が不貞を疑われたせいで、夫婦仲を険悪にした疫病神扱いも加わっている。兄も出来損ないの弟を疎んでいた。    厄介払いもいいところで、すぐに騎士の小姓として家を出された。騎士にはアルファが多いし、稀にだが家族以外のアルファと過ごすことでオメガに二次性が変わることもある、とどこかで聞いたらしい。   「もういっそ馬に蹴られて死んでくれたら」  そう両親のいる部屋から聞こえてきたときは、幼いミルファは絶望と恐怖のどん底に陥った。  ……が、ミルファは動物に好かれるタイプだった。馬とは仲良しで、訓練でも乗馬の腕前は上々だった。ただ剣術や槍術がからっきしだったため結局騎士には向かないと判断されてしまう。二次性に変化もみられなかった。    一年足らずで帰されてしまったミルファが家に戻ると妹が生まれており、さらに自分の居場所はなくなっていた。ちょっと可愛いかも程度だったミルファに対し、妹は天使のように愛らしい顔で生まれてきたのだ。    ミルファに衣食住と教育が与えられたのは不幸中の幸いで、愛情を向けられることはない。彼女がオメガと診断されてからは、「ベータなんてこの家にはいません」とばかりに存在自体無視されてきた。  本来なら次期当主の兄を支える人材として家にいることもできたはずだ。しかしお互いにその選択肢はないと確信していた。  ミルファは成人を迎える前から王宮で従僕として働き始め、なんとか出世し今は王室家政長官局に勤めている。大きくはないけど自分の屋敷を持ち、優秀な使用人たちもいる。    生家とはスッキリ縁を切り……と言いたいところだが、家族からの地味な嫌がらせは今もなお続いている。一家の恥が王宮で微妙に出世しているのが気に食わないらしい。  きっと彼らは、ミルファが目立たない場所で不幸になることを望んでいるのだ。 「僕がアルファだったらよかったのに……」  ミルファだってそう思ったことは数え切れないほどある。別に望んではいないけどせめてオメガだったとすれば、ここまで忌み嫌われることもなかっただろう。しかし結果がこれだ。    家族の中で一番冴えない容姿、必要のない存在と言われて育ってきたからこその自己肯定感の低さ。  それなりに稼いでいるのに不遇な立場の人と出会うと他人事と思えず、手を差し伸べたり使用人として雇ってしまうため家計もわりとカツカツだった。  今は仕事のやりがいと、使用人たちから家族のように慕われていることだけがミルファの生きがいだ。  なんの伝手もなく家を出た貴族の次男としては、ミルファは上手くやっている方といえるだろう。職場の人たちとの関係も良好で、贅沢な趣味もないため生活に困窮することもない。    何かあったときの蓄え……なんてものはないが、独身だからこそ先のことは深く考えずに済んだ。使用人には十分な報酬を与えているし、ミルファに拾われるまでは状況に恵まれなかっただけで元々優秀な彼らだ。もしミルファが突然養えなくなっても大丈夫だろう。  しかもミルファはとても健康だった。騎士の才能はなかったけど身体を動かすのは好きだし、金のある貴族が好む贅沢な食事や賭博に明け暮れたりしない。  もはや実の家族よりも大切な使用人たちを路頭に迷わせる訳にはいかないと、仕事には懸命に取り組みつつ体調管理にも人一倍気を遣っている。    とはいえ深く根付いた二次性コンプレックスはミルファの人生に影を落としていた。なにか失敗すると「僕がベータだから……」とつい思ってしまうし、仲の良い家族を見ると「自分もアルファだったらあんな風に……」と羨ましげに見てしまう。  コンプレックスを後押しする問題はもうひとつある。ミルファの恋愛対象は、男性なのだ。  小姓として騎士のところで奉公しているときに淡い恋心を抱いたのも男性だったし、王宮で働き始めてから惹かれるのもみな男性だった。    アルファとオメガだったら、男同士で婚姻を結んでいる者も少なくない。だがベータ男性は普通ベータ女性と結ばれるものなのだ。  アルファ男性とは子を作れないし、オメガ男性は当然ベータよりも優秀なアルファを求めている。ごくたまに恋愛小説のように大恋愛の末、二次性に囚われない婚姻を結ぶ者はいるものの、やはり希少な例だ。 (つまり、ベータの僕は男性に好かれる要素がまったく無い……!)    特筆すべき容姿も能力もないため、考えるまでもなくモテない。  家族もミルファに誰かと婚姻を結ばせるのを早々に諦めてくれたのは助かった。ミルファも諦念が長年胸の内にわだかまっている。 「失礼します。ミルファ様……大丈夫ですか?」 「わぁ! ……び、びっくりしたー。大丈夫だよ」  ――ルシアーノがアルファだと聞いて、ミルファは気づけば半生を振り返っていた。    書斎へとやってきた家令のディードーに話しかけられて、意識を現実に戻す。ミルファがあまりにも驚くから、彼は「ノックはしたのですが」と前置きしつつシルバーフレームの眼鏡をカチャと直し、落ち着いた調子で言葉を続けた。 「奥さ……ルシアーノ様を部屋へとご案内いたしました。特にいま改めて準備すべきものはないと仰せです」  落ち着いて見えるがディードーも混乱の渦中にあるらしい。「奥様がやってくる!」となんだかんだで沸いていた使用人たちも、ルシアーノに対して奥様呼びで良いのか迷っているようだ。  ミルファも口には出さないだけで心のなかで思っていた。  ルシアーノ、僕よりも主人感あるぅ……   「そう、よかった。でも服とかは必要でしょう? 来てから用意してあげようと相談していたものね」 「それが……持ってきたものだけで事足りるからよい、と」 「え? 荷物ってあの手提げ以外にあったっけ?」 「ありません……」  ミルファは困惑を滲ませた顔で目の前に立つディードーを見上げるが、彼も首を横に振るだけ。予想外のことばかりでそのまま「はて、」と首を傾げた。  別に「すぐに仕立て屋を呼んで!」という奥様を期待していた訳でもないしむしろそうでなくて助かるが、こちらが当然と準備するものまで不要と言われるとは思わなかった。  アルファらしい見た目と元侯爵夫人という肩書きに見合わない謙虚さ、質素さ。そもそもアルファと元侯爵夫人という二つだけでも結びつかなすぎる。アルファ同士でも婚姻はできるが、男女でないと子は出来ない。    なぜ、彼がセリオ侯爵と婚姻を結んでいたのか……そこから分からなくなり、ミルファは反対方向にもコテ、と首を傾いだ。 「とりあえず、僕もルシアーノと話してくるよ。初日からあれこれと質問するつもりはないけど、本当に不便がないかだけ聞きたいし」  色々と気になることばかりだが初対面の相手、しかも伴侶となる人に早速質問責めも良くないだろう。複雑な事情を抱えているといった線がいよいよ濃厚になってきたのを感じる。  ミルファはよし! と椅子から立ち上がった。先ほどルシアーノとこそこそ話したとき、なんとなく仲良くなれそうな気がしたのだ。夫婦というより、気の置けない友人になれそうな、そんな予感が。    彼からはミルファやこの屋敷を見下すような雰囲気を感じなかった。王都の貴族街の端にある、小さめの屋敷には豪勢な調度などない。侯爵家に何年も住んでいたのなら大層ギャップがあるはずである。    だからルシアーノの印象には良いものを感じている。謎多き人だが……これから一緒に暮らすのだから、良好な関係を築いていきたい。  使用人たちも戸惑いはしているものの彼を邪険に扱うことは決してないだろう。なんなら女性陣は、彼の美貌に見惚れていたんじゃないだろうか。 「男でも惚れ惚れするほど、格好良かったよねぇ……」 「……ミルファ様」  つい、そんな感想を口にしてしまってディードーが目をぐるりと回す。  だって。ミルファの家族も見目は整っていたけど、ルシアーノと並べるとだいぶ霞むと思う。男らしい美を凝縮したような姿だったし、そこに加えて繊細で優しそうな空気感はミルファの家族に持ち得ないものだ。  疑問とか不安とか、いろいろあるけれど見た目のインパクトが強すぎた。せっかくだし、もう一度ちゃんと見てこよう……とミーハーな婦女子のような心持ちで、ミルファはルシアーノの部屋へと向かうのだった。

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