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番外編 カイル

薄明るい朝の寝室。 ついさっき、マイロが一度目を覚ました。 「ん……朝……?」 「まだ早い。もう少し寝てていい」 「……うん」 そう答えたマイロは、ふわっと微笑んでカイルの腕の中に顔を埋め、あっさりと二度寝に戻っていった。 カイルはそのまま動かず、マイロの寝息を感じながら静かに時間を過ごす。 柔らかな髪が肩にかかり、規則正しい呼吸が胸元に落ちてくる。 最愛と呼べる人が、今、すぐ隣にいる。それだけで、胸の奥がどうしようもないほど満たされる。 責任感が強くて、まっすぐで、不器用なくらい優しい。そんなマイロと暮らすようになって、どれくらい経っただろう。 あの夜、やっと素直に気持ちを伝えたこと。何気ない毎日が、ひとつひとつ宝物のように積み重なっていくこと。それが、どれほど尊くて愛しいことか。 「……幸せそうな顔して寝てるな」 囁くようにそう言いながら、マイロの寝顔をそっと見つめた。あどけない寝息と、ほのかにゆるんだ唇。触れてしまいそうになるのをぐっと堪えて、カイルは目を細める。 もう少し、この時間が続けばいい。ただそう願って、腕の中の温もりを確かめた。 しかし…… 昨日は、本当にすごかった。思い出すだけで、身体の奥がぞわりと熱を持つ。 あんなマイロを見るのは、初めてだ。 きっかけは、ジーク陛下がよくチル様に果実酒を飲ませているという話からだった。 甘くて飲みやすいと言い、「明日休みだろ?これやるからさ」と、にやりと笑いながら渡された小瓶。 「マイロと飲めよ」そんなことを言い残して、陛下は上機嫌に去っていった。 陛下の『にやり』は、だいたいロクなものではない。そう思いながらも、カイルは素直にその酒をマイロに差し出した。 「……あー、知ってる! それさ、チルがよく言ってるやつだよ。果実酒でしょ?これ飲み過ぎると困るって言ってた」 「何が困るんだよ。ただの酒だろ?」 「それは……よくわかんないけど、とにかく『ジークがやたらと飲ませてくるから大変』って、チルはよく言ってる。真っ赤な顔してさ」 「そうか……でも美味いらしいぞ。試してみるか?」 「うーん……まあ、一口くらいなら……」 最初は渋っていたマイロだったが、一口飲むとすぐに表情が変わった。 「……なにこれ、うまっ。やば……」 そして、気づけば、グイグイっと飲み、さらにはおかわりを要求し始め、やがて酔いが回ったらしいマイロは、ぽけっとした笑みを浮かべながら、カイルにぴとっとくっついてきた。 「ねぇカイル、あのなぁ、カイルってさ、笑いかけたらダメなんだよ」 「……なんだ、唐突に」 「カッコいいからダメ。誰かに見せちゃダメだぞ?その顔。笑顔なんかダメ!みーんな惚れちゃうじゃん」 「惚れないだろ。見かけだけで惚れるなんて、人としてどうかしてる」 「はーい出た。全然わかってないカイル。だからダメなんだって、ほんとにさ」 そう言って、マイロはカイルの胸に頭を預け、指先でカイルの服の裾をくいくいと引っぱっていた。 「……あのね、カイルってさ、顔もカッコいいし、仕事もできるし……そんなん惚れるしかないじゃん……バカ……」 酔い始めたマイロは、普段は絶対に口にしないようなことを、ぽつりぽつりと呟き始めた。 カイルの容姿を褒めるところから始まり、いつもなら言い淀むような小さな嫉妬まで漏らしてくる。 「……だってさ、カイルはかっこいいし、背も高いし、なんでもできるし……他の人に見せたくないんだよ……」 そう言いながら、マイロはカイルの膝の上にぴょんと乗り、むにゃっと顔を胸にうずめた。 「……カイルのこと、好きなの俺だけでいいのに……みんなに知られたくないっ!カイルのカッコよさ。俺、カイルが、にやって笑うの好きだもん」 ぼやくように口にしながら、細い腕をぎゅっと背にまわしてきていた。 これはもう、完全にアウトだった。 カイルは、口元に手を当てて笑いを堪えた。可愛くて、たまらない。腰にまわした手にも自然と力がこもる。 「……酔ってきたな。ちょっと水、飲め」 声を落ち着かせてそう言い、水の入ったカップを渡す。 マイロが「うん……」と素直に頷き、水を飲み干したのを見て、カイルはそのまま抱き上げ、ベッドまで運んだ。 けれど、ベッドに横たわっても、マイロの甘えは終わらなかった。 「……カイル、ぎゅってして……」 「……チュッてして……」 「もっとくっついてて……」 そんなおねだりを、真っ赤な頬ととろけた目でされる。 夢か、何かの幻かと、声に出さず心の中で叫んでいた。 「なあ……これって、わがまま? 俺、わがまま言ってる?」 そう言って、カイルの胸に額を押しつけながらマイロが聞いてくる。 その声が、あまりにも素直で、少しだけ不安を含んでいたから、カイルはそっとマイロの頬を撫で、真っ直ぐに答えた。 「わがまま? これが? これがわがままだって言うなら……俺は光栄だ。大歓迎だ。むしろ、もっと言え」 キスを一つ、額に落としてから、ぎゅっと抱きしめた。 「わがまま、大いに結構。……もっと甘えてくれよマイロ」 「……あはは、よかった……」 マイロがくしゃっと笑ったその顔に、カイルの胸の奥がじんわりとあたたかくなる。 「じゃあ……じゃあさ……好きって、言って?」 「……ああ。好きだ。愛してるよ、マイロ」 囁くように伝えると、マイロは目を細めて、ほっとしたように息を吐いた。 「……えへへ……俺も」 甘い笑みとともに囁いたその声が、あまりにも愛おしくて。カイルはもう一度、強く、しっかりとマイロを抱きしめた。 更に……甘えは、終わらせてくれない。 ベッドに横たわったマイロが、ふとカイルの腕を引き寄せ、そっと自分の胸元へと導く。そのまま、とろけるような声で囁くように言った。 「……ここ、触って……もっと……強く……」 細い指が、カイルの手を導く。その指先は熱を帯び、震えるように求めていた。 「……入れて……吸って……やだ、離れないで……」 首筋にかすかに息をかけるように囁かれ、カイルの喉が鳴る。 「ねぇ……好き……カイル、好き……」 途切れがちな言葉が、くすぶるように甘く響いてくる。 普段は決して見せない無防備さ。照れ屋で恥ずかしがりやなマイロが、こんなにも素直に、欲しがってくるなんて。 これは夢じゃない…と考えた瞬間、カイルの全身から理性が滑り落ちた。 ほんの少し触れただけで、震えるマイロの身体。その熱に引き込まれるように、思わず押し倒すような体勢になってしまう。 マイロは顔を赤らめながらも、拒まない。 むしろ、腕をカイルの背にまわし、自ら抱きしめてきた。 「……好き、だから……もっと……」 甘えた声で、何度も繰り返す「好き」が、火を灯したように胸の奥に広がっていく。 気がつけば、主導権はマイロに奪われていた。 寝間着の隙間から見える肌、艶を帯びた声、熱……全てがカイルの理性を侵食し、気づけば、歯止めのきかないほど深く深く求めていた。 腰が自然と動き、指先が震える。 それでも、マイロはただ優しく微笑んで、すべてを受け入れてくれた。その姿が、あまりにも愛しい。 あの顔を思い出すだけで、下腹の奥に熱が宿っていくのがわかる。 ___隣で眠るマイロをちらりと見る。まだ薄明るい朝の光の中で、静かに寝息を立てている。 昨夜はあんなにも甘えてきたくせに、今は何事もなかったように無防備な寝顔をしている。 「……ほんと、おまえって……」 と、口には出さずカイルはため息をついた。けれどそれは、満ち足りた感情を抑えるような、優しいため息だった。 「……ん……カイル……?」 寝ぼけた声とともに、マイロがゆっくりと目を開ける。まどろみの中で焦点の合っていない瞳が、ぼんやりとこちらを捉えた。 「……あ。ごめん、起こしたか?」 「ううん…なんか、夢みてた気がする……ふわっ!? あ、あ、あれ、カイルっ!?」 一気に顔を赤らめ、昨日の記憶がぶわっと蘇ったらしい。カイルはそんなマイロの狼狽をお構いなしに、頬にキスをひとつ、もうひとつと落としていく。 「んー! あああああ! もおおおおお!!」 ジタバタとベッドの上で転がるマイロ。悶絶する様子が可愛くて、カイルはつい口元を緩めたまま、もう一度だけ頬にキスをしてやった。 「普段は照れるくせに、飲むと好きって甘えてくるから……ずるいなお前は」 「ぅ……う、うそ、言って……!?」 「言ってた。バッチリ聞いた。録音しとけばよかったな」 「やめてええええ!! ほんとにやめてぇえええ!!」 布団に潜り込み、毛布をぐいっと頭まで引っ張り上げて隠れるマイロ。その震える背中を、カイルはそっと撫でてやる。 「ほら、水。少し落ち着け。……朝から元気で何よりだな」 冷えた水を手渡すと、マイロは恨めしそうな目だけを毛布の隙間から覗かせた。 「……あああ! もう、、果実酒は飲まないっ!」 「そうか? じゃあ、朝食にするか。今日は休みだろ?俺が全部やる日にしよう。好きなだけ甘えてていいぞ」 手を引いてキッチンへ。ほんの少し冷んやりとした空気が、火を入れる前の朝の気配を感じさせる。 キッチンの椅子に座ったマイロが、ぼそっと呟いた。 「……チルがダメって言った理由が、わかった気がする」 「なにがダメなんだ?」 「果実酒だってば! あれは美味しいからすいすい飲んじゃって……そのあとが……もうほんとに……」 テーブルに顔を伏せて、また昨夜のことを思い出しているようだ。両手で頭を抱えている。 カイルは小さく笑って、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。グラスに注ぎながら、ふと口を開く。 「マイロ」 「……ん?」 「結婚しようか」 じゅう、という音と共にフライパンの中でベーコンが弾けた。香ばしい香りが立ち込め、キッチンにあたたかい空気が広がっていく。 振り向くと、マイロが目を丸くして固まっている。そのあまりに驚いた表情に、カイルは思わず吹き出す。 「なにをそんなに驚いてるんだ」 「え? は……? だって……今……なんて」 「結婚しようって言ったんだよ」 そう言いながら、カイルはひと呼吸ついて、ふたたびキッチンに向き直る。 フライパンの中の焼き色をさっと確認し、手際よく火を止める。その間にも、彼の口元には微かな笑みが残っていた。 そして、落ち着いた声で、けれど真剣に続ける。 「お前と出会って、一緒に暮らし始めて、毎日が楽しくてたまらない。これからも、ずっと一緒にいたい。だから……俺と結婚してください」 ガタン、と音がした。振り返ると、マイロが椅子を倒しながら立ち上がっていた。顔は真っ赤で、言葉にならない様子で口をぱくぱくと動かしている。 カイルは苦笑しながら近づき、そっとオレンジジュースのグラスをマイロの手に握らせた。その表情を優しく見つめたあと、フライパンから香ばしく焼けたベーコンと卵を丁寧に皿に盛りつける。 「聞こえただろ? 返事は?」 「……えっ、あ、はい……」 真っ赤な顔で小さく「はい」と答えるマイロ。コクコクと何度も頷く姿に、カイルは胸が熱くなるのを感じながら、ゆっくりと近づいていった。 「よかった。じゃあ、食べるぞ。……ほら、あーん」 カイルがベーコンをフォークに刺して差し出すと、マイロは一瞬ぎゅっと目をつぶり、顔をくしゃっと歪める。 肩をすくめるようにして身をよじり、恥ずかしさに耐えきれないとばかりに、叫んだ。 「……うあああああああああああ!!!!」 「なんだよ……大きな声だして」 「……っ、も、もう……甘すぎるって……!無理……心臓が爆発する……!」 「でも、誰も見てないんだから、好きなだけ甘やかしていいだろ?」 涼しい顔でそう言って、ニッと笑うカイル。その微笑みに射抜かれたように、マイロは耳まで真っ赤に染まり、じたばたと身をよじる。 「カイルっ……! 今、にやってした! 顔に出した! それ反則!!」 「してないって」 「してた! ぜったいしてた! 俺、見たもん!! ……もう、ムリ……!」 マイロの必死の抗議に、またカイルは笑いそうになる。 賑やかで、愛しい朝だ。 一人で未来を見ていたあの頃の自分には、きっと信じられなかっただろう。 でも今は、君がそばにいる。 未来は、怖くない。君となら、どんな明日も楽しみになれる。 end

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