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第8話
頬がひやっとして目をパチリと開ける。目の前には愛おしそうにおれを見つめるマウォルス様がいた。その視線の甘さに気づいて、か~っと顔が火照る。
「おはよう、ジューノ。大丈夫か……?」
「お、おはようございましゅ……」
噛んじゃった。
髪を優しく撫でる手に胸が痛いほどドキドキしながら、おれは改めて助けてくれたお礼をいった。夢うつつに引き留めたマウォルス様がちゃんと起きるまでいてくれたことも、嬉しい。
薬によって引き起こされた発情は通常の発情期と違うみたいで、一日で終わったようだ。頬も湿布のおかげでほとんど腫れは引いていて、起きたときは念のために貼り直してくれていたらしい。
昼近い時間だったが、おれたちは一緒に起き上がって朝食を用意してもらった。
マウォルス様に聞きたいことはたくさんあった。食事のあと、もうはぐらかしは許さないぞ!と強い決意で尋ねた。
「ちゃんと教えてください。アヴェンティーノ伯爵は、明らかにおかしかったし……ディアーナ様はどうしているのですか?」
「っ。知ればさらにジューノを傷つけてしまうだろう」
「でも、なにも知らないままなんて、もう耐えられません」
「……そうだな、すまない。なにもかも私の家のせいなんだ」
アルファであるアヴェンティーノ伯爵は美しいオメガの妻との間に二子をもうけた。妻を愛していたとは言いがたい。マウォルス様が物心ついたころにはすでに家庭内別居の状態で、伯爵は外に愛人を何人も抱えていた。
妹のディアーナ様が生まれたのはマウォルス様が十二歳のとき。しかし生まれつき身体が弱く、数ヶ月で儚くなってしまった。
「え……」
「教会の裏手で葬儀を行っていたとき、ジューノが洗礼に来ていた。そのとき初めて君を見て……『運命』だと悟った」
この国の貴族は王都の教会で洗礼を行うのが一般的だ。もちろんおれに記憶はないが、奇しくも生まれてすぐ出会っていたらしい。
娘を失った悲しみに耐えきれず後を追うように母親も他界し、伯爵家はマウォルス様と父親のふたりきりとなった。それから伯爵は人目も憚らず愛人を家へ連れ込み、情交に耽けるようになっていった。
父親の所業に耐えられなかったマウォルス様は成人後すぐに王都へ出て騎士を目指す。通常は嫡男が騎士になるなんてあり得ない。だが、伯爵もまともな息子の存在を疎ましく思っていたようだ。
マウォルス様が家を出てから、妙な噂が流れはじめた。それはすでに亡くなったはずのディアーナがオメガの婿を求めているという話だ。周囲に尋ねられてもマウォルス様はもちろん否定した。
情報に敏い貴族は聞き流したが、地方貴族や王都に繋がりを持たない貴族は騙され、オメガの娘や息子を婿に出したそうだ。
アヴェンティーノ伯爵家に入ってしまえば番にされ、囲われてしまう。無駄に力のある貴族だったからこそ、その横行が放置されてしまった。
あの家には騙されるな。そういった認識が広がるにつれて、被害は減っていった。番にされたオメガも逃げ出したり、飽きて暇を出されたりして、数は減った。マウォルス様もどうにかしてやめさせたいと、騎士団で力をつけ名誉を手に入れることに邁進した。
しばらく落ち着いていた父親の悪癖は、ジューノが成人を迎える年に復活する。カンピドリオ男爵家には美しいオメガがいると、王都ではまことしやかに噂されていたのだ。
おれはまんまと騙され、婿入りの手はずを整えてしまった。マウォルス様は慌てて、アヴェンティーノ伯爵家からの迎えに先んじて行動したのである。
そして冒頭に戻る、だ。
「そう、だったん、ですね……。そうか……ディアーナ様はもういなかったのか~」
「申し訳ない……」
「マウォルス様のせいじゃないですよ。うち、本当に貧乏で情報どころじゃなくて……。でも、よかったです。マウォルス様と番になってしまったことで、誰かを傷つけてしまうかと思ってたから」
「すまない。まさか運命が発情を引き起こしてしまうとは思わなくて……つい、本能に従って番にしてしまった。これで父親に取られなくて済むと……、最低だ……。私の顔も見たくないと言うなら出ていこう。発情期の間だけは相手をすることを許してほしいが……」
「待ってまって!」
マウォルス様は本当につらそうな顔をしていた。でも、おれはいまの説明で納得したし、逆に感謝もしている。それに……こんなにも優しいひと、どうやって嫌いになれる?
「おれ……いまの生活が幸せです。それに、マウォルス様のこともっと知りたい。嫌じゃなければ、もっと一緒に過ごせる時間を作ってくれませんか?」
「嫌だなんて!!――ジューノ……君を愛しているんだ」
「あっ、う。えっと……ま、前向きに検討します…………」
日頃の態度や甘い視線からマウォルス様の気持ちには気づいていたけれど、突然の告白に慌てふためいてしまう。顔が熱い。
そんなのおれだって……たぶん…………
それから、おれはまた平穏な日々を取り戻した。
マウォルス様のことを知るため、仕事以外の時間はなるべく同じ部屋で過ごす。朝晩の食事も可能な限りいっしょにとった。お互いの生活や生い立ちについて知らないことはいっぱいあって、なにを聞いても楽しい。
マウォルス様は笑わないのかと思っていたけれど、おれがくだらない冗談を言ったりするとすごく優しく微笑むのだ。その顔を見たとき、トスッと胸に矢が刺さったような心地だった。破壊力がすごい。
生家の様子が気になって手紙を出したいとマウォルス様に尋ねたところ、すでに定期的に連絡を取っていたらしい。しかも知らないうちに資金援助までしてくれていた。その温かい心遣いに胸がいっぱいになる。
「今度一緒にご実家へ挨拶にいこうか」
「はい!でも、その前に……」
そろそろ結婚しませんか?
そう言っておれは愛しい番に抱きついた。
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