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第4話 梅雨明け

じっとりとした空気に重たい空、そろそろ梅雨明けだろうと囁かれていたが、本当に明けるんだろうか。 静也はテレビをぼんやり観ながら、他人が用意した朝食を口に運ぶ。 「今日は5限までだから」 「そっか、じゃあご飯作って待ってるね」 広すぎる家に独りで暮らしてた静也にとって、この環境に自分以外の存在があることが不思議だった。来客用に一応置いておいたベッドが使用され、何もなかった空き部屋に自分以外が所有する荷物がある。 1週間も経てば慣れると思っていたが、一向に慣れない静也は今日も落ち着きなく自宅にいる人物に行ってきますを伝える。 玄関を出れば高い湿度と気温が肌を撫でる。 もう少しで大学が夏休みに入るのでそれまでの辛抱。特にサークルに入ってるわけでも研究に本気で没頭してる訳でもない静也は、夏休みに入ればよっぽど大学に行くことはない。 しばらく歩いて駅に着く頃には、汗で背中のシャツが張り付いている。 背負っていたリュックを電車に乗るため前向きにすると、背中に涼しい風が入り込む。 静也は電車に揺られながら、思いもしない生活の変化を振り返る。 ニルスが来てから、正しくは家に住み着くようになってから生活がガラリと変化した。 ニルスは大方日中は家にいて、せっせと好んで家事をこなしていく。まるで彼女でも来たのかと思うほどに献身的。 帰ってくる時間に合わせてご飯を作ってくれる。朝もそう、自分より早く起きてるのか寝てないのかは定かではないが、静也が起きる頃にはとっくにいて朝食を出してくれる。 悪いと1、2回断ったが好きでやってるから気にしないでとさらりと言われた。 「なんか……おかしい気がする」 「何が?」 「!?」 独り言、静也はまさか自分の独り言に返答が返ってくるとは思ってもいなかった。 横を見れば、美咲が静也の顔を覗いていた。 美咲ーー今の静也の彼女である。 「み、美咲か、びっくりした」 「どうしたの?」 心配した彼女の顔、静也は「いや、ごめん何にもないよ」と返すと美咲は不服そうな顔になる。 まさか「人外が家にいる」なんて言えるわけもないし、信じてもくれないだろう。そもそも誰かと住んでるなんて言えるもんじゃない。 「そ、あーそうだ、静也君……来週って空いてる?ちょっとちゃんと話したいことがあって」 「来週?授業さえなかったら特に予定は無いよ」 美咲は不服そうな表情をやや残しながら、真剣な顔で静也に来週話をしたいと言う。多分大学でわざわざ話しかけに来たのが、それを言うためなんだろう。 静也は特にいつでもいいと話すと「ありがとう」と言って去っていく。 わざわざ改まってなんだろうか、静也は考えを巡らせるが、特に思いつかず考えるのを止めた。 ーーー いつの間にか外は雲が晴れて、雲に隠れてた太陽が顔を出してた。湿度は相変わらず高いためジトッとした空気は変わらない。一応持ってきていた折り畳み傘はいらなさそうだ。 重たい教科書の入ったバッグを持ち上げ、スマホを取り出す。 電源ボタンを押せばスクリーンに通知が数件。 一つは美咲からの来週の空いてる時間の確認のメッセージ、二つ目はニルスからの無くなりそうだった石鹸を購入した、とのメッセージ。後は広告やゲームアプリなどの通知。 返信するのも億劫で、既読をつけないように確認するとポケットにスマホを突っ込み駅へと歩き出す。 「ただいま」 玄関を潜れば電気のついた部屋が迎えてくる。そしてキッチンの方から「おかえり」の声。 ニルスがキッチンに立っていて出来上がったであろう料理を皿に盛り付けていた。 その横を通りしなに目を向ければ、今日のメニューはサラダがメインのヘルシーそうなものだった。 ー 待ちに待った週末は案外早く訪れる。 蒸し暑さもどんどん進み、日が暮れても温度が下がらず汗で張り付くTシャツが鬱陶しい。 金曜日の夜、静也は恋人である美咲と落ち着いたカフェでディナーセットのメニューを眺める。 「静也くん、どれにする?」 美咲はあれもこれも美味しそうと半ば独り言に近い言葉を溢しながら、静也に訪ねる。 「俺はコレかなぁ」 静也は美咲の問いかけに、メニューを指さして答える。美咲は「それもありかぁ」と更に悩むことになったようだ。 「静也くんって好き嫌いありそうな顔してて、あんまりないよね」 美咲はこれだ!と決め切れたようで店員を呼ぶコールボタンを押す。 「いや、別にあるよ、あるけど嫌いでも食べれるってだけで」 静也は目の前でニコニコ笑いながら話す美咲に、そういえば前食事を一緒に行ったのがいつだったかを考える。このところ、変わった同居人のせいで色々と心が休まらなかったり、生活が変化してバタバタしていた。夏休み前ともあって試験やレポートの提出なども絡んで、忙しかった。 (1ヶ月……会ってなかったな) 静也は今月会ってないこと、正確に言えば校内以外で会ってない事に気付いて日数を考える。別にわざと放っていた訳ではなく、気が付いたらそうなっていたとは言え恋人としてダメだよなって考えが浮かぶ。 これから暫くは大学も休みに入るし、時間がある。折角の夏だから夏らしいことをしようと色々と思い馳せていると、ディナーセットのサラダとスープが机に置かれた。 「いただきます……わあ、美味しそ〜」 「そうだね」 運ばれてくる食事にテンション高く声を上げる美咲、SNSに載せるんだろうかスマホで写真を撮っている。 「そう言えば、美咲今日話があって俺のこと呼んだんだよな?」 忘れていた。そう言う訳ではないが、他愛ない話と食事ですっかり忘れていた。 テーブルにはデザートになるフルーツカクテルが運ばれ、食後のドリンクと共に並んでる。 話すきっかけも出てこないので静也が切り出す。 「あのね、お店出てからでもいいかな?」 美咲は静也の言葉に少し困った顔をした後、もう少し待って欲しいと返す。 静也は特に深く考えるでもなく「わかった」と返事をして半分残っているコーヒーを飲み干す。 荷物をもって、財布を片手に会計と書かれたカウンターに伝票を持っていく。 「今日は時間作ってくれてありがとう」 外の空気はまだ湿度を保って温度が高い。空調の効いた室内とは打って変わって酷く空気が重たい。 店の扉を潜って、そういえば話はと静也が自然と美咲に振り向く。 美咲は振り向いた静也に足を止めて笑顔を作る。 「忙しい時期過ぎたし、大丈夫」 静也は「自分も会いたかった、これからはもっと時間を作るようにする」と言うことを話そうとして口を噤んだ。 「あのね、私ちょっと前から考えてたんだ」 美咲の視線が静也の顔から足元に移動する。両手を体の前で組ませて落ち着かない様な仕草が視線に入る。 「静也くんが悪いとかじゃないんだけど、私、別れて欲しいの」 言葉尻がどんどん小さくなって行く声に耳を澄ましていたら、静也は思いがけない言葉に一瞬何を言われたか分からなくて頭にはてなが浮かぶ。 美咲は更に顔を下に向けながら、それでも言葉を続けていった。 「静也くんが忙しいのも、先輩だから仕方ないのは分かってる……付き合ってって言ったのも私だけど、やっぱり寂しくて。今日も会っても素っ気ないし、別のこと考えてるし……これが続くって思ったら辛くて」 静也は美咲の言葉が耳に入ってくるスピードに頭が追いつかず、返事のタイミングを忘れる。 まさか振られるとは思ってなかった。色々なパターンをシュミレートはした。夏休みで出かけたいから、同居したいと言われるまで。 それのどれも意味のない妄想に過ぎなかった。 そもそも大した話なんてされるとも思っておらず、普通にデートして終わるだろうそれくらいの感覚でもあった。 「……そっか、分かった」 口から出たのはそれだけ。 「……今日、楽しかった、久々に話せてご飯食べれて」 美咲は顔を上げることなく、今日の感想を泣きそうな声を抑えて話す。 何か言わないと、そう思った静也だったがいつもの回る頭はどこへいったのか何も浮かんでこない。 「それじゃあね」 美咲の背中を見送りながら暫く歩道に立ち尽くす。 本当だったら引き留めるとか、やり直そうとか、何か言えばいいんだろう。しかし、静也にその選択がなかった。今までの恋愛でやらかしたことが薄々浮かんで言葉が出てこない。 生ぬるい風が体の隙間を抜けて行く感覚に、多少動いた頭が家に帰ろうと指示を出してくる。 こんなところで突っ立っていても時間の無駄、と冷静な部分が声を発する。 静也は家に帰るため、近くの駅に向かって足を動かすことにした。 ー 玄関がガチャリと開く音がリビングに届く。 ニルスは他人の家のソファでくつろぎながらTVを何気なくつけて観ていた。 「おかえり」 今帰ってきたと思われる家主を確認することなく、ニルスはTVに顔を向けたまま言葉を発する。 TVでは家主、静也が推してるアイドルのノアがステージで歌っている。華やかなステージに劣らない高身長に整った顔、男であればどれに嫉妬しても足りない完璧な男。前列にいるのは殆ど女性で黄色い歓声を上げて手を振って飛び跳ねてと楽しそうである。 それにしても玄関の音がしてから全然静也が家に上がってこないことにニルスが疑問を持つ。 まさか家を間違えた酔っ払いか?変質者の可能性?実際顔を確認してないから静也でなくても分からない。 ニルスはソファを立ち上がり玄関を確認しに行く。 仮に強盗だとしても全く問題はない。引き返してもらうか、やられたフリをするか、返り討ちにするかと謎の脳内会議が始まる。 「玄関がお気に入り?おかえり、どうしたの?」 脳内会議は玄関に立つ静也を視界に捉えた途端、全く意味のないものに成り変わり解散する。いや、そもそも仮にそうでも無意味な脳内会議ではあるのだが。 「……」 静也は特に言葉を発することはせず、ニルスの顔をチラッと見ると靴を脱ぎニルスの横をすり抜けて部屋に上がっていく。 (ご機嫌斜めかな?違うな、機嫌が悪かったら今のことに食いついてくる筈……出先で何かあったか?) ニルスは無言で抜けて行った静也の背中を見ながら、先ほどの無意味な脳内会議を再集結して様子のおかしい静也について考える。 「静也くん、今日は……確か恋人と出かけてたんでしょ?何かあった?」 先ほど自分が座っていた場所に静也が身を投げて座っていた。 ニルスは横に腰掛けると顔を覗き込む。覗き込んだ先には今まで見たことがないほどに脱力して生気のない顔。 ニルスはこれは何かあったな、と思い今日どこへ行くか言っていた場所を思い返す。確か、最近できたカフェだった気がする。そして、静也が大学終わりでも会いそうな人物。そもそも友人の少ない、というか陽介ぐらいしか友人のいない静也。陽介は今日、バイトのシフトが入っている。 こんなに誰に会っていたかわかりやすい奴そういないよな、と思いながらニルスは大方正解だと思うことを問う。 (外れたら外れたで、逆にここまで落ち込むって理由ってなんだ?) 静也はニルスの声に特に反応することなく、天井を見ている。 ニルスが違ったかな、これは触らない方が先決?と思っていたら静也の目線がニルスの方に動く。 「なんで知ってんの?俺、言ったっけ?」 静也の顔色に変化はない。言い方にやや棘はあるが、割とそこはいつも通り。 「いや聞いてないよ、君の友人はバイトでしょ?それに学校終わって行くって言ったカフェ、雰囲気として夜は女の子ウケが良くて、女の子たちかカップルが多い……そんなとこ」 「……」 静也はそれを聞くと「あ、そう」みたいな顔をしてニルスから視線を外す。 なんとも言えない部屋の空気にニルスは居心地の悪さに自室に行こうか考え始める。 すると、静也が口を開く。 「美咲、俺の“元”彼女と行ってた……料理はまあ、値段の割に普通だった」 元、わざとつけたそれにニルスは納得する。美咲という人物の話は薄々静也がするので、彼女ということや年下であることは知っている。陽介経由でもなんとなく聞いていて、可愛い雰囲気の女の子で美咲の方から付き合ってくれと言ったらしい。 「そっか、今度行こうと思ってたけどやめておくよ」 ニルスはあえて店の話題のみに触れる。ストレートに返せば多分、話してくれない。 「……俺、恋人と一年続いたことないんだよ」 「そっか、それはどうして?」 静也は天井を仰ぎなら口を動かす。重だるい雰囲気が部屋に漂って、なんだか息苦しい。 ニルスは静也の顔を見ながら話をしっかり聞くために、体を斜めに向ける。 「元々は束縛がしんどいって言われて嫌われることが多かった……だから今度はそうならないように気を付けた……そしたら今度は冷たいヤツだって言われて振られた」 静也の恋愛は長くは続かない。大抵無理やり連れていかれる合コンで声をかけられるか、陽介の知り合いで付き合うことになることが多い。そんな中暫くは上手にいく。しかし、静也の性分はメンヘラ気質で束縛が強い。最初はお互いを知らないので、なんともないのだが段々と静也が私生活に口を出すようになっていく。挙句行動の把握や友人の選別などなど彼女が嫌になってくる始末。 静也はそれをどうにかするために、今回の彼女とは距離を取っていた。 それが仇になるとは思いもしてなかった為、ショックが余計に大きい。 ニルスはボソボソ話す静也の声を聞き漏らさないよう耳を傾け静かに話を聞く。静也もちゃんと聞いてくれると思われるニルスを見て話を続ける。 「……お前には分からなさそう」 最後に静也はそう付け加えた。なんでそう思ったかも静也ですら分からないが、なんだかそう思った。 ニルスは「そうだね」と肯定する。 「……分かんないけど、君が今ショックを受けてて悔しい、寂しい思いをしてるのは分かるよ」 静也は少しだけ顔を動かして横に座るニルスを見る。そこには少し微笑んでるけど、眉の下がったニルスがなんとも言えない表情で静也を見ていた。

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