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第1話

 しんしんと雪が降り積もる時期だった。  事故に遭った。  目が覚めたら、四年後の世界になっていた。僕としては丸一日眠ったような感覚だったけれど医師から連絡入った両親が駆けつけて「よく頑張った」「目を覚ましてくれた」と二人から抱きしめられ、数年越しの再会だというのは何となく腑に落ちていた。  四年の月日を眠っていたということは当然食欲も体力も落ちている。まずは消化にいいものから、だんだん噛む力を身につけて。ある程度食べれるようになってきてから体力作りが始まった。  リハビリを頑張っている期間、病室でのんびりしている時間帯に大人になった友人たちが見舞いに来てくれた。僕の精神は止まったまま、体だけ大人になっている感覚。あの頃の友人たちは見た目も精神も年相応になっていた。なんだか、少し取り残されたような感覚。でも忘れずに会いに来てくれたことは嬉しかった。  十五歳から十九歳になっているだなんて。まだ少し信じられない自分もいる。  しかし久々に声を出せばしっかり低く、ホルモンも安定してきたのか毎朝髭が生えるようになっていた。髭の剃り方を父に教えてもらいながら「いつ退院出来るのかな」なんてぼんやり思う。  *  雪がだんだん溶けていき、花が咲き始めた頃。いつも見舞いに来てくれる友人たちと一緒に、一人の男性がやって来た。歳の離れた大人で、初見で十歳くらいは離れてるのかな、なんて感じる。僕をじっと見つめる綺麗な二重に射抜かれて。暫く放心していた。 「……久しぶり。四年ぶりだね」  その微笑みは花が咲く、という表現が似合う。  でも僕は知らなかった。この容姿端麗な大人の男性を知らなかった。「久しぶり」と言っていたからには過去に会っていたはずなのに。今の僕には全くの「初めまして」状態だった。 「……覚えてない、かな」  何も言わない僕に困ったように首を傾げる。我に返り慌てて「ごめんなさい、両親とか友人たちは覚えていますが貴方のことは……」と誤魔化すわけにもいかず正直に言葉にする。  その人は「そっか」と呟き少し俯く。傷つけてしまったか。でも、今の僕には初対面だからどう対処していいのかなどわからない。どうしようかと内心焦っていればその人はパッと顔を上げ「いいんだ。短い期間しか会ってなかったし、記憶に根付く事もなく忘れられたんだと思うな」と笑っていた。  気にしないで、という事だろう。だけど、向こうは覚えているのに。そう思うと、申し訳なさが募る。 「すいません……」 「ううん。前に借りていた本を返しに来ただけだから。入院の間の暇つぶしにどうかなって」  男性が歩み寄って差し出されるのは僕が中学生の時に何度も繰り返し読んでいた小説だった。お気に入りだった本を彼に貸していたってことは、僕と彼はそれなりに親しい仲だったということになる。思い出せない。頭の中にある記憶の引き出しをあちこち探しても、この男性の記憶はどこにも無かった。 「ありがとうございます」と本を受け取り、見上げる。  とても綺麗な人だ、と数秒見惚れてしまう。 「あの。お名前を聞いてもいいですか」 「……じゃあ、凪って呼んで」 「なぎ?」 「そう。風が止んで波が穏やかになるあの凪、ね」  凪がそう言葉にした途端、後ろで見守っていた友人たちが複雑な表情をしていたけれど僕にはよくわからなかった。 「本名ですか」 「ううん。あだ名みたいなものかな」 「じゃあ、本名を」 「俺のことを思い出したら、教えてあげる」  教えてくれたっていいのに。思い出せるきっかけになるかもしれないのに。凪は忘れられているというのに、少し楽しそうにしていた。不服そうに見上げる僕の視線に気付いて笑ってウインクしてくる。……心臓に悪い。モデルや俳優、アイドルをやっているのではないかと思うくらい。 「……ご職業、は」 「接客業として働いてるかな、今は」 「今は?」 「転々としてて」 「安定した職に就いてないんですね」 「はは、俺も落ち着きたいんだけど。中々周りが厄介になっちゃってね」  けらけら笑って話す凪と、慌てて僕の方に来て軽くど突いてくる友人。小声で「失礼なこと言うな」と耳打ちされる。率直な感想を述べただけだったけど。 「まあ俺のことはいいんだよ。気になるのは、君の今後のこと」 「僕の今後?」 「退院したら、どうするのかなって。働くのか、大学行くのかとか」 「……。大学行くにも、僕には高校三年間分の学が無いから……大学なんて無理だろうな。専門学校の道もあるかもしれないけど、今の僕に打ち込めるものは何も無いし、働く……にはもうちょっと体が丈夫にならないといけないし」  あれ。目覚めたはいいが、僕って結構詰んでる状態?  少し人生に絶望していれば、凪は「ふむ」と顎に手を添え思案し「提案があるんだけど」と声をかけてくる。 「退院したら、一緒に勉強しない?」 「へ」 「ほとんど独学なんだけど。高校生が勉強する範囲内までなら俺も教えることが出来るから。それから、受験のことをしっかり考えてみる……どう?」  専属の家庭教師が現れるようなものだ。こちらにとってはとても美味しい話だが凪にメリットが見つからない。 「一回の授業料、幾らですか……」 「え? やだなあ。君が目覚めてくれたことでもう十分報酬はもらってるよ」  そんなこと。ストレートに言葉にしてしまうんだ。何だかとても歯痒くて、頭をぽりぽり掻きながら「大袈裟ですよ」と伝える。 「凪さんにメリットが無いですよ」 「んー。じゃあ。勉強終えた後は毎回、二人でどこか遊びに行こうよ」 「え」 「思い出すきっかけになるかもしれないし」 「どうしてそんな乗り気なんですか……」 「二人で勉強するの、楽しそうじゃない?」  にこりと笑って「どうかな」と尋ねてくる。  駄目だ。何だか僕はこの人の顔に弱いのかもしれない。立場的には僕が凪に「勉強を教えて欲しい」と頼むようなものなのに。……凪に、お願いされてるような感覚で。  本当は、思い出して欲しいのかもしれない。一人だけ記憶の中に残っていなくて、寂しいのかもしれない。  そう考えてしまうと、無碍にする事も出来ずに「お願いします」と頷いてしまった。友人に連れられて来たから、危険人物では決してない。はず。 「よかった。じゃあ、退院する日を待ってるよ」  微笑む凪の周りには本当に花が咲いているようだった。耐えきれずに横の窓に目を移す。青空の元、川沿いに満開の桜並木。随分暖かかくなっているだろうに、その足元は白で覆われている。 「雪柳だ。圧倒されるね」  凪も同じ窓から桜と雪柳を見つめる。雪かと思った白は、どうやら花だったらしい。 「詳しいんですね」 「俺の存在証明みたいな花だから」  本気で言ってるのか、冗談なのか。この花に救われることがあったのだろうか。 「そうだ。次会った時に、俺が質問したら答えられるように一つ調べておいてよ」  突然課題が出された。「何ですか?」と問えば、凪は挑戦的に微笑む。 「雪柳の花言葉」

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