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第1話 夕顔とアザレア
夕暮れ。
車両からひとり、またひとりと降りていく乗客をなんとなく眺めながらイヤホンから流れる音に耳を傾けているのは、今年大学三年生になった柴崎善洋 だ。
善洋は夏休みを利用して、実家へ帰省するためにローカル線に揺られていた。
昼前に家を出たはずなのに、いつの間にか日が傾いて、背中には眩しい西陽の影が長く伸びていた。迎えを頼むこともできたが、ゆったりと流れる田舎の風景が好きでこうして帰省するときは電車に揺られてる。
無人駅、実家からの最寄駅で交通系ICカードを機械にかざす。数年前までは紙の切符しかなかったが、やっとここでカードが使えるようになった。
少しの着替えとお土産を積んだ鞄を持ち直すと、徒歩10分かかる実家に歩みを進める。
相変わらず広い田舎の家、畑、空き地、空き家を順に見ながら自宅に着く頃、善洋は自宅の隣の家が変わっていることに気がついた。
「ここ、空き家だったよな」
久しぶりに見た、去年の夏も帰ってたので覚えているが、隣の家は空き家だった。けれど、今隣の家は建て替えられたのかリフォームされたのかは分からないが、綺麗になっており、表札が新しくなっている。
自宅まで歩くはずの足がほんの少し手間で止まった。
ガラッーー
立ち止まった扉の前、急にその玄関が開いた。善洋は驚いて息を呑んだ。
開けた男も、まさか玄関の前に人がいるとは思っていなかったようで、目を丸くした。
「あ、あの、僕、隣の家」
善洋の声はか細くて、声になっているかどうかすら曖昧だった。それでも住民、出てきた男は聞き取ったようでふわりと優しい顔になる。
「ああ、そうか、お隣さんの息子さんかな?ここ最近越してきた白川です」
くたびれたTシャツに紺色の長ズボン、少し高い身長の40代前後の見た目をしたその男は白川と名乗った。
「どうも」
知らない人と話すのが、と言うよりそもそも人と話すのが苦手な性分の善洋は何を返していいか分からず、ぶっきらぼうに返答をする。もっと名前を言ったり挨拶したり、帰省してきたと言うことを言えばと思うが、うまく口から出てこない。
善洋は白川に一礼すると逃げるように実家の敷地に入っていった。
「ただいま」
鍵のかかってない玄関を開けると、善洋は小さい声ながら声を張って帰ったことを身内に伝える。返答はない。多分今の時間母は台所、父は居間にいるからそこそこ大きい声を張らないと聞こえない。
善洋は靴を脱ぐと廊下に上がり、両親のいるであろう場所へ向かう。
「ただいま」
本日2回目のただいま。
今回はちゃんと聞こえたのだろう、テレビを観ていた父と台所で夕食を作る母が自分の方へ振り返った。
「おかえり」
母は善洋を見ると笑顔を浮かべ、父が電車で帰ってきた善洋に迎えにいったのにと苦笑している。実家の暖かい空気に帰ってきて良かったと善洋はつられて笑顔になる。
「これ、お土産」
善洋はカバンから一人暮らして住んでいる先のお土産を取り出し、机に置く。
そんな気遣い、いらないのにって毎回言うけど、一番喜んで食べてるのは母だった。
「ねえ、そう言えば、お隣さん居るんだね」
善洋は先ほどたまたま出会した隣の家の住人についての話をふる。母と父は知っているだろう、そんなことを込めて聞いてみる。
「ああ、白川“先生”のことか、今年になって越してきた人だよ」
「先生?」善洋は父の言う先生、という言い方が気になった。
「元高校の先生で、何だか都会の学校生活が嫌になって田舎に越してきたらしい。今は自宅の一階で絵画教室をやってるみたいだ」
善洋は「へぇ」と興味のない返答を返す。分かったことは今年越してきたことと、元高校教諭、今は絵画教室の先生。こんな辺鄙 なところに引っ越してくるんだからとんだ変人かと思ったが、そうでもなさそうだ。
「なんだ、お前白川先生に会ったのか?」
「いや、さっき、隣の家が綺麗になってるからちょっと見てたらその、白川さんがちょうど出てきたところに出くわして」
そういうことならちゃんと挨拶すれば良かった、と思ったが多分無理。初対面でそこまで話せるほど自分の肝が座ってないのを知っている。
「いい人だよ、たまに家のこと手伝ってくれたりするからな」
善洋は「そうなんだね」と返答しながら父の話を聞いていく。
それからここ最近の近所の出来事だったり、仕事の話だったり、逆に善洋の学校生活の話を聞かれたりと話に花が咲いていく。
母もそれを背中で聞きながら機嫌が良さそうだ。
「それじゃあ、ご飯にするよ。善洋、荷物部屋に置いてきて」
母の声が台所から聞こえ、善洋は席から立つと「分かった」と母に返事をすると荷物持って部屋に向かう。自室は2階、軋む階段を上がれば懐かしい扉が迎えてくる。『よし君の部屋』と書かれた扉の文字は色褪せて角が欠けている。開ければ前回帰ってきた時と変わらない部屋が広がっている。
善洋は荷物を一旦床に置くと、直ぐに居間に戻っていった。
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