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第3話 水面で踊る
相変わらず空は重たい雲を抱えていた。
商業施設が立ち並ぶ街中、静也は表の道を陽介と歩いていた。手には映画館で購入した映画冊子の入った紙袋。
「はあ〜観てよかったなあ」
「面白かったな」
巷で流行っているアクション映画、休日のスクリーンは満席とは言わずもそれなりに人が多かった。絶賛大人気女優や男優が出るとのことで男女問わず人気のようだ。
映画館から出た2人は休憩がてら手短なカフェに入る。
ゆったりしたソファ席に腰を下ろす。
「俺、アイスコーヒー」
「じゃあ、俺はアイスカフェラテお願いします」
注文を受けに来た女性スタッフに静也がメニューを見ず注文する。その間にメニューを見ていた陽介がやや慌てたように、自分の注文を次いで伝える。
女性スタッフが注文内容を確認すると人のいい笑顔を崩さず去っていった。
「いやー、まさかノア様アクションもできるなんて思ってもなかったなあ」
注文を終えると話を始めたのは陽介。
ノア、の名前に静也は数日前の会話を思い出す。
「そうだな、それは俺も思った」
一応モデルという括りと思われるノアだが、最近ドラマや映画でもちょいちょい見るようになってきた。演出者たちの間で、演技力があるとかなんとか評価が高いらしい。
バラエティで見る彼は基本的にクールで発言に容赦がない。ニコリともしないその様子から使い勝手の悪そうなやつだと視聴者からは思われているが、裏ではそうでもないのであろう。
映画に出てくる彼はセリフや場面に合わせて表情をコロコロ変えていた。
「続編もどうなるか気になるな」
「もう、続編の話出てるのか」
陽介は静也を今回に映画に誘ったように大の映画好き。邦画に限らず、洋画や訳のわからない海外物の映画も追っていたりする。そのため映画に関する情報の吸い上げが早いので、こうして静也の知らない情報が度々出てくる。
「次の主役は違うっぽいから静也は興味ないか」
「いや、普通に続きが気になるし、なんで俺がノアファンってことになってんだよ」
周りからのイメージが固定され過ぎてないか、と静也は眉間に皺を寄せる。
陽介はそれなら次も一緒に行こうと決まらない予定の約束をしてくる。
「失礼します、アイスコーヒーとアイスカフェオレになります」
映画の話、主にノアの話に華が咲く中女性店員が注文した商品を持ってきた。氷がカランと音を立ててグラスが机に置かれる。
室内とはいえやや湿度の高い空気にグラスが少し曇っている。
「そういえば、最近お前バイト始めたんだって?」
話す内容が途切れたことをいいことに、静也はちょっと気になってたことを陽介に訪ねる。
「ああ、始めたっていいうか、しばらくしてなかったけど再開って感じ」
「ふーん、いいとこ?」
「まだ始めたばっかりだから、どうかな、でも結構良さそうだよ」
陽介が最近始めたバイト、確かバーのホールだったよなと静也は他人から聞いた情報を思い出す。陽介も静也同様一人暮らし。田舎の実家からでは大学に通えないので、アパートを借りて住んでいる。生活費の足しになればと大学が忙しくない限り、バイトをしている様子である。
「俺もバイトしよっかな」
「あー、まあ、お前んとこ特殊だからな、好きにすればいいんじゃね」
「気が向いたら、考えよ」
“特殊”このことについて否定もしない静也。バイトについてはまた検討だな、と考えるのをやめた。
机に置いてあるコーヒーがじわじわ汗をかいてコースターに落ちていく。
「やあ、こんにちは」
「「!??」」
静也がアイスコーヒーに手を伸ばした時だった。
ストローを咥え、顔をあげた瞬間そこに見知った顔がいて声をかけてきた。
「ニルス……」
「オーナー!こんなとこで奇遇ですね」
「え?」
静也が顔を認識して驚いて名前を口出す。同時よりはやや遅れて陽介が口を開いた。
陽介の「オーナー」の言葉の意味が一瞬わからないまでも、今までの会話からなんとなく察せれて余計に静弥は驚く。
「やあ、陽介くんと静也くん。映画館で君らを見つけてね、着いてきた訳じゃないけど窓から君たちが見えたから」
そう軽快に話すのは数日前にふと現れて消えた男、ニルス。
ニルスは陽介を知っているようで、笑顔で2人が話をしている。そして何食わぬ顔で陽介の隣に腰掛けた。
「静也、お前オーナーと知り合いなのか?」
驚きにしばらく黙っていた静也に、何も知らないであろう陽介が話を振ってくる。静也はあれこれ考えていたが、陽介の声に現実に引き戻されハッとする。
「あ、ああ」
なんと返答していいか分からず静也は肯定するので精一杯になる。説明のし難い出会のせいで、上手い嘘も出てこない。
「へえ、まさかこんなところで知り合いって面白な」
陽介が嬉しそうにお互いの知り合いがいるんだなって明るく笑う。静也はそんな楽しい関係じゃないために、明るい表情ができず、合わせて一応笑顔を作るが多分引き攣っている。
ニルスも「偶然だね」と陽介を見てニコニコ人のいい笑顔をしている。
「君たちの話を聞きたかったけど……ちょっとごめんね」
不意にニルスの携帯から着信音が鳴る。
ニルスは部が悪そうにそれを取り出すと、惜しい顔をしながら店内から出ていく。カバンが置き去りなので、多分また戻ってくる。
ニルスがいなくなったことに静也は安堵する。
「オーナー忙しそうだな」
「そうだな、陽介のバイト先のオーナーってあの人なんだ」
何の情報も知らない、いや正しくは重要事項は知っているけどそれ以外全く知らない男の一部の顔を見た。外で電話の対応をするニルスは誰と話しているのか手振り身振り動いている。
「なあ、陽介」
「なんだ?」
「あー……やっぱいいや」
ニルスの他の情報が気になって静也は陽介に訊ねようとしたが、そうするとこちら側の話も必要になってくる。静也は余計なことを知る必要はないか、と聞くのをやめた。「なんだそれ」って笑う陽介に謝りながら半分ほどになったコーヒーに口をつける。
「この後は解散でいいか?」
静也は陽介の提案に頷き、置いてあるカバンの主が戻ってくるまでスマホを弄ったり残ったドリンクを飲んだりして過ごした。
ー
陽介と映画を見に行ってニルスに遭って、あれから各々解散になった日から3日ほどが経った。週末の休みも明けて大学へ通う。
静也は雨の中傘を差し、夕暮れの街を歩いていた。今日の講義は5限目まで、雲で見えないが、日はまだ沈みきってはおらずほんのり周囲が明るい。途中で寄ったスーパーの出来合いの食品を片手に家路を歩く。
足元で跳ねる水滴が、ズボンの裾に染みて不快。静也は早く帰って着替えよ、と足をテンポ良く動かす。
家の前の道路がもうすぐ見える、そう思ったそのとき、視界に入った脇道に目を奪われる。
足元に広がる水の色が不自然に赤くて、もうしばらく経ったはずの光景がフラッシュバックする。
恐る恐る顔を横にすると、倒れている黒い服の男が目に入った。
(冗談……だよな)
静也は向いた顔に合わせて体を路地に向ける。
まだ日の沈みきっていない夕方、雨とは言えど視界は割とはっきりしている。
そこに倒れている男、警察?救急車?俺は何をすればいい?と頭が混乱する。
すると、その倒れていた男がわずかに動いたのだ。
静也はどことなく安堵し男に歩み寄る。
「だ、大丈夫ですか……!?」
うつ伏せの男がのそっと起き上がる。腹側から垂れている血液から、かなりの怪我を負っているのが想像つく。静也は近寄りながらスマホを取り出し、救急車を呼ぼうと画面をタップし始めた時、その男に手を掴まれたのだ。
赤く血が滲んでいるその手の力が思ったより強く、静也は驚くとともに屈んだ体勢を崩して尻餅をつく。そこまで動揺することか、と思われそうだが静也が驚いたのは手を掴まれたからだけではない。その掴んできた男の顔がよく見知った人物だったからだ。
「……静也くん、それは不要だよ」
「お、前」
ニルスーー倒れていたその男は、口から血を流しにたりと静也の顔を覗き込む。
「酷いだろ……ちょっと流石にこれは」
ニルスは痛みにだろうか、顔を歪めながら腹を押さえている。
静也は今何が起こっていて、自分が何をすればいいのか全く分からないまま目の前の光景を目にしている。
「肩を貸してくれないか?直すにもこの雨じゃあねぇ」
「……わかった」
わかった、いや何もわかっていない。
静也は言われるがままに座った尻を持ち上げ、ニルスの方へ体を傾ける。伸ばされる腕を肩へ回しゆっくりと立ち上がる。ニルスの足にどろっと伝う赤黒い液体が静也の足にも伝い絡んでいく。
自分より軽そうに見えて、ずしっとしたニルスの体重が肩にかかる。
「それ、本当に大丈夫か?」
「まあ、大丈夫……」
半分ニルスを引き摺るように静也は家に向かう。脚がもつれて大して動いてないニルスに、段々と心配になってくる。最初に人じゃないと明言していたように、大丈夫だろと思っていた。しかし人と大した変わりのない見た目に、腹から漏れ出る赤い液体に不安になっていく。
いつもの軽口も全くなく静かに運ばれている。
「はあ、着いた」
静也は肩を貸していたニルスを靴も履いたままに風呂場に下ろす。
重かった、日頃運動なんて無縁の静也にとって、人1人の体重を引き摺って歩くなどよっぽど起きないアクシデントである。
それでも今はそんな事に構ってれないと、下ろしたニルスに向き合う。
「お疲れ、重かったでしょ」
ニルスの腹からじわじわ溢れてくる赤い液体、そこを押さえながらニルスが静也に微笑む。
「それ、普通にやばくないか?」
静也は焦った口調で、労いなんて聞いてなく思ったことを口にする。ニルスは「大丈夫」と言うと力のない手で上着を脱ぎ、傷口を見る。
「ああ、これは結構深いなぁ……」
「!?」
ニルスは何を思ったのか、自分の腹の裂け目に……腕を――突っ込んだ。
ぐちゃり、と生々しい音がして、血の感触が、床にまで伝わってきそうだった。そのグロテスクさに静也は若干の吐気を覚える。
「はっ、これで、いいかな」
ニルスの腕が引き抜かれるとその傷口が元から無かったかのように閉じていく。
目の前で行われる様子に思考停止の静也。動くことも喋ることも出来ずただただ目の前の惨状を眺めることしかできない。
「はい、これで元通り……ん?静也くん大丈夫??」
ケロッとした顔のニルスが、動かない静也を心配する。静也は唖然としながら、こんな情景を見せられて正気な奴がいるかよ、と心のどこかでツッコミが入る。
「本当に、人じゃないんだな」
「最初に見たし、言ったでしょ」
「いや、改めて」
静也は下ろした腰を上げて立ち上がる。目の前で座るニルスも静也が離れたのを見ると、次いで立ち上がる。
「家、汚してごめんね。ちゃんと掃除するから」
「ああ、うん」
そう言う良識があるんだ、と思うと同時に玄関から風呂場までの惨劇に静也は息を呑む。
靴で乗り上げた廊下、赤い液体でドロドロだったニルスを引き摺った跡、挙句雨でびしょびしょになった体から滴る水分、もうしっちゃかめっちゃかの家の現状に頭が痛い。
ー
「はーーー、疲れた」
「お疲れ、ありがとう」
シャワーを浴びてリビングに戻ると、静也はいつものソファに沈み込んだ。先ほどの惨状を片付け、やっとシャワーを浴び、ひと段落ついたのだ。
隣のニルスが「ごめんね」とも謝りながら礼を口にする。
「……お前、どして“ああ”なったの?」
静也は崩れて中身が一緒くたになった惣菜に手を伸ばしながら、隣で涼しい顔をするニルスに問いかける。
「ああ、付き合ってたけど興味がなくなって振ったら刺されただけ」
だけってどう言う意味だよってツッコミを入れたくなる衝動を抑え、静也は惣菜を口に運びながら「へー」と返す。ニルスはそんなこと聞きたいんじゃないだろって静也の顔を覗き込む。
「俺の肉体構成は液体、その構造を変化させて人間でいる。もちろん前も言ったように俺はよっぽど死にはしない、けど君たちと構造が一緒だから痛いは痛い、痛みで動けなくなってたとこに君が来てくれたってこと」
ニルスの言っていることに現実味がない、けれどまざまざと見せつけられているから信憑性は高い。静也は「へー」とか「ふーん」とか適当に相槌を打つ。
「本当に助かった、雨の中じゃ不純物の排除と再構成に時間がかかりすぎるからね」
ねえ、聞いてる?と言わんばかりのニルスに静也は相変わらず相槌を適当に打つ。もう先ほどの現象のせいで頭のキャパが一杯一杯になっている。
「ねえ、静也くん。お礼をさせてよ、前回のことだって君、何も言ってきてないよね」
「お礼って言っても……そもそも、起きたらお前いないから頼み事も何もできないだろ」
話がニルスの説明からお返しの話に変わった。
そういえば前回泊めた時に言っていた気がする。「なんでもいいよ」確かそんなことを言っていたと静也は思い返す。
暫く上を見ながら考えるもそんな直ぐに出てこない。そもそも、もう今日の脳みそが働きたくないと思考を回してくれない。
「……じゃあ、頼むから急に現れたり消えたり、大怪我したりしないでくれないか?」
今思いついた最速のお願い事。
こんなに疲れたのも、慌てたのも、頭が回らないのも全部が全部ハプニングかってくらい急に訪れるからなんじゃないか。静也が出した着地点はそこだった。これが前もってわかってたり、心の準備ができていればさほど疲れないだろう。
「あー、じゃあ……暫く俺を置いといてよ」
「それで解決するなら……ん?え?」
解決策を出されたし、それでいいやと思って返事をしてしまった。でも、いやちょっと待て――なんか全然よくない気がするぞ……。
けどもう返事しちゃったし、訂正するのも妙だよな、って、動かない頭が言い訳してくる。
「安心して、ちゃんとお金も入れるし、家事もする」
「ああ、そう」
今日は無駄なことを考えたら負けだ、そう思った静也はニルスの意見に頷き細かいことは気にしないことにした。
この同居が、静也の静かな日常を大きく変えていくとは、まだ想像もしていなかった。
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