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4話 恋人たちのディナー

次に二人が目を覚ましたのは、もう日が沈み切った20時のことだった。ディナーの予約は20時半、まだ時間があるとはいえ準備が必要である。 詩音はまだ気怠さの残る身体をゆっくりと起こすと、未来の肩を優しく叩いて起こす。 「みくちゃん、みくちゃん。ディナーの準備しよ?」 「ン、おきる…」 ぐずる子供をあやすように抱きかかえて上半身を起こしてやると、目を擦りながらもゆっくりと目を開く。いい子、と未来の頬にキスを落とすと、詩音はまた荷物を漁り始めた。 セミフォーマルに合わせた詩音のスーツ、それからドレスを持っていないという未来にプレゼントした薄紫のドレス。そしてヘアメイクセットを取り出すと、着替えよっか、と声をかけた。 詩音のスーツは至ってシンプルなグレーのスーツ。特筆すべき点と言えば、これがオーダーメイドであることとジャケットはダブルスーツであることだろうか。 対する未来のドレスは、胸元に控えめなビジューがきらめいているロングのキャミソールワンピース。広い肩幅を隠せるようにとショールまで付いていた。 「う〜〜〜ん……やっぱり似合う…」 恥ずかしそうに俯く未来を、手で写真を撮るような仕草で囲い込み覗き込む詩音。もちろん詩音が見立てたもので、薄紫と彼の白い肌は溶け合い、身体のラインを拾いすぎず膨らみすぎてもいないスカート、どこを取っても完璧に似合っていた。 「だって、詩音くんが選んでくれたから…ありがとう…」 少し頬を赤らめながら微笑む未来に満足げな詩音は、次に未来をドレッサーの前に座らせ前掛けを掛けた。 「さ、次はヘアメイクね!頑張っちゃうんだから」 一浪とはいえ現役美容学生、自信満々にそう言うとメイク道具とヘアアイロンを広げた。 丁寧に、それでも素早くメイクしていく。最後にコーラルピンクのリップを唇に引き、未来が普段と違う自分に驚くのも束の間、次はアイロンを手にする。少しばかり伸びた未来の髪を大事そうに触りながら、手つき鮮やかに巻いていけば、あっという間にエレガントなハーフアップが出来上がった。 「さて、完成かな。どう?」 言いながら、未来の前掛けを外す。 確かに普段から女性物を身に付けることの多い未来だったが、今日ばかりは別人のように見えた。鏡の中にいるのは紛れもなく自分自身なのに見惚れそうになってしまう。 「これ、ぼく…?いつもと全然、違う」 頑張っちゃったからね〜と言いながら素早く片付けをすると、詩音が未来に跪く。 「では、エスコートいたしますよ」 照れ臭そうに未来が詩音の手を取ると、詩音は紳士的に微笑み、そして革靴を鳴らしながら部屋の出口へと歩き出した。 緊張からか、レストランに向かう二人の間に会話はない。 未来は歩いている現在に緊張しているようで、詩音が手を引いていなければ転んでしまいそうなほど足が震えている。 詩音はといえば、慣れているのか悠々と歩いていく。しかしその表情には、どこか、余裕がないことが窺えた。未来は自らの現状に必至で、それには気付くことはない。 程なくしてレストランに到着する。 ウェイターが、待っていましたと言わんばかりに重そうな扉を開く。中はフェリーのレストラン以上に豪奢な造りだった。 壁には数々の絵が飾られ、外に面する硝子窓から見える夜空は星が輝いている。天井中心の大きなシャンデリアがよく磨かれたグラスやカトラリーに光を落とし、少し暗い室内を色付かせていた。 案内されるがまま、ウェイティングバーで軽い食前酒を飲む。ちら、と詩音を見れば慣れていそうではあるものの、少し思い詰めたような顔をしているようだと思った。どうしたの、と声をかけようとした刹那、 「こちらへどうぞ」 と声がかかる。 ウェイターが案内するのは眺めのいい窓辺、控えめな二人用のテーブル、敷かれた真っ白なクロスからは清潔感が溢れている。すでに食器なども用意され、いよいよと言わんばかりの様子に緊張が高まってくるのを感じた。 「そんなに緊張しないで?俺たちしかいないよ」 ふわ、といつも通りの笑みを浮かべる詩音が手を伸ばす。未来は戸惑いつつ、また自分も手を伸ばし、その手に触れた。 「大丈夫かな…粗相しないか、心配で」 「大丈夫!ナイフとフォークは端から使う、これだけでいいよ」 詩音は勇気づけるようにその手を握ると、パッと離して姿勢を正した。 するとウェイターが最初の料理を運んでくる。一口大に切られた色とりどりの野菜や肉が小さなピックに刺さっており、可愛らしく目にも楽しい。どうやらコースの前菜らしい。 「わ、かわいい…このまま、取っていいの?」 「そうだよ〜」 詩音はお手本を見せるようにピックを手に取り口に運ぶ。未来もそれを真似して同じ物を口にすれば、優しいにんじんの甘味が口に広がった。思わず顔を綻ばすと、詩音が得意げに笑っている。 「美味しいでしょ、俺これ好きなんだよね」 特別に作ってもらった、と言いながらまた一つ口へと。こんなレストランで特別な待遇がされるなんて、とまた余計なことを考えそうになったが、それを頭から追い払って微笑んだ。 「うん、とっても。詩音くんが好きな物、知られて嬉しい」 皿が空になる頃、次の料理が運ばれてくる。 大きな皿の中心が小さく窪んでおり、そこにシンプルなクリーム色のリゾットが鎮座していた。上に乗っているのは…トリュフだろうか。それからウェイターは小さなスプーンを置くと、軽く頭を下げて去って行った。 詩音がなかなかスプーンを手に取らないので、そわそわとしながら様子を伺っていると、またウェイターがやってきた。 そして二人の前にシャンパングラスを置き、シュワシュワと泡の弾けるシャンパンを注ぐ。 「ワイン、ペアリングにしてもよかったんだけど…甘いやつの方が飲みやすいでしょ?」 シャンパンは未来の好みに合わせ、詩音が予め頼んでいたようだ。勝手に頼んでごめんね、そう言って、詩音がグラスを手に取ると未来もグラスを手にする。 「詩音くん、たくさん…ありがとうね、お酒まで合わせなくても、よかったのに」 「いえいえ!楽しんで欲しいし、このくらいさせて。こちらこそ、たくさん一緒にいてくれてありがとうみくちゃん」 どちらともなく乾杯を交わし、小気味いい音がフロアに響いた。恐る恐るグラスに口をつけると、強い炭酸が舌の上で弾ける。次いで少しの酸味と桃にも似た甘味が広がり、華やかな香りが鼻に抜けていった。 「飲みやすくておいしい…」 「それはよかった」 初めての味わいに感動する未来に、安心した様子の詩音。それから、グラスが空くのを見計らってはタイミングよくウェイターがシャンパンを注ぎに来た。 「こちら本日のお魚のメイン、真鯛のポワレ白ワインソースがけでございます」 ちょうどリゾットがなくなると同時に、メイン料理が運ばれてきた。小ぶりの真鯛はぱりっと焼かれた皮目が美しく、断面からは柔らかそうな白身がのぞいている。周りに黄色く色づいたソースが散りばめられ、食欲をそそる。 「本日はお肉もご用意しておりますので、多少小さめですがどうぞ、ご賞味ください」 ウェイターが下がると、詩音が笑顔で問いかけてくる。 「ナイフとフォークは?」 「えっと、外側から…」 「ん、正解」 詩音は笑顔で頷くと、一番外側のナイフとフォークを手に取った。 「そういえば…お肉もあるの?」 「ある!特別な日だからね〜」 そう言うと、一口大に切った魚を口に入れる。軽く咀嚼して飲み込むと、未来にも食べるよう勧めてきた。 同じように口に含むと身はほろりと解け、大きな咀嚼は必要なかった。酸味のあるソースが淡白な白身に絡みとても美味しい。シャンパンとの相性も抜群で、小ぶりだったこともありすぐに食べ終わってしまった。 「も、もうなくなっちゃった…美味しくて」 「俺も。やっぱここの料理美味いな〜」 二人して舌鼓を打ち、シャンパンで流し込む。好きな人が目の前にいて、美味しい料理とお酒があって、なんて幸せな時間なんだろうとお互いが思っていた。しばらくすると、芳醇なデミグラスソースの香りが鼻をつく。 「お肉のメイン、牛フィレ肉のパイ包み焼きでございます」 運ばれた皿の上、半分に切られたパイが二つずつ乗っている。その断面からは美しいピンク色の肉が見え、涎が込み上げてくるのを感じた。 恐る恐るナイフを入れると、さく、とパイ生地の感触が手に伝わるものの大きな抵抗は感じない。添えられたデミグラスソースを掬って口に運ぶと、ソースとハーブの香りがふわりと広がった。肉は甘く柔らかで、溶けるように口からいなくなってしまった。 「どお?美味い?」 その問いに未来は目を輝かせながら大きく頷く。詩音は心底嬉しそうに笑うと、自分も同じようにそれを口に運んだ。 「これ、すっごく美味しいよ…初めて食べた」 未来がうっとりとしながら呟くと、詩音は口の中身を飲み込んでまた嬉しそうに笑って見せた。 「みくちゃんの色んな初めてがもらえて、俺、嬉しいよ」 まっすぐ、その瞳を見つめながら言う。真摯な視線にどこか気恥ずかしさを覚えた未来は、そっか、と視線を落として誤魔化すようにまた料理を口に運んだ。 そうしているうちに、肉料理もまたなくなってしまう。ナフキンで口を拭うと、ウェイターが空いた皿を下げて行った。 使ったカトラリーも片され、テーブルにはシャンパングラスと白いテーブルクロスだけが広がっている。詩音はそのテーブルに視線を落とし、何かを考えるように未来を上目に見て、また視線を落とした。

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