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第4話
「集」
大学の学食でカフェオレを啜っていたら、麻野に声を掛けられた。二日ぶりの麻野だ。ワインレッドのプルオーバーを纏っている。相変わらずなにを着ても絵になるなと揶揄するように言うと、麻野はふんと鼻で笑って、ぼくの隣の席に腰を下ろした。
「昨日は休んだのか?」
「ちょっと、体調がよくなくて」
「大丈夫か?」
「問題ない。ただの偏頭痛だよ」
麻野はおもむろにぼくの前髪を手で払い、こつんと額を当ててきた。
「あ、麻野!?」
「ちょっと熱っぽくないか? 病院には行った?」
「お、おまえ、その熱っぽさはこの状況が原因だとは思わないか?」
「ん?」
麻野はとぼけたように言った後、我に返ったようにぼくから離れた。
少しの間、ぼくと麻野を沈黙が包んでいた。けれど、心地がよくないわけではない。ぼくはカフェオレを飲み干して、麻野に視線をやった。
「ねえ、麻野」
麻野がぼくを見て、首をかしげた。
「放課後って暇?」
「デートのお誘い?」
「うん、ドラッグストアに付き合って欲しい」
「いいよ。空いてる」
麻野は少し嬉しそうに言って、ぼくの頭をぽんと叩いた。大きな手だ。暖かい。どことなくほっとする自分がいることに気づいたが、ぼくは気を確かに持てと自らを叱咤した。
講義が終わってから、ぼくは麻野と近くのドラッグストアに来ていた。風邪薬。うがい薬。頭痛薬。軟膏。コンドーム。次々と買い物かごのなかに放り込むぼくを見て、麻野が声を掛けてきた。
「市販品より医薬品のほうが効果が高いだろう。金の無駄だ。おとなしく病院に行けよ」
「ただの常備薬だよ。頭痛薬は病院からちゃんと処方されている」
「もしかして、俺のせい?」
「なにが?」
質問の意味がわからないと返すと、麻野はどこか罰が悪そうに頭を掻いた。
「偏頭痛だよ。一昨日もいなかったから、俺がやりすぎたんじゃないかって心配していたんだ」
なにを? と問い返しそうになって、ぼくは思わず言葉を飲み込んだ。
セックスのし過ぎで偏頭痛が出たんじゃないかと疑っているのか? 万年トップ男が? なにかの冗談だろうと思ったが、麻野の目はとても冗談を言っているようには見えなかった。
「アレが原因なら、毎回へろへろになっていると思うけど。そうなるのが解っているのにヤらせるほど、ぼくは馬鹿じゃない」
「それなら、いい」
ホッとしたような面持ちで、麻野。そのままぼくの頭にぽんと手を置いて、笑った。
「本当に心配したんだ」
「取り越し苦労だったな」
「ああ。これで安心してヤりまくれる」
「そろそろ自重という言葉を覚えたらどう?」
軽口を叩き合いながら必要なものをそろえ、レジに向かう。その途中で擦れ違った男が持っていたボストンバッグがぼくの肩に当たった。買い物かごが床に落ちる、派手な音がした。買い物客が振り返り、ぼくに視線が集まった。ぼくにぶつかった男は、ぼくを睨みつけ、謝りもせずに言ってしまった。
「なんだ、アイツ」
「いいよ、ほっとけ。関わり合いになりたくない」
ぼくは小声で麻野に言った。暗に追うなという言葉をこめて。麻野はそれに気付いたようで、舌打ちをしたあと、前髪を掻きあげた。
そのまま買い物かごを持ち上げ、レジに向かう。その間、遠くから視線を感じたが、ぼくは気付かないふりに徹した。
* * * * *
ドラッグストアを出て少し行くと、ぼくのアパートがある。けれど、麻野の提案で、アパートには戻らなかった。麻野もさっきの男の視線に気付いていたらしい。今日は泊まれと言ってきた。
麻野は実家暮らしだから、セックスをするときはいつもぼくのアパートだった。だから麻野のうちに行ったことはない。麻野と付き合い始めて随分経つ。ぼくの目の前に聳え立つ、一目見て高級住宅だとわかるそれは麻野の実家だ。ぼくは麻野のうちに来ているのだ。
「こっちだ、あがれよ」
言って、麻野が門を開ける。金属特有の音はせず、よく手入れをされているのがわかった。庭だって草ひとつない。色とりどりの花が咲いていた。
「兄貴の趣味なんだ」
「麻野、お兄さんがいたんだ」
「ああ、腹違いだけどな」
ニヒルに笑いながら麻野が言う。そのとき、玄関のドアが開いた。
「お客さん?」
麻野によく似た声がした。麻野が声変わりし始めた頃はこんな声だったんじゃないかと連想できるほど、よく似ている。外に出てきたのは、麻野のお兄さんだった。
麻野とは違い、ぼくのように真っ黒い髪をしている。ぼくとおなじ、少し外に跳ねる癖毛だ。背もそれほど高くなく、華奢な体つき。明らかに着られているように見えるアーガイルのワインレッドのカーディガンは、おそらく麻野のものだ。大学に着てきた記憶がある。
麻野のお兄さんは、ぼくをじっと見つめたあと、麻野を見上げた。
「佐和の友達?」
「ど、どうも、有川です」
「佐和がいつもお世話になっています」
麻野のお兄さんがぼくに頭を下げてくる。ぼくがどう対処すべきかと頭をフル回転させている横で、麻野が呆れたように溜息を吐いて、頭を掻いた。
「雪弥、そのカーディガンは俺のだって言ってるだろうが」
脱げと言いながら、麻野がお兄さんに詰め寄っていく。お兄さんは少し眉を寄せた。
「暖かいんだ」
「そりゃそうだろ、カシミアだぞ。おまえが着たら絶対どこか引っ掛ける」
「はいはい、気をつけるよ」
「じゃなくて、いますぐ脱げよ」
麻野が冷静に突っ込むも、お兄さんはどこ吹く風で花の水遣りに行ってしまった。やれやれと言わんばかりの大きな溜息を吐いたあと、麻野はしょうがないなと呟いた。
「本当に似てないね。お兄さんと、麻野」
麻野の部屋のソファに腰を下ろしながら。麻野は「ああ」と気のない返事をして、ソファの隣にあるサイドテーブルにココアが入ったマグカップを置いた。
「あいつ、天然なんだ。それに、生まれつき肺が弱くて、家に閉じこもってばかりいるからな。社交性なんて皆無だよ」
「‥‥なんか、少しぼくに似ている気がした」
「そうか? 集のほうが可愛いけど」
似ても似つかないと、麻野が愚痴るように言う。けれどぼくには否定することができなくて、なんだか妙な気分だった。
癖毛だけならまだしも、髪の色も、雰囲気も、どことなく自分と似ている。なにより驚いたのは、お兄さんにもぼくとおなじで左目の下に泣きぼくろがあることだ。麻野はそれが色っぽいと言う。ぼくと似た雰囲気のお兄さんにも言ったのだろうか?
――いや、冷静に、常識的に考えて、腹違いとはいえ実の兄の顔にある泣きぼくろが色っぽいなんてことを口走っていたら、麻野とお兄さんの仲は修復しようがないほど悪くなっているだろう。
ぼくはなにを考えているんだ。馬鹿みたいだ。自分の中にふつふつと生まれてくるなにかと一緒に、麻野が入れてくれたカフェオレを飲み込んだ。
「集」
麻野がぼくを呼んだ。気がつくと、麻野はぼくが座っているソファの前の床に座っていた。そしてぼくの腿に手を置いた。
「夕飯、親子丼でいいか?」
「え? 麻野が作るのか?」
「雪弥に作らせたら材料の無駄だからな」
そっけなく言いながらも、麻野の手はぼくの腿の上を這い回っている。けれど肝心なところには触れない。ぼくが触ってくれというのを待つつもりなんだろうか。
「麻野、手をどけろよ」
「ん、なんで?」
「っ、いいから」
とぼけるような口調の麻野にイラついて、ぼくは少々乱暴に麻野の手を払いのけた。麻野は意地悪そうに口元を歪めて、またぼくの腿に手を伸ばす。
「綺麗だよな、おまえの足」
「うれしくない」
「舐めていい?」
「ダメだ」
「いいって言えよ」
「いいわけないだろ」
まだシャワー浴びてない。そう吐き捨てると、麻野は我が意を得たりと言わんばかりに笑った。
「シャワー浴びた後ならいいのかよ?」
「潔癖だな」と、麻野が言う。
「そういう、問題じゃ・・」
ぼくの言葉を聞き終えるよりも早く、麻野の手がぼくのベルトにかかった。
「っ、おい!」
手早くベルトを寛げるその手を止めようと腕に手を掛けたとき、麻野の鋭い視線が突き刺さった。止めるな、指図するなと言っているように見える。そのときぼくは、ああ、麻野は怒っているんだと気がついた。
さて、ぼくはなにをしただろうか。検討がつかない。というより、さっきまでぼくを心配しているそぶりを見せていたのはなんだったのだろう。ぼくは仕方がないと腹をくくって、抵抗をやめた。
麻野はぼくのベルトを寛げたあと、カーゴパンツと下着を膝までずり下ろした。そしてぼく自身を手に取ると、それを銜えた。
「っ!」
びくんと腰が跳ねる。フェラなんて、することはあってもされることは滅多にない。それにぼくは、この感覚が苦手だった。
「声、出すなよ」
ぼくの耳元で意地悪く麻野が言う。声を出せるはずがない。なんの目的なのか、窓が開いているのだ。
ぼくが唇を噛んだのを見届けて、麻野はぼくの尻を撫でた。するりと骨ばった指がそこを這い、刺激してくる。鼻に抜けた声が上がるのを、麻野の肩に顔を埋めて耐えた。
「すげえ、エロい」
麻野はぼく自身と、そして後ろを刺激し始めた。どこから取り出したのか、ぬるりとした感触が尻にある。おそらくローションの類だろう。湿った音。二人の息遣い。時折、外から人の声がする。背徳的なこの空間は、ぼくの感覚を高めるのに十分すぎるものだった。
「っ、んっ」
麻野の指がぼくの中を這う。舌がぼく自身を慰め、昂ぶらせていく。ぼくは麻野にしがみついたまま、がくがくと体を震わせた。
「っ、ふ、っ、っ!」
「集」
「んっ、んんっ!」
もうイきそうだと思ったとき、麻野が勢いよくぼく自身を吸い上げた。ぼくは仰け反りながら、麻野の口の中で達した。
「っはあ、はあっ」
息の根が整わない。必死に声を我慢していたせいだろうか。ぼくは麻野に体を預けたままぼんやりしていた。
麻野の手が、麻野の背中に回していたぼくの腕を掴んだ。そしてそのまま手首をつかまれ、その手は麻野の股間に導かれる。ジーンズの中で窮屈そうにしているそこが限界だとわかって、ぼくはファスナーをおろし、下着の中から麻野自身を取り出した。
「すげえ、でかい」
心の中で呟いたはずの言葉は声になってもれていた。麻野はくっと喉の奥で笑って、ぼくの耳朶を噛んだ。
「いつもおまえの中に入ってるだろ」
離れ際、ぼくの耳にふうっと吐息を吹きかける。ぞくりと腰が震えた。ぼくは麻野にしがみついたまま、麻野自身をしごいた。
もしお兄さんが入ってきたら、一目でなにをしているかわかるだろう。それでもぼくたちはお構いなしで、まるで会えなかった二日間を埋めるかのように、お互いを貪った。
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